見渡すショパンの作品群

掲載日:2012年12月27日
執筆者:上田泰史
今日ご紹介するのはマルモンテル『著名なピアニストたち』の第一章、「F. ショパン」から、ショパン作品をざっと外観する段落です。
[19] ショパンの作品は全体としてひとつの重要なまとまりであり、大変興味深いものである。というのも、この大家は月並みなものを嫌悪し大衆的な種のものを殆ど好まなかったので、安っぽい成功のために作曲することは決してなかったからだ。彼の音楽は極度に念を入れて考えられ作曲され、和声は時に過剰なほど凝っていて常に優雅、走句は創意工夫に富み見事に彫琢され、旋律的で歌唱的、表情豊かなフレーズは高貴な、あるいは憂鬱な感情に彩られている。これらの点を好み得るのは、洗練された趣味を持つ音楽家かショパンの目新しく大胆な筆致の繊細な語り口に魅了されたヴィルトゥオーゾに限られる。年を経るごとに、ショパンはもとより非常に個人的な己の様式に一層の力強さと深み、いっそう際立った個性を与えたが、一過性の影響や流行の移ろいに身を任せることは決してなかった。音楽に造詣の深い教養人たちの賛辞に敏感なショパンは群衆の喝采には無関心に振舞った。大勢の聴衆は彼の貴族的な性格に愛着を感じることはなかったし、ショパンの方も大衆的な成功には全く与さなかった。もっとも、そうした決意の中でショパンを支えていたのは、相対的に見れば失敗に終わったいくらかの試みであった※1。
[20] ショパンの作品から曲を選び出そうというのはいくぶん大胆な試みではある。それでもあえてこの無謀を犯すことにしよう。初めに挙げるとすれば、次の作品である。二つの見事なソナタ(作品35と58)、ピアノとオーケストラのための2つの素晴らしい協奏曲(ホ短調とヘ短調、作品11と21)、ピアノとチェロのためのポロネーズ※2、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのトリオ、数多のマズルカ集(作品6, 7, 17、24、 30、 33、 41、 50、 56)。マズルカ集はショパンがその想像力のあらゆる魅力を込めた民族的なジャンルの音楽であり、リズム、意表をつく転調、コントラストの巧みに取り扱いの点でうっとりうるほど見事な作品である。
[21] ノクターンを集めてみると、そこにはやはりショパンの優しく優美な才気が刻印されている。筆者はあの感傷的な哀歌に並ぶものを知らない。作品9, 15, 27、 32、 37、 48、 54※4, 61、[いずれもノクターン]、『お手をどうぞ』に基づく大変奏曲※5、数々の見事なポロネーズ作品22、26、40、53、61 を挙げよう。これらのポロネーズは優雅な形式と気品ある様式が完全な調和の下で溶け合い、劇的でエネルギッシュで陰りのあるエコーが響きの良い音符の中に流れている。
[22] バラード(作品23、38、47、52)は詩的で躍動感溢れ、多大な効果を生む作品だ。ボレロ、舟歌、子守歌、タランテラはそれだけで固有の種をなす性格小品で、いずれも現代ではそこかしこに模倣的な作品が溢れているにも拘らずショパンには独創性が認められる。作品29、36、51の即興曲 第1、2、3番、遺作の即興曲は優雅で想像力豊か、かつ甘美な感情を備えた小品である。演奏会用アレグロ 作品49は誠に気高い協奏曲様式の作品だ。ひとまとまりのワルツは極めて魅力的なものだが、それは詳細に見ると着想の選び方、線の織り合わせ方、予期せぬ転調からきている。そこでは涙のあとには微笑みが、陽気さのあとには悲哀が続く。この輝かしい作品一覧を3つの有名な練習曲集[作品10、作品25]、前奏曲集で終えることにしよう。これら三作だけで音楽芸術におけるショパンの独自の立場は保証され、霊感ある作曲家、「天才的な」―とドイツ人なら言うであろう―創造者という真の地位が彼に与えられることだろう。もしショパンがこれ以上に優れた作品によってこの地位をまだ勝ち得ていなかったのなら。
- この「試み」の内容ははっきりしないが、大衆に迎合しようとして失敗したなんらかの経験を指すと思われる。
- 《序奏とポロネーズ》作品3(ウィーン初版、1831)。
- 作品8(ライプツィヒ初版、1832)、ラジヴィウ公に献呈。
- 一連のノクターンをここで挙げようとしているのなら、作品55の誤り。作品54は《スケルツォ》第4番。
- 作品2(ウィーン初版、1830年)
文・翻訳・脚注:上田泰史