No.2 プレイエル(1830)
プレイエル社は1807年パリ設立のピアノ・メーカーである。創業者であるイグナツ・プレイエル(Ignaz Pleyel, 1757-1831)は、ハイドンに学んだ優れた音楽家でもあった。エルデーディ伯の宮廷楽長、ストラスブール大聖堂の楽長などを務め、多くの交響曲、弦楽四重奏曲等を残した作曲家であり、パリで出版業も営む傍ら、1807年にプレイエル社を設立。
プレイエルは、当時パリのピアノ技術界において異彩を放っていた製作者アンリ・パプ(Jean-Henri Pape,1789-1875)のサポートを得、イギリスのピアノ製作技術をいち早く取り入れて、めきめきと頭角を現した。
間もなく長男カミーユ(1788-1855)が経営に加わり跡を継ぐ。カミーユもまた優れたピアニストで、製作者としての才にも恵まれており、ピアニストのカルクブレンナーらの協力のもと技術の研究、改良を重ねて、プレイエルの一流ピアノ・メーカーとしての地位を確固たるものにする。
プレイエル社はまた、ショールームの併設されたサロンを設立。1832年、ショパンはそこで歴史的なパリデビューを飾った。
ショパンがパリで行った4度の公式演奏会は全てこのサロンで行われ、プレイエルピアノに深く魅了されたショパンは後に1839年製のピアノを購入している。
「疲れているとき、気分が優れないときはエラールのピアノを弾き、気分が良く体力のあるときにはプレイエルのピアノを弾く」とはショパンが弟子に語ったとされる有名なフレーズ。追求すればするほど自分に応えてくれる楽器として、プレイエルを生涯愛用した。
またカミーユとショパンは個人的にも深い親交を保った。
この1830年製のピアノはイギリス式のシングルエスケープメントで、繊細なタッチを要する。打鍵は軽く、イギリス式の「余韻が残るダンパー」が採用されており、響きに歌声のような伸びがある。
弦は平行に張られており、透明感のある音色。(解説:宮崎 貴子)
楽器種別 |
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製作者・製作年 |
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概要 |
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- 取材協力:浜松市楽器博物館
プレイエルといえば、ショパンが愛した楽器としてその名を知られています。1832年、パリでのデビュー・コンサートに臨んだショパンが演奏したのもプレイエルでした。練習曲作品10が出版されるのは1833年のことです。まだ楽器としてのピアノの変化が激しい時代ですが、1830年代の作品を聴く、あるいは演奏する際には、このプレイエルの音をイメージすると良いかもしれません。(文責:ピティナピアノ曲事典編集部)
- ショパンのノクターン作品9や作品15、バラード1番、プレリュード作品28など。