落語の稽古 いま・むかし
執筆:野村亮太/執筆協力:桂銀治
師弟関係がはっきりしている落語の世界には、どのようなレッスンがあるのでしょうか。
まず身も蓋もないお答えを申し上げますと、落語にはレッスンはありません。もしかすると、師匠が手取り足取り「ここはこうするんだ」と教えてくれる光景を思い浮かべる方もいたかもしれません。しかし実は、落語にはそのような意味での稽古はないのです。
もちろん中には稽古の好きな師匠もいて、細かに教えてもらえることもありますが、それはあくまで例外です。師匠からの指導といえば、前座のころに、基本的な人物区別の動作や声の出し方などを教わる程度です。
その後、師匠からの指導めいたものがあるとすれば、高座を降りたときに一言フィードバックをもらえるかどうか、というくらいでしょう。とはいえ、それもよほど出来が悪かったときに叱言(こごと)をいただく、という場合がほとんどのようです。自分で考えて、自分で工夫し、芸にしていかなければならないというのが厳しい芸の世界ですね。
直接のレッスンがない落語にも、稽古は存在します。この稽古は、新しい演目(以下、「ネタ」と呼びます)を上演のレパートリーに加えるために、他の噺家から教わる際に行われます。落語の世界では、どんなネタでも自由に演じてよいわけではなく、他の噺家から教わり、上演の許可を得る必要があります。これを「アゲてもらう」といい、ここで行われるのが落語における稽古です。
噺家が新しいネタを覚えたいと思い立つと、そのネタを得意としている噺家に連絡を取り、教えてもらえないかと願い出ます。いざ教えてもらえることになると、教えてくださる方の自宅や都合のよい場所に伺い、差し向かいでの稽古が始まります。
かつては「三遍稽古」と呼ばれる方法が取られていました。これは、まず教える噺家が見本として三回、その噺を通して演じてくれるというものです。その後、教わる側が演じてみて、問題がなければ上演の許しが与えられ、晴れてレパートリーの一つに加えることができます。
公演してよいかどうかを判断するのが「アゲ」の稽古です。教わる側が十分にできていなければ、やり直しになります。とはいえ、教えてくれる方の貴重な時間を割いてもらっているにもかかわらず、「できない」というのは大変失礼ですので、準備不足の状態で臨むことは、業界の常識としてもあってはならないことです。必然的に、教わる側は稽古に向けて必死に覚え、極限の緊張感の中で見てもらうことになります。だからこそ、噺家は一度覚えた噺を忘れないのではないか、ともいわれています。
時代は下り、現代では三遍稽古はほとんど行われていません。教える側が見本を1度しゃべってくれるのを録音し、それを聞いたり書き起こしたりして覚えて、アゲの稽古に臨みます。ボイスレコーダーが普及してからは、師匠の見本を録音させてもらい、何度も聞き直して覚えるようになりました。また、近年ではスマートフォンで録音しても気にしない噺家も多いということです。そう考えると、三遍稽古は、無筆(読み書きができないこと)が多かったり、録音機材がそもそも無いとか希少であった時代に、噺を継承するための方法であったようです。
ここで素朴な疑問が浮かぶかもしれません。それは、商売道具であるネタを、そんなに簡単に教えてもらえるのか、という点です。
基本的には教えてもらえます。お願いした先の噺家自身がそのネタを教わった方がご存命である場合や、伝承を止めているネタである場合などを除けば、おおむね稽古をつけてもらうことができます。
しかも驚くべきことに、稽古をつけてもらう相手は、入門した師匠に限られません。むしろ、直の師匠から教わるケースの方が稀です。一門の垣根を越えて教わることもできますし、さらには所属団体(落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流など)の壁を越えて教わることすら可能です。このシステムは、師弟関係を基盤とするコミュニティとしては、世界的に見てもきわめて珍しい状況だと考えられます。
お願いすれば教えてくれる理由をお尋ねすると、多くの場合、「自分も先人に噺を教わってきたのだから、今度は自分が後進に教える番だ」という答えが返ってきます。これはきわめてシンプルな規範ですが、この考え方こそが、さまざまなネタをコミュニティの共有財産として継承することを可能にし、落語が現代まで生き続けてきた理由の一つだと考えられます。
教わる噺の中身について触れておきましょう。ネタを教わる際には、どんな状況で登場人物が何を話すかといった骨格部分のみが伝えられます。つまり、味付けのされていない、プレーンな噺を教わるのです。その噺に自分なりの工夫を加え、自分の持ちネタへと育てていきます。これは、素の楽譜だけを受け継いで、そこに自分の考えで発想記号を書き込んでいくようなものです。そう考えると、噺家は単に演じる者であるだけでなく、創作する者としてもネタと関わっていることになります。
- [1] 野村亮太・丸野俊一 (2009) 熟達した噺家の語りに〈核〉として現れる中心的な概念: 共起ネットワークマッピングによる噺家の信念地図の作成. 笑い学研究, 16, 12–23.
早稲田大学人間科学学術院准教授。1981年、鹿児島県に生まれる。2008年、九州大学大学院で人間環境学府行動システムを専攻し、期間を短縮して修了。2019年、東京理科大学大学院工学研究科経営工学専攻修了。博士(心理学)、博士(工学)。2020年4月より早稲田大学人間科学学術院にて劇場認知科学ゼミを主宰。著書に『やわらかな知性 認知科学が挑む落語の神秘』、『舞台と客席の近接学 ライブを支配する距離の法則』(いずれもdZERO)がある。
撮影:橘蓮二
本名 渡辺渉。1995年、宮崎県に生まれる。2019年4月、三代桂伸治の7番目の弟子として入門を許される。2023年9月二ツ目に昇進し、名前を銀治に改める。2025年第25回さがみはら若手落語家選手権準優勝。
落語のお稽古事情、いかがでしたか? 「骨格」の話など、ピアノレッスンにとっても示唆に富む話題だったのではないでしょうか。さて、次回からはまた新たなテーマが続きます。少し準備の時間をいただきます。新年度も、海外留学や本番に向けての「あがり」など、さまざまなテーマを扱います。お楽しみに!

