ピティナ調査・研究

第11話『ひゅうどろどろ♪』

SF音楽小説『旅するピアニストとフェルマータの大冒険』
前回までのあらすじ
悩める18歳の新星ピアニスト・鍵一は極秘ミッションを携え、1838年のパリへとワープする。19世紀のチャーミングな芸術家たちと交流する中で、ついに鍵一は自分の重大な弱点に気づいた。焦り、悩み、スッ転ぶ鍵一。なんと今夜は、フランス絵画の革命児・画家ドラクロワから『きもだめし』に誘われて……!?
ひゅうどろどろ♪

「えッ、きもだめし……!?」
「このパリのポン・デ・ザール(芸術橋)に夜な夜な音楽家の幽霊が出るって、凄く噂になってるのよ。ワクワクしちゃう!ねえ、これから幽霊に会いに行きましょうよ」
ドラクロワがパッションピンクの髪を揺らしてピョンと跳ね上がるのを、鍵一は「参ったなあ」困惑しながら、茜色の長い影を踏んで行く。
「すみませんが、ぼくはそういう都市伝説は信じない派なんです」
「ちょっと、アンタそれでも音楽家?ジョン・フィールドとか、フンメル大先生とか、超大物アーティストの幽霊に会えるチャンスかもよ?」※1
「常識的に考えて、幽霊なんていませんよ!それに、ふつうはこんな時間から出歩いたりしませんってば」
「ひゅう!それよ子猫ちゃん。アンタの問題は」
ドラクロワは腰に手をあてて、夕空に溜息を吹いた。ふたりの頭上にはいま、紅金色の夕暮と群青色の夜がたっぷりと入り混じって、空は巨大なキャンバスと化している。
「アンタ、『型破り』のお作法を知りたいって言ってたわよね? 
アーティストの卵として、自分のオリジナリティをどう打ち出していくか、お悩み中なんじゃなくて?」
(図星すぎて悔しいぼく。ドラクロワさんったら、見た目からして『型破り』のプロフェッショナルだもんなあ……)
「教えてあげるわ、『型破り』のヒント。『常識的に考えて、ふつうはこうでしょ』っていう話し方を、今すぐやめることよ」
「でも……世の中には、そういう話し方をすべき事柄のほうが多いと思うんですけど」
訝しむ鍵一を、アップルグリーンの瞳がフフッと笑う。生ぬるい夜風のとろとろと漂い来る路地を、ふたりはレストランへ向かって lento ※2 で歩き出した。
「子猫ちゃん。ご参考までに、アタシの話をお聞きなさいな。
今でこそ、フランス政府やブルジョワの皆さんから絵の注文をいただけるし、画壇でも一目置かれる存在のアタシだけど。
数年前まで、アタシの絵は誰にも認められなかったのよ」
「!」
「そうよ、『色彩の魔術師』なんてステキな称号をいただいたのはごく最近のこと。
ドラクロワといえば『邪道』『伝統の破壊者』『絵画の虐殺者』ってそりゃもう、ヒドい言われようだったんだから」
(ドラクロワといえば、セザンヌやモネ、ピカソにも影響を与えた超大物アーティストのはず……、一体何があったんだろう?)

夏のパリの夕暮

「そういえば革命前夜も、こんな満月だったわ」
懐かしそうに仰ぐドラクロワのレモンイエローのシャツが、この夕闇の中でもくっきりと浮かび上がって見える。 濃い紫色の空には、煌々と月が燈り始めていた。
「8年前……1830年の七月革命のときよ。パリの街に充満する怒りのエネルギーをヒリヒリと感じながら、アタシはどうしても、あの凄まじい現実を描かなきゃいけないと思ったの。
でも、当時はアタシだけだったわ。あんな凄惨な場面や、無名の貧しい人々を描く画家は」
「えッ……、じゃあ、それまではどんな絵が主流だったんですか?」
「英雄ナポレオン一色!あるいは聖書や神話のシーンを、みんな清く正しくお行儀よく描いてた。なぜって、権威ある偉い画家先生がそう決めたからよ。美しい絵画とはそういうものなんだ、フランス絵画はこう描くものなんだ、ていう『型』をね。
もちろんアタシだって、最初は先生に習ったとおりに、英雄や聖書や神話の絵を描いてたわ。そういう絵を描くためのテクニックも、国立美術学校でみっちり習得済み。このアタシの両手には、フランス伝統絵画の基礎がみちみちに詰まってるわよ」
両手でピースサインをつくるドラクロワにうなづきながら、鍵一の脳裏にふと、エラール氏の言葉がよみがえった。
(『基礎の詰まった指だな』って……老舗ピアノメーカーのピエール・エラールさんは、ぼくの演奏を聴いてそう仰ったんだ……)
「でもあるとき、ハッとしたの。アタシの描きたい絵はこんなものじゃない。現代の人々が求めてるのは、こんな理想を振りかざした絵じゃない。こんなお仕着せの、古い『型』にがんじがらめになった絵を描いても意味がない……!ってね。
もっとリアルで、もっと強烈な臭気を放って、観る人の心に刺さっていつまでもジクジクと熱を発し続けるような絵。アタシが描きたかったのはそういう絵だわ。
何を題材に描こうかと街へさまよい出たとき、アタシの目に飛び込んできたの。キオス島の虐殺事件のニュースが、自由を求めて噴き出した熱い血の臭いが!
アタシが殺戮の場面や、無名の貧しい人々を描き始めたのはそれからよ。いずれも、フランス絵画の伝統的な『型』からは無視されてきた題材だったわ」
「伝統的な価値観の方々からすると、大変なインパクトだったでしょうね……!」
「もう散々よ。画壇から干されて一文無しになって、ゴミ漁りをする生活だったわよ。そんな時に『外国人クラブ』のシェフが助けてくれて……
キャッ、そうこうしているうちに着いちゃった。あらやだッ、懐かしいわあ、あの2階の部屋の窓!あッ、これが噂の『風鈴』ね?」
ドラクロワがレストランの周りをキャッキャと走り回る間に、
(『外国人クラブ』のシェフがこの人を助けた理由、わかる気がする……)
鍵一はやわらかな溜息をついた。同時に、仄明るい希望が浮かんでくる。
(ドラクロワさんの話してくれたのは、この時代ならではのエピソードだけれど……仰ることは的を射てる。
『型破り』というのは、単に奇をてらうことじゃない。伝統的な価値観とテクニックの『型』をきちんと理解した上で、必要に駆られて、新たなルールを創り出すことなんだ。今は非常識に思えることが、次の時代では常識になることもある……)
「ドラクロワさん……ぼく、ご一緒します!きもだめし」
「あらッ、乗って来たわね、きもだめし」
「音楽家の幽霊に会えるかどうかはわからないけれど……ついて行ってもいいですか?」
「もちろんよ!さあさあ行きましょ、きもだめし♪」
「いちおう魔よけの品々を……!少々お待ちを、きもだめし」

珈琲エスプレッソと砂糖菓子

(よし!もしもの時は『三種の神器』で切り抜けよう。頼むぞ未完の音楽史、音楽記号の福袋、それに鍵盤ハーモニカ……!)
鍵一はそれらを風呂敷につつんで背負うと、レストランの2階から走り下りた。途端、ドラクロワが台所から何かをポーンと放って寄越す、
「おうふ!なんですか」
「魔よけの玉ねぎ。もし悪霊に出会っちゃったら、玉ねぎを投げればいいわ。この強い匂いでばっちり撃退できるわよ。アンタ何持ってきたの?」
「ええと、秘密道具と……あっ、そうだ、『悪魔の和音』を避けるための音楽記号です」
鍵一が福袋から『♯』『♭』を取り出して見せると、ドラクロワは「カワイイ!」と目を輝かせた。
「音を上げたり下げたりする音楽記号ね。どうしてこれが魔よけになるの?」
「そのむかし、キリスト教の教会音楽では、『絶対に使ってはならない悪魔の音』とされていた和音があるのです。それを避けるために『♯』『♭』の記号が創り出された……と、師匠から教わりました。もし幽霊が本当に音楽家なら、これを見れば退散してくれるはずです」
「なるほどね」
笑ってドラクロワは『♯』を自分のシャツの胸ポケットに、『♭』を鍵一のカンカン帽にチョコンと差した。
「準備万端ね。さあ、行きましょ。めざすはこの夏一番のパリの心霊スポット、ポン・デ・ザール(芸術橋)よ」
「いざ!」
勢いよく夜へ踏み出すと、鈍い銀色の満月が不気味な光を放っている。
音楽院の角を曲がった途端、ふたりの靴音が石畳へゴリリと不気味に軋んで、鍵一は思わず身をすくめた。
「きもだめしにふさわしい夜ね」
と、ドラクロワの声だけはうきうきと弾んでいる。鍵一の耳が何かを捉えた、
「……あの音は何ですか?音楽のような」
「音楽?」
立ち止まって耳を澄ませると、闇の中にかすかに、メロディが響いてくる。

♪ショパン作曲:マイアベーアの「悪魔のロベール」による協奏的大二重奏曲

(もしや、音楽家の幽霊……!)
鍵一が「ヒッ」と叫んだ瞬間、ドラクロワがくすくす笑い出した。
「なあんだ、『悪魔のロベール』じゃないの!」※3
「あ、あく、悪魔?」
「グランドオペラの傑作よ。いまパリで大人気の演目なの。どこかの家で弾いてるのね。確かに今夜は、この曲をお供に怪談話に興じるのがぴったりだわね」
「脅かさないで下さいよ!……それにしても、どうしてドラクロワさんは、幽霊を見に行こうと思われたんですか?」
「決まってるじゃないの。絵の構想を練るためよ」
「幽霊画ですか?」
「フフフ、半分当たり、半分ハズレ。アタシが描きたいのは、あくまでも現実の出来事よ」
「幽霊は現実ですか……?」
「幽霊っていうのは、人々の恐怖心の表れよ。みんなが見て見ぬふりをしてるものが、そういうかたちで現われるものなの。もし幽霊の正体がつかめたら、そこには必ず、生きてる人間のリアルな真実があるわ。アタシはそれを描きたいの」
「なるほど……!」
ふと川風が生臭く吹き寄せて、ふたりの目の前に黒々と横たわるのがセーヌ川らしかった。 月は黒雲に隠れて、いまパリは闇夜である。
かすかな水音を聴きながら、ふたりとも息をひそめて川辺を歩くほどに、前方にポン・デ・ザール(芸術橋)のかたちがうっすらと浮き上がって来る。
「……!」
鍵一が息を呑むのと、ドラクロワが震える声で「見て、橋の上……!」とささやくのが、ほぼ同時であった。有るか無きかの人影が、ひょうと暗闇に浮かんでいる。

つづく

◆ おまけ

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