ピティナ調査・研究

前編:音楽を「学ぶ」とは?

前編:音楽を「学ぶ」とは?

飯田有抄(クラシック音楽ファシリテーター)

「音楽は『音を楽しむ』って書くよね」
「音楽は音学ではない」
「音楽は理屈ではなく感性でとらえるべき」

このようなことが、よく言われます。音楽を堅苦しく捉えたくない、音楽を「学ぶ」という姿勢はよくない、といった文脈から、ある種の正義感を漂わせながら使われるフレーズです。
 しかし、音楽を「学ぶ」ことは、堅苦しくて、退屈で、よくないことなのでしょうか。音楽ははたして、「感性」というような漠とした受け皿にまかせっぱなしにしてよいものなのでしょうか(ちなみに、音楽という言葉における「楽」の字は、“楽しい”の意味ではありません)。
 音楽は、実際に鳴り響いているものを聴覚で捉えたり、声や楽器などで音を発したりする以外にも、さまざまな受け取り方や、アプローチの仕方があると思います。たとえば、

  • 音楽の歴史を俯瞰すること
  • 音楽の仕組みを知ること
  • 音楽と音楽とを比較すること
  • 音楽と土地や人々との結びつきを知ること

などなど。
そのようなアングルから音楽に近づいてみようと、調べたり、学んだり、研究することもまた、音楽を持たずにはいられない人間の、人間らしい営みではないでしょうか。こうした営みは、音楽の捉え方を広げ、深めてくれます。
音楽を探求し、学ぶことによって得られるものとは、堅苦しいどころか、むしろ柔軟で、多様で、立体的なものの見方、感じ方、考え方にほかなりません。凝り固まった枠組みを超え、自由な発想と創造へと、自らを解放できるようにする力です。それはまさに、新しい言語を手に入れるようなものでもあります。過去と現在と未来、土地や文化を異にする者とのコミュニケーションを可能とするような言語であり、他者への理解や思いやりを促す言語です。
すこし話が大きくなりましたが、後編ではもうすこし具体的に考えていきたいと思います。

(第1回 おわり)

後編の予告:現代人が“クラシック音楽”を聴き、学ぶ理由

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