ピティナ調査・研究

第23回 藤澤克江先生

レッスン室拝見

今回のレッスン室拝見は、先生個人のレッスン室にお邪魔するというよりも、先生が赴かれた先に追っかけ同行取材をさせて頂いた。主人公はピティナの監事をおつとめ頂いている藤澤克江先生、舞台は2005年7月の広島と10月のドイツ マンハイム。

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1.音楽を紡ぎだす指を作る

 藤澤先生は、国内では広島だけでなく福岡、岡山を定期的に訪れて指の講座とレッスンを行っている。10月の訪独は同地音楽学校ペーター・アイヒャー教授の招聘による訪問で、マンハイムはかつて藤澤先生が勉強された地でもあり、今回は2003年度に続く2度目の招聘、愛弟子の小佐野圭先生、中島裕紀先生、古賀美加緒先生、門馬 恵先生(いずれもピティナ会員)が同行し、10月7~9日にわたって、指と音に特化した講座とレッスンを行った。

 

音楽に対するイメージをどうしたら実際の音として実現していけるのか、そのエッセンスは2004年4月東京での指導セミナー、またそれに続くフォローアップ講座で披露して頂いた「音色の芸術」で多くの人の知るところとなったが、今回は実際の講座や個人レッスンを取材し、先生のレッスンの真髄とそれに打ち込む先生の熱い思いをご紹介する。

まず先生が指のトレーニングに興味を持たれたきっかけをお伺いいたします。

ライマー=ギーゼキング著の「現代ピアノ演奏法」という本がございますね。あれを学生の頃訳してみたのが最初のきっかけです。

井口秋子先生訳で市販されているもの(注:ワルター・ギーゼキング&カール・ライマー共著「現代ピアノ演奏法」音楽之友社刊)ですね。学生の頃それを訳されたというのは?

ドイツ語の原文を芸大の図書館で見つけて訳してみました。その頃の先生は今の先生のように手取り足取り教えてくれる訳ではありません。良ければまあまあ誉められる、悪ければ怒られる、というただそれだけですから、学生が自分で工夫しなければならなかったのです。演奏する上で指の機能が重要である、という事は自分でも気付いていましたが、さてどうしたら良いか、それを具体的に教えてくれるものが何か無いか?と図書館を調べていた時に見つけたものです。内容を理解したさに、駆け出しのドイツ語で訳してみました。その後すすめられて、それを大学自治会の会報か何かに掲載した事を覚えております。

現在福岡、広島、そして2005年9月からは岡山、と各地でレッスンを続けていらっしゃいますね。その生徒さん方(各地藤澤会の皆様)と出会われた最初のきっかけはどんな事でしょう。

国立音大を定年になりました後、熊本音楽短大(現平成音楽大学)に教えに行く事になりました。住まいは東京のまま、1年に何度か集中的なレッスンを行ったのです。その熊本音楽短大の卒業生が福岡にいらして、その方から福岡に来て教えて欲しい、というご依頼があったんですね。それからはそのお友達、そしてまたその知り合い、というように輪が広がって参りました。

それでは現地の様子を実際にご紹介し、先生の指導の一端に触れて頂きたい。

2.2005年7月 広島 指のトレーニング講座 指の基礎工事

2004年4月に指導セミナーで音色の芸術の講座を行っていただいたがその後東京でそのフォローアップ講座、また広島、福岡各地でも講座を行ったところ大変な反響があり、ここ広島での講座にも2004年末から新メンバーが増えたそうだ。
音色の芸術の講座で説明した各スタイルの弾き分けを確実に行うために、どのような訓練が必要なのか、というその実践をここでは行っている。そのため、先生一人がお話をして、聴衆がそれを聞く、という形式ではなく、なるべく先生を取り囲むように近くに座って頂き、指の訓練の実践が先生からすぐ見える位置で行うようにしている。先生みずから手を貸して指の動きを手助けすることもしばしば。また以前から講座に通っているベテランの生徒さん達はなるべく散らばって座り、新しい方への説明の補足、チェックなどを行って自分も学びながら、先生のアシスタントをつとめている。人に説明することによって自分の理解がより深まる、というメリットもあるようだ。

 藤澤先生は主要な説明を続けながらもその様子をご覧になりつつ、ご自分でも直接に手を貸してトレーニングをサポートしたり、アシスタントの方の説明に補足を行ったり、とまさに八面六臂の動きをされている。そんな中でも時には大きな笑い声の起こる和気あいあいとした雰囲気が特徴的、何よりも集まった皆さんが藤澤先生の魅力に「ハマって」しまっているようだ。
毎回ひとつ以上のトレーニングが「宿題」として課せられる。それらをひとつひとつこなしていくことによって、自分の出したい音を出すための指の基礎工事が出来上がっていく。

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広島 先生を取り囲む講座風景

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指の動きを手を添えて教える

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個人レッスンでも手の形と脱力を

 「ある程度力のある人にはこの講座は取り急ぎ必要無いかもしれません」藤澤先生はそう語られる。「指の訓練に特化したレッスンは他にもありますし、国際コンクール入賞者などを輩出している教室もあります。でも機械的な指のトレーニングを取り入れて、すぐにそれを音楽表現に生かせる人はやっぱりもともと相当な底力があるのです。習った事を理解し、それを実際の音にして初めて効果があったと言えるのですが、ピアノ学習者の皆がそれをすぐに出来る訳ではありません」

 習った事を頭で理解し、実際に自分でそれをやってみる、さらにそれを実際の音楽表現にどう使いこなしていくのかを学ぶ、そして音楽表現を聴き取る耳を育て、さらにその耳が指を磨いていく、これらの事を順を追ってひとつひとつ確認しながら覚えていってもらうのが、私のレッスンのやり方だ、と藤澤先生は語る。今広島で実際に先生の講座とレッスンを受けているのは皆それぞれに指導経験豊富なピアノ指導者達、中にはお孫さんがいらっしゃる方もいる。必ずしも広島市内の方ではない、それらの方々が時にはお弁当持参でほぼ1日をつぶしてこの集まりに駆けつける。「本当に私の方が頭が下がりますよ。でも今実際に生徒さん達を教えているこの方々だから切迫感を持ってその必然性を感じて下さる。私にああだ、こうだ、と言われながらもがんばっているこの方達のもとからピアノを学ぶ子供たちがたくさん育っている訳です。この人達がしっかりすれば日本のピアノ界がさらに変わっていくでしょう。」

 ピアノ指導もここ数十年では長足の進歩を遂げた。今や少し勉強している指導者であれば、初歩の段階から譜面の読み方、指使い、だけではなく、音楽を演奏する、俗にいうピアノを歌わせる事を学ばせなければならない、という事はよく承知している。しかし実際にピアノを歌わせるためには何が必要なのか?豊かな感受性、イメージ、確かにそれも大事だ。しかし実際に出て来るのはピアノの音、ピアノを歌わせる、という事が本当に完成するのは自分の指で「歌っている音」を鳴らせた時である。

 そのために、各指がどう動かなければならないのか、という所に立ち返って藤澤先生の講座とレッスンは続く。耳と運動機能に恵まれた一部の人々なら、「歌わせる」という意識を持った瞬間にその試みは成功するのかもしれない。しかし瞬時にはできなくても、必要な手順を確認しながらひとつひとつクリアしていくことによって自分で思った音楽を実現する事ができる、と藤澤先生は考えている。

 「そういう事はむしろ大人の方が得意です、子供は逆に直感で捉えてしまいますので、私も子供相手のレッスンの時には細かい説明はあまりしません。子供はやってごらん、と真似させるだけでも相当な事が出来てしまいます。それに比べると大人は自分の中に持っているもの(音楽)があっても、それを実際に音にすることが出来ない。私は彼女達を普段から知っていますから、ああ、こうしたいんだな、とかこう歌いたいんだな、という事が判りますが、演奏というのはその演奏そのものでどんな人にも納得してもらえるものでないといけません。そのためには実際に想定している音が出せる指を作り、的確な命令を下す脳の回路をトレーニングしなければならないのです。」

● 藤澤先生の講座、先生から概要を説明 WMV3.5MB(2分9秒)
● 指を引き寄せる WMV962KB(34秒)
● 参加者からのビデオメッセージ WMV4.4MB(2分39秒)

応用編 心から脳へ、そして指が作り出す音

● まず1音、しっかりと音を出す WMV1.4MB(50秒)
● 意識を持ってその命令を指に早く正しく伝えよう WMV1.7MB(1分4秒)
● 音の明るさを調整するには WMV3.4MB(2分16秒)

3.2005年10月 マンハイム

前回(2003年)先生が訪れた際には基礎的な指の訓練を相当なさった、という事ですが今回はどのような内容ですか。

指導セミナーでさせて頂いたような四期の音の弾き分け、というのを講座中心に実践も含めて理解して頂こうと思います。前回はほとんどの時間を指の運動やトレーニングに費やしてしまいましたので、今度はより音楽に近寄ったアプローチを目指しました。ただ感覚ではなく頭で理解して頂くことも重要なのでスライドや、あと実際のピアノのアクションを持参してその動きも皆さんに見てもらうつもりです。

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近年日本の教育法、特に基礎から中級程度の緻密な指導法に注目しているヨーロッパ人も出て来た、という事ですがアイヒャー先生などはその代表ですね。

そうですね、最近ではご自身のレッスンでも以前より指の話を取り入れていらっしゃるようですから、参考にしてもらっているとすればうれしい事です。そもそもヨーロッパの人は体格が違いますから、日本人よりも多少無理な事をしても弾けてしまう、という部分もあります。一流になるにはそれではいけませんが、一流になる人はだいたい自然に出来ている人が多いわけで、それを手を取って出来るようにしてやる、というのはあんまりしてないようですね。

お弟子さんの小佐野先生、中島先生、古賀先生、門馬先生がご一緒でにぎやかですね。

このメンバーと行動するのは本当に楽しいですよ。何日も顔を突き合わせている訳ですから気兼ねなくものが言える同士でないとお互いに疲れてしまいます。でも色々な面でサポートしてもらえるので助かります。

2005年10月 マンハイム Die Kunst des Klangs(音色の芸術)

 前回2003年にマンハイムを訪れた際には、音を奏でる手・指をどう創るか、という事にかなり重点をおいて実施した部分もあったとの事だが、今回は概要の説明と、より楽曲に沿って、それぞれの音楽が求める音を実際の楽曲の中で出していく事に力点が置かれていた。
今回音が出る瞬間のピアノの動きを判りやすくするために、ピアノのアクションを実際にホールの中に展示して(かなり苦労して楽器メーカーから拝借し、輸送したとの事)なぜ藤澤先生が提唱する方法が有効であるか、それを視覚でも確認してもらう試みも実施した。

《進行》

8、9日の2日間にわたって午前・午後の部で、バロック・クラシック・ロマン・近現代のそれぞれについて、藤澤先生の講義、小佐野先生・中島先生によるデモンストレーション、希望者に対するデモ・レッスン、という流れで進んだ。客席には学生だけでなく、マンハイム音楽学校の先生方、中には小さい生徒さんを何名か引率して参加している方もいらした。小さいお子さんにはちょっと難しい内容だったかもしれないが、ぜひ生徒にも聞かせたい、という熱心さの現われだろう。
ひと通りその時代の留意点、音作りのポイントなど、マンハイム音楽学校講師の上原和子先生のドイツ語通訳を通して説明が行われた。言葉だけよりも実際の音を、という事で中島先生、小佐野先生がバッハ、スカルラッティ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの有名な曲の一部でデモンストレーションを行った。

《現地の方の反応》

中島先生、小佐野先生のデモンストレーションでは「日本人は達者に弾くなあ」というように単に感心している様子であったが、皆さんに本当にを実感して頂けたのは、その後希望者に実際にピアノの前でデモンストレーションをしてもらってからではなかったか、と思う。会場にはマンハイム音楽学校キーボード専攻のヴェルナー・フレックマン先生、分校の校長先生でもあるトーマス・ヤンデル先生も来場されていて、この先生方も実際に生徒達のいる前で自らデモンストレーションを受けた。日本では指導者の方がこういう場に気軽に出て行くのは何となく難しい雰囲気が漂いがちだが、この先生方は非常に自然な感じでステージに上がって下さった。
実際にデモンストレーションをして頂くと、さすがに指導者の方は音作りのポイントそのものだけでなく、この事が自分達の指導にとって如何に重要であるか、をも即座に理解された模様である。

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会場へ向かう藤澤先生ご一行

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ペーター・アイヒャー先生

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ナポリ音楽院教授 パオラ・ヴォルペ先生

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通訳をつとめて下さった上原和子先生。国立音大で藤澤先生に師事。現在はマンハイム音楽学校で教えている

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自らデモンストレーションを受けるヤンデル先生

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《脱力!脱力!そして自分のイメージする音へ》

最初は音作り云々よりも、まず脱力が意外のほどに出来ていない場合が多く(日本人と体格が違うので、それでもある程度弾けてしまうらしい)むしろそちらに大車輪だった藤澤先生だったが、2日間続けて聴いてくれる人が多かったためか、2日目からはだんだんその時代特有の音、についての言及が出来るようになっていった。まだ17歳、というがびっくりするほど大きなフレデリック君(10度の和音など軽々、という手の大きさ!)など、ほぼ全講座積極的にステージに上がって熱心にレッスンを受けていた。(座っている彼と立っている藤澤先生の高さがほぼ同じ、というのは何とも微笑ましかった)講座の時間以外にもアイヒャー先生のお弟子さん同士、或いは今回イタリアのナポリから招かれたパオラ・ヴォルペ先生に同行した十代のお弟子さん同士で「こんな事をやったんだよ」などと教え合っているらしく、時間を経る毎に理解が早く、また深くなっていくように感じられた。

今回アイヒャー先生は主催者で各会場に気を配らなければならなかったり、またご家族にご病人がいらしたり、と公私共に大変な多忙を極め、藤澤先生の講座をじっくり見学する時間も無かったようだが、1日目の様子を少し見学された後、イレギュラーでご自分のお弟子さんのホープを2日目のデモンストレーションに寄越された。近々本番を控えた日本と韓国からの留学生で、本番への最後の仕上げをするにあたって彼女等の音により一層の確実さを求められたのだろう、と思われる。

最終日には関係者全員で打ち上げパーティを行ったが、藤澤先生のお孫さんよりもっともっと若い生徒達が次々と先生を囲んで記念撮影に興じていた。この小柄で高齢の日本人女性が彼らにもたらした数日間の素敵なマジック、それを彼らは東洋の神秘、と受け取ったのだろうか。いずれ彼らが弟子を教える年齢になった時、また改めて聞いてみたい気がする。(文責:正木 麻里子)

● この講座についての概要説明 WMV7.2MB(4分34秒)
● バロックについての概要説明 WMV5.1MB(3分14秒)
● クラシックについての概要説明 WMV2.2MB(1分25秒)
● フレデリック(17才)のレッスン風景 WMV2.2MB(1分18秒)(見学しながら質問するフレックマン先生)
● ロマンについての概要説明 WMV3.8MB(2分38秒)
● 近現代についての概要説明 WMV4.1MB(2分30秒)
● まとめの言葉 WMV1MB(39秒)


藤澤克江先生プロフィール

東京音楽学校(現東京藝術大学)ピアノ科卒業後、ドイツ・マンハイム音楽大学にて研鑚を積む。小倉末、レオ=シロタ、R.ラウグス、H.ライグラフの各氏に師事。
その後積極的な演奏活動を展開し、日本各地でリサイタルを開催する。
また教育者としては、都留文科大学教授、国立音楽大学ピアノ科教授、熊本音楽短期大学ピアノ科客員教授として教鞭を執り、多くの優秀なピアニストや音楽教育者、研究者等を世に送り出すとともに、日本各地でピアノ教育者のためのゼミを開催し、ピアノ演奏のテクニックや教授法についての講演を行うなど、日本の音楽界・ピアノ教育界の発展に大きな貢献をしている。また、戦後日本の合唱の基礎を築いた第一人者でもある。
1994年バーデン=ビュルデンベルク音楽学校連盟よりマイスタークラスの講師として招聘され(於:ドイツ・マンハイム)、その長年の功績が国際的に評価された。
現在、全日本ピアノ指導者協会(PTNA)監事、コンクール審査員として活躍。
広くピアノ学習者及び教育者の育成に力を注いでいる。