第14回 播本枝未子先生
連日の寝不足で大変お疲れのところ、急な取材をお願いしました。スタッフがレッスン室に押しかけて撮影した、これはまさにライブのレッスン室風景。
先生がピアノを始められたきっかけをお聞かせ下さい。
「私の父は法律家で、家族にも全く音楽家は居ません。今でこそ、ピアノは粗大ゴミと言われる時代になってしまいましたが、私の母の時代(大正始めの生まれ)にはピアノというのは西洋の憧れの楽器だった訳です。
まだ日本ではピアノを置いてある家庭は極く稀でした。母は親に「日本人だから」と、琴とか三味線を習いなさいと言われて、ピアノは学ばせてもらえなかった。それで密かに娘が生まれたらピアノを習わせたいと思っていたのでしょう。
まず姉がピアノを習い始め、私は9才年下なので家に一人で置いて行く訳にもいかず、母が私を連れて姉のピアノのレッスンに通っていました。私の家には当時まだピアノが無かったのですが、そのうち古いオルガンをどこからかもらい受けました。私はラジオから流れている歌のメロディーや姉のレッスンにくっついて行って耳から覚えた旋律など適当に伴奏つけて遊んでいたのは記憶しています。姉が受験勉強のためピアノのレッスンを止めることになり、その頃、隣のおじいさんがどういうわけか『妹の方が才能があるんじゃないか』と言ってくれたそうで、それやこれやで今度は私がピアノを習うことになりました。あのおじいさんがいなかったら今の私はない訳で、それが良かったかどうか今でもわかりませんけれど・・・
とりあえずピアノがないので町一番の先生には断られ、母が困惑していたところ、丁度芸大を卒業したての斉田四方先生が浜松に引っ越していらして見て頂けることになりました。母がへそくりを貯めてピアノを購入してくれたのは、私が小3の時でした。それまでは友達の家や幼稚園のピアノを借りて練習していましたね。寒い幼稚園のがらんとした教室でかじかみながらボロンボロン練習していたことなど思い出します。」
習いだしてからはどんどん腕を上げていったのですね?
「いえいえ、自分で遊び弾きしていた内は楽しかったんだけど、やれハノンだエチュードだバッハなどと言われるとちっとも面白くなくて、ことにバッハは何もわからず、こんな曲何が面白いんだろうと思っていましたよ。その頃の私は、メロディーに伴奏付けがあればこれが音楽だと思っていましたから。斉田先生も練習を好きでない私を見て、三恵子ちゃんにもっとライバル意識があればいいのにねぇ・・・といつもため息をついておられました。」
音楽の専門に進むきっかけはどのように?
「何しろ私の家庭は音楽に対して全く素人で、父は学生の頃よくSPなど聴いていたようですが、それは戦争で失い家にはレコードも一枚もありませんでしたから。その父は私がピアノを学ぶことをずっと反対していましたし、母が父の反対を押し切って、何が何でもこの子にピアノを習わせると強く思っていたのが、まず第一のきっかけでしょう。
母自身ピアノをとても好きだったことと、これからの女性は職業を持ち自立していかなければならないと考えていたようでした。今の人達にはわからないでしょうが、昔の女性は本当に大変だったのです。何しろ女性にやっと参政権が認められたのは第二次世界大戦後なのですから、今の人達にはとても想像できないでしょう。そういう私も実のところ、母たちの時代におかれていた女性達の状況と言うのは想像の域を出ませんけれど。」
ドイツではどのようなご指導を受けられましたか?
「ハンブルクに知人がいたということで、ハンブルクに留学することに決めました。当時のハンブルグではコンラート・ハンゼン先生が退官したばかりでしたので、他に優秀な先生ということで、エリザ・ハンゼン先生を勧められました。日本人の生徒があまりいらっしゃらないということも、気に入った一つでした。
私はとてもとてもかわいがって頂きましたが、とにかく厳しいレッスンでした。1音出したら、NO!と言われたりするんですよ。曲によっては、1年以上もずっとNo!と言われ続けた曲もありましたね。ある意味でカルチャーショックで、自分を0からやり直したという感じでした。」
音楽的には、どのようなことを重視なさる先生ですか?
「自分音を出しなさい、あなたにしか出来ない音、表現があるはずだという考えを持っていらっしゃいました。しかしそれは何かということを教えてくれたり暗示してくれたりする先生ではなかったんですね。だからピアノの勉強が苦しくて、何度もピアノをやめようかと思ったりしました。何度か、エリザ・ハンゼン先生の兄弟子に当たるクリストフ・エッシェンバッハがエネルギーをくれて、アドバイスをくれて、助けてくれて、続けることが出来たのだと思います。」
播本先生が指導者として、ぜひ伝えたい"ポリシー"はどのようなことでしょうか?
「そうですね、表現は一つではない。だから、何かを表現するにも何種類もある。自分に正直な音を探せ。自分を深めるためには、他のものにも興味を持つべき。ということですね。
ピアノというのは、練習時間をたくさん取られる楽器なんですね。ある程度以上弾ける学生さんなどは、まずは練習時間を減らすことが大切なんです。とても効率の良い練習の方法をとって、人間として生きること、例えば本もたくさん読みたいですし、もっとジャンルを広げて感性が豊かになるための余裕が必要だと思います。
魅力的な演奏をするためには、魅力的な自分を作らなくてはいけない訳です。そのためには時間がかかるから、なるべく練習時間を減らせるようになって欲しいですね。不必要な練習をすると、音楽に対する新鮮さを失うことも多いのです。なるべく余分な練習はせず、本当に必要なことだけを的確に理解して練習をし、人間的に豊かになって、世界全体を考えるような視野の広さを身につけて欲しいですね。そういう視点でのメッセージが出せるピアニストになって欲しいという願いを強く持っています。目的意識がないまま練習ばかりしていても、音楽的には下手になってしまうのです。」
今後どのような指導をしていきたいか?
「時代にそぐわないかも知れませんが、音に対する"感性"のようなものをどのように鋭くしたら良いのか、音楽に大切なこのことしか考えていませんね。」
播本先生は音楽の専門家を育てていますが、最近の音大生に期待することは?
「現代、考えられないような犯罪が多い中、右脳と直感力を鍛え、イマジネーションを育てるのは、とてもしにくい時代になってしまっているのですね。専門家にならないとしても、21世紀の人間には最も必要な部分が、ここにあるのではないでしょうか。
音楽を専門にする学生は、音楽の中にいれば夢を持てますから、こんなに幸せなことはないと、私は考えています。」
他の先生と比較して、播本先生の優れているところはどんなところですか?
佐藤展子(東京音大大学院修了、特別研究生修了、ピティナ特級グランプリ):「曲全体のことも、音に対しても、頭の中がすごく整理整頓されますね。」
佐藤圭奈(東京音大演奏家コース2年):「何でも見透かされてしまいますね、何でも。特に自分で明確になっていなかった部分は、たちまち見抜かれてしまいます。」
近藤麻里(東京芸大大学院修了):「どこのステージで弾くよりも、このレッスン室で弾くのが最も怖いです。ここで上手く弾ければ、もう大丈夫だと安心できます。このレッスン室で演奏すると、必ず反省するところがたくさん発見されるんです。」
大川香織(東京芸大4年):「生徒に応じた、合ったレッスン方法、生徒をよく見て、応じたレッスンをして下さいます。本番に向けてうまくテンションを高めてくれるのもありがたいですし、もうだめと思う時も、精神的に整えてくれるのが先生のすごいところです。」
逆に良くないところはどんなところ?
播本先生:「これは、私が自分でわかっている、時間にルーズ!レッスンもどんどん伸びてしまう。それが激しいんですよ。昔からだめです。
私のいいところ?自分で言わせて頂けるならば、私は『先生』と思っていないことかな。先輩だと思っています。生徒がとにかくかわいい。レッスン時は集中しているから、どんどん夢中になって、伸びてしまう。どうもこれは直らないわね、みなさん、ごめんなさい・・・」
播本先生に習って良かったなと思うことは?
佐藤展子:「こう弾くべきと押しつけられることはなくて、自分がフリーになれることですね。いろんなことを見て感じたままをより自由に、自分らしく弾かせてくれる。束縛されないです。」
播本先生が誤解されているのではないかというところはありますか?
大川香織:「男性的と思われがちのようですが、実は女性的な方です。」
播本先生:「体が大きいからか、愛想が悪いからか皆、私のこと怖いと思っているらしいのよ、学生時代から。」
近藤麻里「怖いどころかフレンドリーな面もあって、レッスンではなくても播本先生を訪ねてくる生徒さんがいたりするんですよ。驚いてしまいます。」
播本先生は、ピアノ以外ではどんな職業に向いているでしょう
大川香織:「政治家なんて良さそう。」
近藤麻里「あと、占い師かな。予言者みたいなところがあるんですよ!」
播本先生:「予言ができるわけではないのよ、何も話をきかなくても音を聞いたり、顔を見ただけでその人の状況が見えてしまうとか。例えば曲を選ぶにしても留学するにしても、果ては人生に迷った時も、その人が進むべき、選択すべき方向が分かるというのはありますね。だけど自分のことは全然わからない!」
卒業してからも、生徒さんが先生のところに相談しにいらっしゃるという理由がわかります。お疲れのところ丁寧に対応をしていただき、大変感謝しております。急遽集まってくださった皆様、本当にありがとうございました。