ピティナ調査・研究

No.12 エラール

No.12 エラール
解説

エラール社(1780--1959)は1780年にセバスチャン・エラールによって創業された、19世紀フランスを代表するピアノ・メーカー。歴史的な作曲家(ハイドン、ベートーヴェン、リスト、ショパン、メンデルスゾーン、ヴェルディ、ワーグナー、シャブリエ、フォーレ、ラヴェル)がエラールを所有していただけでなく、18世紀には顧客にマリー・アントワネット王妃もいた王宮の楽器職人であった。パリ音楽院の業者であったこともあり、19世紀後半のパリ音楽院でのレッスンはエラールのピアノで行われ、音楽家、ピアニスト、作曲家達が、その響きによって育成されている。そして、時代の先端を行くピアニスト(若きリスト、ルービンシュタイン、パデレフスキー)が広告塔となってエラールを演奏会で使用し、その発展を促した。

このエラールは1877年製、シリアルナンバー51399、長さ2m48cm、鍵盤は現代のピアノより高音が3音少ない85鍵。このサイズのピアノは、音楽家や作曲家に使われていただけでなく(ワーグナーやヴェルディが所有)、19世紀後半から第1次世界大戦まで、大邸宅のサロンによく置かれていた。楽器の特徴は、平行弦であること。現代ピアノのような交差弦ではなく、弦が交わらないことにより、各音域がそれぞれの音色をクリアに保持できる。それは、エラールが創業当時チェンバロメーカーであったことを思わせる、当時からの鍵盤楽器の伝統であり、同時にオーケストラのような音色の多彩さをピアノが持っていることを物語っている。エラールの重要な発明である「ダブル・エスケープメント」と呼ばれる、現代ピアノのアクションの元となるアクションが、このピアノにも使われている。当時、リストなどの天才作曲家、ピアニストと共に追及されたこのメカニズムの反応の鋭敏さは、素早い連打を可能にし、ピアノ表現の多彩さ、技巧を飛躍的に発展させた。明確で適切なタッチのコントロールを要求し、それができると限りない色彩感を引き出すことができる。楽器が作曲家のインスピレーションの源ともなり、エラールのピアノが19世紀に主にヨーロッパで活躍していたピアニスト達に愛用され、それによって発展した楽器であることを思い起こさせる。エラール独自の「アンダー・ダンパー」は、ダンパーを弦に向かって上に持ち上げる事により消音する。そのため消音に少し時間がかかり、響きが自然に減衰する効果があり、まるで弦楽器か声が自然に消える様を連想させる。このピアノには、当時他のメーカーではすでに採用されていたソステヌートペダルがなく、2本しかペダルがない代わり、このアンダー・ダンパーにより常に適度な余韻が残る。そして低音を保持しながら上声部のハーモニーを、細かくペダルを操作することにより、響きを変えることを可能にしている。

ドビュッシーは演奏会を開くとき、自ら選定した少し古いエラールを弾いていた。フォーレは、1914年製の1m85cmの平行弦のエラールを所有していたという。モンフォール・ラモリーのラヴェルの邸宅(1921年から37年までの住居)を訪ねると、仕事場にラヴェルが愛用していた木目の美しい、1909年製の2m12cmの平行弦のエラールが置かれている。エラールとフランスのピアノ奏法はとても強いつながりがあり、ジュ・ペルレ(le jeu perlé)と呼ばれる鋭敏なタッチと音色の多彩さに特徴付けられ、それらはチェンバロからの伝統であり、とりわけエラール・ピアノの響きと関係があると言われる。

19世紀後半のアメリカで創業されたスタインウェイ&サンズ社が、交差弦を採用し鉄の鋳造フレームを取り入れたが、エラールが交差弦への転換を始めたのは20世紀初頭になってからだった。時代の流れによりピアノ製造の主流から取り残されていったエラール社は、1959年にフランスのピアノメーカー・ガヴォ―社に吸収され、現存しない。(解説:伊藤 綾子)

動画で解説を見る(演奏が聞けます)
楽器種別 グランド・ピアノ
製作者・製作年 エラールErard
概要 [アクション] 突き上げ式
[ペダル] 2本
[制作年代] 1877年(シリアルナンバー51399)
[全長] 248cm
[鍵盤数] 85鍵
[音域] -
関連情報
取材について&ご協力御礼
この楽器は石橋財団ブリヂストン美術館が所蔵しています。取材に同行し、楽器の解説文を書かれたのはピアニストの伊藤綾子先生です。この場をもって、ご協力くださった皆さまに御礼申し上げます。(ピティナ・ピアノ曲事典編集部)