第90話『シーボルトのカメラ♪』
まずは、『夢の浮橋』のモチーフを活かしてピアノ曲を制作する事とした。静寂と集中を求めて現代へ戻ると、叔父のすむ京都貴船※1に身を寄せた。恩師の著書を紐解きつつ、『夢の浮橋変奏曲』※2の作曲は徐々に進む。2月初旬、鍵一は河井寛次郎記念館※3で陶芸家に出会った。
シーボルトのカメラ♪
魚上氷
※4午後、陶芸家はバウムクーヘン※5を手土産に来た。古美術商となごやかに挨拶を交わし、雪の残る庭を見わたして、
「すてきなアトリエねえ」
しきりに褒めた。この貴船の山奥で、登与子の山吹色のロングコートは春のかたまりだった。彼女がゆらゆらと庭を歩くと、草木がそちらになびいて、我も我もと春へつられてゆくように見えた。ふいに、鍵一は19世紀パリの春を思い出した。セーヌ川に沿って眩しく続くミモザの道。時空を隔てた遥かな黄金色が、決して登与子と無関係ではなかった。
「
川原慶賀
※6という、わたしのご先祖様らしき人の描いたものです」
絵巻物の包みを解きながら、陶芸家は切り出した。
「ご先祖様?」
鍵一が聞き返すのと同時に、「なるほど、『シーボルトのカメラ』か」叔父が身をのりだした。「慶賀の絵は大抵オランダが持ってるんだが※7、じつはまだ日本に眠ってる作品があるんだよな。長崎の古い家から時々ひょっこり出たりする」
「ありがとうございます、慶賀を知っていて下さって」
笑って陶芸家は箱書き※8を示した。見れば、『夢之浮橋図』の銘。
「『夢の浮橋』……!」
「本物かどうかはアヤシイですけど。まア、贋作だとしても、鍵一さんの研究になにか関係ありそうでしょう?」
古美術商が箱書きを検めている間に、登与子と鍵一は長机をならべた。緊張する肩に猫のフェルマータがふわりと跳び乗り、そのまま縁側へ降りて行った。鍵一の右肩に温かな足跡の感触がのこった。
「鍵一さんはシーボルトを知っている?」
うなづいて、その名前を鍵盤のイメージとともに思い起こした。江戸後期の長崎にピアノを持ち込んだ人物である※9と、師の編纂中の音楽史に記述を見ていた。
「江戸時代の人ですよね」
「そう、ドイツから来たお医者様」
嬉しそうな陶芸家の顔をみて、鍵一は手土産の意図を了解した。ドイツから来た美味しいもの。
「シーボルトは日本の風土の研究をしてたんだけど、当時はまだカメラがないでしょう。だから、慶賀に頼んで」
「絵を描いてもらったのですね……!」
「そう、そう。当時、写実画が上手い絵師なら長崎にたくさん居たようだけど。なかでも慶賀は、シーボルトと気が合ったんでしょうね。好奇心も旺盛だったと思う。日本の植物や魚の絵を何百枚も描いたほかに、西洋音楽の風景も描いてた。長崎で上演されたオペレッタとか」
Animato
※10に話し続けながら、登与子の手が絵巻をひろげる。長机に顕れた風景を見て、さしもの叔父も唸った。鍵一は案外しずかな心地で居た。チェルニー氏から託された楽譜を眺めながら、エラール・ピアノの音色を夢に聴きながら、思い描いてきた演奏風景がいま、目の前に在った。
♪夢の浮橋
つづく
日本最大級のオーディオブック配信サイト『audiobook.jp』にて好評配信中♪
第1話のみ、無料でお聴きいただけます。
鍵一が作曲するピアノ独奏曲。幻の名曲『夢の浮橋』のモチーフを活かし、12の変奏から構成されます。2023年5月27日(土)、本作の音楽朗読劇とともに抜粋版が演奏されます。
陶工、河井寛次郎(1890-1966)の住居兼アトリエを基とした私設美術館。2023年に開館50周年を迎えます。
七十二候のうち2月14日~2月18日頃。氷が割れ、魚が跳ねる頃。
ドイツの伝統菓子。ドイツ語でバウム(Baum)は「木」、クーヘン(kuchen)は「ケーキ」。
川原慶賀の作品は、シーボルトやオランダ商館員によってオランダに持ち帰られたため、その多くがオランダにあります。2018年にはオランダ国内で慶賀作の屏風が見つかり、ライデン国立民族学博物館の所蔵となりました。
書画・茶道具などを納めた箱に、作者名や由来などを記すこと。また、署名そのもの。所有者が記す場合もあります。
ドイツ人の医師シーボルトは、1823年にオランダ商館医として来日した際、イギリス製のスクエア・ピアノ(ウィリアムロルフ・アンド・サンズ)を長崎に持ち込みました。このピアノで、2022年にはコンサートが開催されました。
※記事中の「日本最古のピアノ」という表記について。「シーボルトのピアノ」は日本に初めて到着したピアノである可能性がありますが、後年、より古い年代の楽器が複数、日本に渡来しています。
音楽用語で「元気に、活き活きと」の意。