M. クレメンティ《ソナタ》作品40第1番より、第3楽章

M. クレメンティ《ソナタ》作品40第1番より、第3楽章
掲載日:2012年4月17日
執筆者:上田泰史
クレメンティは旅する音楽家でした。イタリアに産まれ、7歳でイギリスのパトロンにもらわれ大陸を離れます。
1780年にはフランスで王妃マリー・アントワネットに謁見、翌年にはウィーンではその兄、ヨーゼフ二世の御前演奏をしています。ピアノが発展途上にあったこの時代、当代きっての技巧を誇るヴィルトゥオーゾとして各国に名を馳せたクレメンティですが、作曲家としては伝統と格式を重んじる音楽家でもありました。彼が後に編纂した《パルナッソス山への階梯》という100曲の教育的な作品集にはバロックの様式で書かれたフーガが9曲含まれています。
本日ご紹介するソナタは名声の絶頂にあったクレメンティが1802年にロンドンとパリで出版した作品です。
その三楽章は、最初と最後の部分は主題が同じ動きをする「並行カノン」、短調の中間部は模倣主題が鏡に映ったような形で動く「反行カノン」で書かれています。カノンは一見単純そうに見えますが、たった2声でも旋律の動きが単調にならないように書くのには、高度な対位法の知識が要求されます。
現代の若い生徒さんたちがソナチネを通して出会う愛想のよいクレメンティからは想像出来ませんが、眉間にしわの寄った彼の厳しい一面を垣間見ると、彼のイメージを変わってくるのではないでしょうか。日常において「人を見る目」もこれと全く同じことのように思えます。