音楽と「様式」1

掲載日:2012年11月6日
執筆者:上田泰史
「様式」やその英語である「スタイル」という言葉で何を思い浮かべますか?インターネットでキーワード検索してみると、この言葉は生活様式、行動様式、ヘアスタイル、婚活スタイルなどなど、様々なシーンで使われています。また、「村上春樹のスタイル」という時には作家個人に特有の文体を指します。
用法は数多あれど、どの事例にも共通している「様式」の意味は、「手法manner」です(「電車のマナー」などのマナーも電車の中での行動様式を指していますね)。つまり、「様式」とは何か目的に向かって行動するときに、どのように振る舞い、どのように対象に働きかけるか、ということです。どのように行動するか、どのような髪型にするか、どのように婚活するのか、英語でいえばHow(どのように)という疑問詞で聞かれた答えの内容が「様式」です。因みにこの「手法manner」という単語、フランス語では「マニエールmanière」と言いますが、これは「手manus」(羅)という語から派生しています。それは、もともと手作業のやりかたというニュアンスで用いられたからでしょう。日本語の「手法」はおそらく近代に西洋語からの訳語として作られた用語ではないかと想像しますが、ちゃんと「手」の字が入っています。
もともと、"style"という言葉の語源はギリシア人が蝋板に文字を書くのに使用した鉄製の鋭利なペンのことを言ったそうです。ラテン語でも先の尖った道具のことを一般に"stylus"と呼び、やはり文字を書くのに使った鉄筆を指したので、これが転じて「書き方」・「書法」、そして「文体」という意味で用いられるようになりました。フランス語では現在でもペンのことを"stylo スティロ"と言い、元来の意味が表記に保存されています。
芸術分野で「様式」という言葉が用いられるようになったのはいつごろなのでしょうか。「様式」とほぼ同義的に使用された言葉として、「マニエラ」というイタリア語の言葉があります。音を聞いて想像がつくように、これは英語で「手法」を表す"マナーmanner"と同じ単語です。16世紀半ばにルネサンスの巨匠ミケランジェロの門弟ジョルジオ・ヴァザーリが最初に視覚芸術に対して用いたとされる言葉で、彼は師ミケランジェロによって体現された普遍的な美的法則に従った制作手法を「マニエラ」と呼び、学び従うべき規範であると考えました。
日本語で型にはまった行動や表現をしばしば軽蔑的に「マンネリ」と言ったりしますが、これは英語の「マンネリズム」の略語で、型にはまった「マニエラ」を用いるのでそのように用いられます。イタリア語では「マニエリスモ」と言いますが、この方が響き的に「マンネリ」が「マニエラ」から来ていることがわかり易いですね。
この「マニエラ」という言葉は、美術の分野において「様式」という言葉に取り込まれていきます。アカデミー・フランセーズが編纂したフランス語辞典は17世紀から今日まで9版を重ねていますが、版をさかのぼって「様式style」という言葉の古い定義を調べると確かに「手法manière」という類義語で説明されています。たとえば1789年の第5版では、美術に関してこのように定義されています。「絵画、彫刻、建築において、芸術家[一般]に特有な構成手法、制作手法」。さらに、この言葉はある制作手法を用いた結果出来上がった作品の特徴のことも指す、とあります。
音楽が「様式」の項目に初めて登場するのはこの辞典の第6版、1835年のことです。「様式は、絵画、彫刻、建築、音楽といった芸術において、芸術家に特有な制作の仕方を意味する。[用例]この絵画はこれこれの大家の様式で描かれている」。ここで注目すべきは、用例において様式という言葉が芸術家個人に結び付けられている点です。第6版の定義は、第5版と同様に「芸術家」というジャンルの人間全体に特有の手法、という一般的な「手法」について述べているのです。ところが、ここに来て用例である個人の様式を示唆しているのは、一見矛盾しているようにみえます。
しかし、これは一応つじつまの合った表現です。ここでさっきのミケランジェロの話を思い出しましょう。彼の弟子ヴァザーリがミケランジェロの言葉として「マニエラ(手法)」という言葉を使ったとき、それはミケランジェロの「マニエラ」であるというよりは、彼が体現した普遍的な美の法則に従う「マニエラ」でした。つまりここでは個々の芸術家の個性や独創性が問題になっているのではなく、ある巨匠によって体現された普遍的な、理想的な模範的手法としての様式について述べているのです。
このような様式についての見方は、現在の「クラシック音楽」の分野に関心のあるひとにはピンと来ないかもしれません。というのも、多くの聴き手や弾き手は、個々の作曲家の作品を、その作曲家固有の性格、独創性と結びつけて見る傾向が強いからです。たとえば、対位法と呼ばれる厳格な作曲技法を体系的にまとめたバッハの作品に《フーガの技法》という曲集がありますが、これを対位法の美的な普遍法則の模範として細部に至るまで理解することができるのは厳格に作曲の勉強をしている学生や作曲の先生、理論に精通した学者くらいのものです。それにもかかわらず、こうした作品の録音がCDショップで誰でも買うことができ、Youtubeでもたくさん再生されているのは、「手法」全般に関心があるというよりは、「音楽史上無二の天才」や「G線上のアリアを作曲したあの人」という個人として理解されているJ. S. バッハ個人と彼の一連の創作物に関心があるからです。
このように、おそらく、私を含めた現代の多くのクラシック・ファンは「個人様式」という枠組みの中で作曲家の作品を享受しています。では、音楽の分野でこの「個人様式」という発想はいつ頃から広く受け入れられるようになるのでしょうか。次回も引き続き、様式を話題にしていきたいと思います。