F. ショパン《ノクターン》第7番 嬰ハ短調

掲載日:2012年5月1日
執筆者:上田泰史
関東以南ではもうだいぶ葉桜になったしまったことでしょう。東北、北海道はこれからが桜の本番という季節でしょうか。過ぎゆく春のうららかな今日の空を見ていると、ふと三好達治の「甃(いし)のうへ」という詩を思い出しました。桜の散る頃、古い寺院の境内で静かに流れる時間を歌った詩です。
あはれ花びらながれ/をみなごに花びらながれ/をみなごしめやかに語らひあゆみ/うららかの跫音(あしおと)/空にながれ/をりふしに瞳/ひとみをあげて/翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり/み寺の甍(いらか)/みどりにうるほひ/廂々(ひさしびさし)に/風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば/ひとりなる/わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
私が高校一年生の時に国語の先生に「み寺の甍(いらか)/みどりにうるほひ」の「みどり」がお寺の屋根に葺(ふ)かれた銅板の緑青(緑青)か、境内の新緑か、はたまた新緑が寺院の屋根に映えている様子を言っているのか、という議論を持ちかけたことがあります。結局、色々な解釈が出来るという話で収まりましたが、言葉の一つ一つは周囲の文脈を良く読むと、いろんな解釈の可能性が出てくるものです。
言葉の解釈が文脈に左右されるという点について言えば、音楽作品や音楽ジャンルについても同じです。昨日話題にした「ノクターン」は、現在では一般に夜に想いを馳せて書かれた音楽と理解されています。これは大雑把な歴史的な説明としては必ずしも誤りではありませんが、ノクターンの成立を19世紀前半の音楽活動の文脈の中で見ていくと、ノクターンのいろいろな顔が見えてきます。
19世紀音楽がご専門の西原稔先生はピティナのホームページでの連載「ピアノの19世紀」で、ノクターンが協奏曲のゆっくりなテンポの楽章が独立して成立した、という説を紹介しています。19世紀前半の協奏曲は急ー緩ー急という3つの楽章から出来ています。第2楽章は通常ゆっくりなテンポで、ピアノが歌うようなメロディーを奏で、パッセージの端々は即興的できらびやかなパッセージで装飾されています。この特徴は作曲家たちがノクターンを書く際に念頭に置いていたはずです。西原先生が述べられているように、ショパンが《ピアノ協奏曲第2番》の第3楽章で《ノクターン》第20番 嬰ハ短調のテーマを再利用したのはやはり偶然ではないでしょう。ノクターンと協奏曲のゆっくりなテンポの楽章には互換性があったと言うことです。
ここで、西原先生が連載で扱われなかった、ノクターンを巡るもう一つの「解釈」をご紹介しましょう。それは「ノクターン」は19世紀初期からピアノ曲よりも、声楽曲のジャンルとして広く知られていたという事実です。録音がなかった時代は、自宅での音楽実践がとても重要な役割を果たしていました。ピアノやギターの伴奏に合わせて歌われる短い歌曲は雑誌の付録などとして、大変に流行していました。これらの歌にもいろいろ種類がありました。代表的なものは「ロマンス」「シャンソネット」「ノクターン」「情景(シーン)」等と呼ばれるジャンルで、恋愛や瞑想的な内容、おどけた内容など、様々な歌詞に音楽が付けられました。メンデルスゾーンの有名なピアノ曲に「無言歌集」というのがありますが、これはドイツ語では「Lieder ohne worte(歌詞が付いていない歌)」ですし、フランスでは「Romance sans paroles(歌詞なしのロマンス)」という意味です。声楽のためのロマンスやノクターンはしばしば高い音域を担う二人の女性のために書かれました。メンデルスゾーンもこの種の歌曲を沢山書いています。フィールド(14番)やショパン(第7番)のノクターンの中には曲の途中で二つの旋律が同時に現れる箇所がありますが、これは音域から言っても「二人の女性の歌い手」と見ることができるでしょう。
今日の一曲はショパンの《ノクターン》第7番です。A-B-A'の明快な3部形式で、AとA'はフィールドの伝統を受け継いだ歌唱的なスタイル、真ん中のBはオペラの場面転換のような劇的な音楽です。Aの部分で歌のメロディーが初めは「独唱」、次に「二重唱」として扱われます。