第31回 ベーレンライター/『ドビュッシー/映像 第1巻・第2巻』
Debussy, Claude Images 1st series・2nd series
・編集:Woodfull-Harris, Douglas
・品番:第1巻 BA 10821/第2巻 BA 10822
・価格:1,960円?2,520円
解説:金子一朗
ベーレンライター版の楽譜は、J.S.バッハ、モーツァルトの楽譜などに代表されるように、過去に残された膨大な資料を基に、作曲家が最終的に残したかったと想定される作品の姿を、最新で正確無比な形で我々に提供してきました。楽譜はすべて原典版ですが、これは、ベーレンライター版が、作曲家の作品に込められた意思を最大限尊重するからに他なりません。しかし、その一方で、楽譜には、可能な限り演奏者が演奏しやすい形で提供する使命もあるでしょう。そこに編者の意図が少なからず入ることになります。このバランスをとることが、原典版を出版する難しさの一つだと思います。ベーレンライター版では、たとえば、J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集やフーガの技法の楽譜では、4声のフーガにおいて、ソプラノとアルトは上段、テノールとバスは下段に記載しています。これは、バッハの自筆譜または写本の形態に基づくものです。しかし、演奏する際は、特にアルトやテノールは、左右どちらの手で演奏するかは演奏者に任されています。他の多くの原典版では、編者の考えた運指などを基に、アルトやテノールをそのときに応じて上段に書いたり下段に書いたりしていますが、運指は演奏家によって異なるため、作曲家の意図とは必ずしも一致しません。こういったことに代表される編者の意思を可能な限り排除した、作曲家の素の意思の結晶がベーレンライター版の楽譜であるといえます。
今回出版されたドビュッシーの映像第1集、第2集の楽譜は、こういったベーレンライター版の意図が反映された素晴らしいものです。すでに出版されているこの作品の楽譜との幾つかの相違について編者に直接伺ったところ、それらすべての理由について、極めて高いレベルの考古学的な考証が行われた上での回答をいただきました。そのことからも、この楽譜が、現在出版されているこの作品の多くの楽譜の中にあって、特別な位置にあることがわかりました。
また、ドビュッシーの作品についての著書は数多くありますが、この楽譜では、作品について凝縮された前書きがあり、かなり充実したものとなっています。これは、さまざまなレベルの演奏者や教育者がこの作品を演奏、指導する際、極めて貴重なものになるでしょう。具体的には、先にこの作品の概略、すなわち起源や美学について述べられ、その後、演奏上の注釈として、音、強弱、テンポとリズム、アーティキュレーション、ペダル、運指などについて、ドビュッシーの求めていた表現のエッセンスが的確かつ簡潔に述べられています。バロック時代の作品では、楽譜に強弱、テンポ、アーティキュレーション、ペダルなどの情報がほとんど記載されておらず、その後、次第に作曲家はこういった細かな指示を楽譜に書くようになってきたのは有名な事実で、ドビュッシーの自筆譜も例外ではなく、極めて細かな情報が書かれています。しかし、表面的にこういった情報を音にしてもドビュッシーの音楽の本質を表現することは困難です。ドビュッシーの考えていた表現の趣味は、バロックからロマン派までの作品のものとはかなり異なりながら、その一方で過去の優れた作曲家の様々なスタイルを知った上で表現されています。そういった事柄についてもわかりやすく簡潔にまとめられています。また、ドビュッシー自身が記載したペダルについての指示は極めて少なく、その具体的な使用法も含め、この前書きは演奏者に対し、ドビュッシーの楽譜の指示の表現する方法について、多くの貴重な情報を提供しています。
私は、ベーレンライター版の優れた編集に基づくこの楽譜が、ドビュッシーの作品の真実と魅力を後生に伝える重要なものになると確信しています。
演奏: 金子一朗
生熊 茜(東京藝術大学ピアノ科2年/2009福田靖子賞選考会奨励賞)
木村友梨香(東京音楽大学ピアノ演奏家コース2年/2009福田靖子賞選考会奨励賞)
久保山菜摘(桐朋学園大学音楽学部2年/2009福田靖子賞選考会奨励賞)