ピティナ調査・研究

「質」と「量」の交差点で、ピアノ練習・熟達化を科学する(後編)

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「質」と「量」の交差点で、ピアノ練習・熟達化を科学する(後編)――行動科学の研究から見えてくる熟達のプロセス

執筆:大澤 智恵

前編では、「質」と「量」という言葉を、研究での定義──つまり「情報の2つの側面」として捉え直してみました。今回は、その2つの側面からピアノ練習をとらえた研究を見ていきたいと思います。

「質」の変化をたどる──Gruson(1988)の研究

まずご紹介したいのは、Linda M. Gruson によるピアノ練習の質的側面に満遍なく注意を向けて行われた研究です(Gruson, 1988)。

Grusonは、ピアノ練習者を初心者から上級者まで対象に、課題曲を練習する様子をビデオで記録し、その行動を詳細に分析しました。焦点を当てたのは、「どんな練習行為が行われているか」。彼女は、練習中の行動を、以下のようなカテゴリに分類しました。

間違い、音符の繰り返し、小節の繰り返し、セクションの繰り返し、曲全体の繰り返し、遅くする、停止、速くする、自分をガイドする言葉を言う、声に出して読む、声に出して数える、フラストレーションの表明、両手別々に弾く、曲の完成を断念する、指定曲以外の演奏、他者の介入 など

レベルの高い練習者ほど、単音などの小さな単位ではなくより大きなセクションの繰り返しが多い、というのがこれらのたくさんの練習行動を分析してみて得られた一番はっきりした結果でした。

Grusonは、さらに練習の戦略についてのインタビューも行い、その内容もあわせて分析しました。そして全体として、以下のような考察が得られました。

  • 初心者・初級者は、楽譜に印刷された 個々の音符と楽器上の対応する位置とを結びつけることに焦点を当てる必要 があり、音楽の構成要素を組み合わせて演奏全体をつくっていく というプロセスで技能を習得していく。
  • エキスパートは、音符と手の動きのパターンの関係を自動化することができ、練習全般においてはより大きく複雑な音楽のパターンに集中していた。間違いが起きてもすぐに単音に戻るのではなく、 曲の全体構造や大きなまとまり(フレーズやセクション)を意識したまま、それを再構築するように練習(=トップダウン・アプローチ)していた。

この研究は、練習の「質」を行動の内容や目的から満遍なく丁寧に読み取ろうとしたものであり、指導者にとっても「どんな練習をしているか」を観察する大切さを示唆しています。

一方、そのようにして練習をくまなく、そして様々なレベルの練習者を対象に観察することで、「どのぐらいの『大きさ』の単位で楽曲や演奏を把握するか」ということの違いがどうやら熟達と関係しているらしい、ということがわかってきました。

これが次に紹介する、より徹底して「量」に目を向けた研究につながっていきます。

「量」に注目して見えてきたこと──Williamon ら(2002)の研究

続いて、Gruson の上記の研究から14年後に発表されたAaron Williamon たちの研究。

Gruson の発見も視野に入れながら、Williamonらは、あえて「質的な情報をいったん脇に置く」というアプローチをとりました(Williamon, 2002)。彼らが注目したのは、「練習をどんな単位で進めているか」という量的側面です。

実験に参加した練習者たちは新しい楽曲を数回のセッションで練習し、その全過程が記録されました。Williamonたちは、参加者が ひと続きで弾いた区間(=練習セグメント) の長さを、拍節・小節数で定量化し、時系列的に追いました。すると、興味深いパターンが浮かび上がりました。

練習が進むにつれて、また、スキルレベルの高い参加者ほど、1回で弾く 区間の平均的な長さが伸びる だけでなく、 その区切り方(セグメント)の長さの「ばらつき」が大きく なっていました。

つまり、上達した人は、 いつも同じような長さで練習するのではなく 、「ここは短く集中」「ここは長く通しで」というように、 練習の単位を自在に変える柔軟性 を持っていることが、 単なる数値データ から浮かび上がったのです。さらに、練習者たちへのインタビュー調査によると、これは楽曲構造のさまざまなレベル(フレーズ、節、全体)に意識を移動させながら練習していることの反映だと考えられました。

数値だけを見ていたはずなのに、そこから 「曲の構造に合わせて、注意の焦点を柔軟に行き来させる」 ことができるようになるという、練習や能力の 「質」の変化が見えてきました 。「量」を測ることで、かえって「質」の核心が見えたといえるかもしれません。

彼らはこのあと、同じ論文において、2名のプロのピアニストがバッハの課題曲を暗譜し、頭の中で演奏したり実際に手を動かして演奏したりする際の思考を詳細に言語化するという課題を通して、より詳細な「質的」研究も報告しています。その中では、演奏家が楽曲構造の様々なレベルを柔軟に行き来し、それによって演奏に関する情報を頭の中でうまく記憶しやすい形に変換してストックしたり、その記憶を検索して探し出したりしている、ということが示されました。

「質」と「量」の交差点で

Grusonの研究では、「どんな練習をしていたか」という質的な情報に目をむけて、行動を丁寧に観察した研究でした。Williamonの研究は、まずは「何小節何拍続けて弾いたか」という、質的情報をそぎ落とした量的なデータを基礎にしていました。

これらの研究でみられた熟達に伴う変化には、「どんな構造単位で音楽をとらえているか」という「質」と「量」の両面でとらえられる変化が潜んでいました。「質」と「量」は切り離せるものではなく、 互いを通してもう一方が浮かび上がる 関係にあると考えられます。

量的に見る勇気をもつと、質的な気づきが生まれる。質的に観察する目をもつと、量的なパターンの意味が見えてくる。そして、見通し良く、練習や上達を俯瞰的にみることができるようになる――行動科学的アプローチが教えてくれた、「質」と「量」の「交差点」に立つことのメリットがここにあります。

指導に生かすとしたら

レッスンの中で、生徒が「 どんな単位で弾いているか 」を意識的に観察してみると、練習の課題や理解の段階に関する様々な発見があるかもしれません。

同じ曲を練習していても、1音1音を確認して弾きたがる子、1小節ぐらいずつ区切る子、8小節まとめて弾く子、通して弾きたがる子、──それぞれの「区切り方」には、学習者自身が 今、何に注意を向けているか が表れています。その区切り方を一緒に振り返ってみることで、学習者自身が「自分は今、どんなことに注意を向けているのか」を客観的に捉えるきっかけになるかもしれません。

おわりに

練習の「質」と「量」は、どちらが大事かではなく、どのように関わり合っているかを見ていくことが重要です。GrusonとWilliamonら、それぞれの研究は異なるアプローチをとりながらも、どちらも熟達のプロセスを鮮やかに描き出しています。

「質」と「量」の交差点に立つとき、私たちは「熟達の正体」をより多面的に理解でき、そしてその視点が、ピアノ教育の実践にも新しいヒントを与えてくれるのではないでしょうか。


文献
  • Gruson, L. M. (1988). Rehearsal skill and musical competence: Does practice make perfect? In J. A. Sloboda (Ed.), Generative processes in music: The psychology of performance, improvisation, and composition (pp. 91–112). Oxford University Press.
  • Williamon, A., Valentine, E., & Valentine, J. (2002). Shifting the focus of attention between levels of musical structure. European Journal of Cognitive Psychology, 14(4), 493–520.
    https://doi.org/10.1080/09541440143000221
執筆:大澤 智恵(おおさわ ちえ)

音楽教育学者・音楽心理学者。信州大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了、東京学芸大学連合学校教育学研究科において論文提出による博士(教育学)。演奏中の知覚認知と運動制御に注目して基礎技能研究を進めている。武庫川女子大学音楽学部応用音楽学科准教授。


次回予告

練習をめぐる研究アプローチの違いに親しんだところで,次回は,脳科学のエキスパートに登場いただきます。
脳科学によって説明される演奏のメカニズムとは? お楽しみに!

執筆:田中 昌司
たなか しょうじ◎名古屋大学大学院工学研究科博士課程修了・工学博士。2023年まで上智大学理工学部教授。現在、上智大学名誉教授、日本声楽発声学会理事。客観的なデータ解析のみに頼らず、人間の主観的な経験や感情など、心の内面の解釈に重きを置いて脳を研究するロマン主義脳科学者。音楽や文学との融合を図り、癒しや自己再構築などの研究テーマに取り組んでいる。
次回記事の内容

演奏が上達するまでに長い時間が必要なのは、演奏スキルの習得に関わる脳の神経ネットワークが、じっくりと鍛え上げられていく仕組みをもつためです。では、私たちはどのようにして演奏スキルを脳に刻み込み、熟練した音楽家の脳はどのような特徴を備えるのでしょうか。これまでの研究成果を手がかりに、その過程をたどってみたいと思います。


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