ピティナ調査・研究

「音楽史」と、どう向き合う?

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「音楽史」と、どう向き合う?

掲載日:2012年11月5日
執筆者:上田泰史

部屋の少し高いところに作曲家たちの顔がずらりと並んでいるのは、中学校や高校の音楽室でよく見かける光景だと思います。ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、べートーヴェン、ドヴォルザーク、フォーレ、ドビュッシー…少なくとも中高時代に私が使用した教科書には年表が掲載されていて、作曲家の名前が年代順に配置され、「中世」「ルネサンス」「バロック」「古典派」「ロマン派」「印象派」等のように区分されていたのを覚えています。
この種の年表は、単に音楽史の知識を示しているばかりでなく、「ある時代の代表的な作曲家」とその「代表的な作品」という二つの主要な観点から時代を分類する歴史観、つまり一つの歴史の見方を表しています。 こうした教材は、試験用に暗記するのには便利ですが、音楽の歴史とは何か、という本質的な視点は提供してくれません。実のところ、「歴史がわかる」というのは単純そうでありながら、複雑な問題なのです。

「音楽の歴史とは何か」と「音楽とは何か」は表裏一体

例えば、中学校時代には鎌倉幕府成立の年代を暗記するために「いいくにつくろう鎌倉幕府」と唱えたものですが、高校生になって詳しい参考書を見ていると、源頼朝の統治体制は彼が征夷大将軍に任命される以前の1185年には確立していたので「1192」説は実態に即していない、などと書いてあったりします。とはいえ政治史はレジーム・チェンジが西暦何年、と定まりやすいので解釈には諸説あるにせよ、ある程度「線引き」がしやすい。ところが、音楽の歴史は、「音楽」の実態をどう捉えるかによって、時代区分の仕方が大いに異なってきます。

「音楽」のさまざまな捉え方

例えば、音楽を「作曲された作品」と捉えた場合には楽譜中心の歴史記述になり、様式の変化が歴史区分の鍵になります。教育機関で一般に行われている楽曲のアナリーゼは、本来、時代区分の根拠を定めるために様式を客観的に捉えるための一つの手法でした。
その一方で、音楽を演奏という行為そのものと見なせば、演奏様式や楽器の変化が時代区分の根拠になります。また、「音楽生活」music life、すなわち音楽を取り巻く社会的環境(劇場やコンサートホール、サロン、教育機関)を重視するなら、政治的な動向や建築技術もまた、音楽史の歴史区分にとっては重要なエレメントとなってきます。
更に例を加えましょう。これは比較的近年の傾向ですが、「音楽=作曲家の創作物」という、作品を「産物product」として見る枠組みへの批判から、音楽を「プロセス」として捉える動きがあります。現実に即して考えれば、私たちは音と書かれた作品の構造だけを聞いているのではなく、音楽体験は演奏者の表情や身振り、他の聴衆の反応など、様々な身体的・心理的要因によって規定されます。演奏(performance)空間ばかりでなく、過去の演奏会での体験や、もしかしたら演奏会後に予約したおいしいレストランへの期待なども、音楽体験に関わっているかもしれません。今月京都で開催される日本音楽学会第63回全国大会のプログラムを見ますと、『パフォーマンス・スタディーズの「現在」―西洋芸術音楽研究におけるその可能性と課題』と題されたシンポジウムが予定されています。こうした動きは、作品中心の音楽観から脱却し、「音楽」を実践的・経験的側面から新たに定義づけ理論化する欧米諸国の新しい潮流を反映しています。

"The history of music" と "A history of music"

「音楽」という概念は、このようにそれ自体、時代の思潮を反映しながら常に新しく規定されていく以上、音楽史もまた新しい視点から常に書き直される可能性があります。
余談になりますが、私が大学2年生のときに受講していた音楽史の授業の年度末試験の問題は、「音楽史の時代区分とその根拠について述べよ」という問題でした。全ての時代について記述するのですから、なかなか大変な論述問題ですが、とても良い問題です。なぜなら、出題者は暗に「根拠がしっかり示されていれば、どのような歴史観を基準にしても構わない」というメッセージを発信しており、学生が主体的に「歴史とは何か」という問題意識を持つよう誘っているからです。しかし、私を含めた殆どの学生は出題者の意を介さず、教科書で学んだ通り一遍の解答をしたのでした。
さて、 このように見てくると、「唯一の音楽史The history of music」は存在せず、ただ幾つもの「A history of music」が併存・並立しているに過ぎないのだ、という、いくぶん諦めにも似た帰結が導かれます。しかし現実問題として、音楽史を語る人々の間に共通了解がなければ議論は成立しません。現在、高等教育の基礎的な段階で、作品を中心に据えた従来の様式・作曲技法の変遷史を教える学校が多いのはそのためです。この基礎的な旧来の枠組みへの共感と批判を通して新しい音楽史の可能性が開かれます。

主体的に歴史を考える

ところで、「クラシック音楽」という言葉には、既に歴史性が内包されています。「クラシック」とは参照し従うべき過去の規範、すなわち「古典」という意味ですから、「クラシック音楽」は常に過去との関連のなかで活動しているという意識を持ちやすいジャンルです。実際、作曲家や作品に関する沢山の知識を提供してくれる書籍は沢山ありますね。
しかし、歴史を理解するということは、はたして過去についての個別的な知識を持っているということなのでしょうか?もちろん、歴史的な話題を扱う際、その素材となる知識は前提です。しかし、歴史を語る素材としての知識があっても、それを有効化する語り(story)の枠組みがなければ歴史(history)を問題にしていることにはなりません。
大切なのは、その知識を現代的な問題意識に結びつけて歴史的な問題を主体的に語る、ということなのです。そのために、例えば、冒頭に見たように、「時代を代表する作曲家+傑作」の歴史という20世紀的な旧来の歴史的視点を踏まえつつも、「音楽」がこれまでどのように理解されてきたのか、あるいは理解されうるのか、という自分なりの立場を認識しながら、個別的な知識と向き合うことが重要です。美術や政治史では、歴史の語り方自体を問題にした日本語の書籍は多くありますが、音楽史関連ではあまり見たことがありません。この点、私もこれから頑張っていきたいところです。

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