ピティナ調査・研究

No.5 チェンバロ ブランシェ

No.5 チェンバロ・ブランシェ
解説

フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世(F.E. Blanchet II, c.1730-1766)は、代々フランス王朝に仕えた、鍵盤楽器製作の名家出身である。
父、ブランシェ1世は、当世最高のチェンバロ製作者であり、息子も優れた製作者であった。

チェンバロは、鍵盤を押すと他端に乗っているジャックと呼ばれる薄板状の部品が持ち上がり、その側面に付けられた鳥の羽軸などで作られた爪状のもの(プレクトラム)が弦を下から上に弾いて音を出す。
1397年には、オーストリアのヘルマン・ポールによって発明されていたとされ、その後イタリア、フランドル地方、フランス、イギリスへと伝わり、チェンバロ文化はそれぞれの土地で個性豊かに花開いた。
鍵盤は1段や2段、足鍵盤付きのものなどがあり、大きさも音量も様々。フランス語では「クラヴサン」、英語では「ハープシコード」と呼ぶ。

このブランシェ2世による1765年製の楽器は2段鍵盤で、弦は下鍵盤に2本(8フィートと4フィート)、上鍵盤に1本(8フィート)張られている。4フィート弦は、オクターヴ上の音が出る、長さが半分の弦である。
上鍵盤を奥へスライドさせるマニュアル・カプラーという機構を使うと、下鍵盤を演奏する際に上鍵盤も連動し、2本または3本の弦を同時に鳴らすことができる。またバフ・ストップと呼ばれる機能により、弦に柔らかい物を触れさせて、リュート音のような効果を出すことができる。 外観は実に豪華で、音色は軽やか且つ華やか。
時はロココ文化が栄え、ルイ15世の統治下にあったフランス。ベルサイユ宮殿は、贅の限りを尽くして改装・増築が繰り返され、絶対王政の象徴としてそびえ立っていた。
この艶やかな楽器は、F.クープラン(1668-1733)やラモー(1683-1764)らに代表される優美なクラヴサン音楽が栄えた時代のフランスの薫りを、今日に届けてくれるようだ。 F.クープランはブランシェ2世の父のクラヴサンを所有していたという。(解説:宮崎 貴子)

動画で解説を見る(演奏が聞けます)
楽器種別
  • チェンバロHarpsichord
製作者・製作年
  • F.E.ブランシェ2世(パリ)François Etienne BlanchetⅡ(Paris)  1765年頃
概要
  • [全長] 233.0cm
  • [鍵盤数] 61鍵
  • [音域] F1~f3
  • [アクション] カプラー バフストップ
  • 取材協力:浜松市楽器博物館
動画
解説
試奏
関連情報
同時代の代表的な楽曲

この楽器が制作された1765年といえば、作曲家モーツァルトが神童としてヨーロッパを旅していた頃です。そのモーツァルト一家は1763年から翌年にかけてヴェルサイユ宮殿に滞在。6歳のモーツァルトが王の前で演奏したのも、このブランシェのように豪華な外観を持つクラヴサン(=チェンバロ)だったでしょう。フォルテピアノへの移行期でもあったこの時代、チェンバロで鳴らされた曲がどのようなものだったでしょうか。当時のパリではヨハン・ショーベルトなどのドイツ人作曲家が活躍しており、初期のモーツァルトもその様式を模倣していることから、ショーベルトやエッカルトといった、パリ在住の外国人流行作曲家の作品が鳴らされる機会が多かったかもしれません。このページに載せた試奏動画では何気なくバッハのパルティータ6番の冒頭を鳴らしていますが、バッハのストイックな音楽は、この楽器のゴージャスな響きとはいかにもミスマッチです。一方、ラモーやクープランといった作曲家たちは、この楽器が作られた時代からさかのぼること100年以上前に活躍した人物ですが、この楽器の華やかでかつ懐古趣味的な姿は、彼らの曲と相性が良さそうです。(文責:ピティナピアノ曲事典編集部)

資料
この楽器を見られる場所
〒430-7790 静岡県浜松市中区中央3-9-1
9:30~17:00(休館日
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