アレッサンドロ・スカルラッティ《ラ・フォリアに基づく変奏曲》

掲載日:2012年9月24日
執筆者:上田泰史

J. S. バッハと同じ年にナポリで生まれたドメニコ・スカルラッティ(1685~1757)は550曲を越える鍵盤ソナタによって、現在でもピアノ音楽のレパートーリーの中で重要な位置を占めています。一方で、彼の父、アレッサンドロ・スカルラッティ(1660~1725)は今日では専らナポリ楽派を代表するオペラ作曲家としてその名が知られています。しかし、父スカルラッティは同時に高い力量をもつ鍵盤楽器奏者であり、寡作ながら興味深い作品を残しています。今日はこのアレッサンドロの鍵盤作品《ラ・フォリアに基づく変奏曲》のご紹介です。
A.スカルラッティはイタリアのパレルモに生まれ、1672年、飢饉から逃れて若くしてローマに移住します。ローマでは当代一のラテン語オラトリオ、モテット、カンタータ作家のジャコモ・カリッシミ(1605~1674)に師事したと言われています。程なくオペラ作曲家として頭角を現したスカルラッティは亡命中のスウェーデン女王クリスティーナの宮廷楽長に迎えられます。1684年にナポリに到着し王室礼拝堂の楽長となり、ここで数々のオペラを作曲、一躍ナポリ派オペラの中心人物として名を馳せ、イタリア風序曲、劇的な表現を引き立てる大規模なダ・カーポ・アリアと通奏低音で伴奏される朗唱(レチタティーヴォ・セッコ)で構成される格調高いオペラの様式確立に多大な貢献をしました。
彼の作品は膨大な数に上り、オペラが115曲、600以上の通奏低音付き独唱カンタータ、その他約20曲のオラトリオに10曲のミサ曲などがあります。この数字に比べれば、器楽曲、分けても鍵盤作品は数十曲の大小様々なトッカータがあるに過ぎません。これらの殆どは彼の最後の10年間に書かれたもので、鍵盤楽器の練習という教育的な意図のもとに編まれたものでした。トッカータとは以前にも書きましたが、イタリア語の「トッカーレ(触れる)」という動詞からきており、元来はリュートや鍵盤楽器で指ならしをしたり、楽器の調子を確かめるために、軽く演奏する即興的なジャンルです。17世紀にはすでにトッカータはすでに様式化され、主部が急速な16分音符をで動く作品となりました。分かりやすい例としては、例えばJ.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻の第二曲、ハ短調が挙げられます。
しかし、アレッサンドロ・スカルラッティのトッカータはこのジャンルが形式という観点からみればもっと緩やかな意味合いを持っていたことを示しています。というのも、彼のトッカータはアレグロ、アダージョ、フーガ、舞曲など複数の異なるセクションの複合体として提示されているからです。これには一曲の中で様々な動きや情緒を表現することが意図されたのかもしれません。この時代にはまだ「エチュード」というジャンルは存在しておりませんが、分散和音の連続や両手で交互に和音を演奏する手法、右手と同じ音型が左手で繰り返されるなど、その演奏技法はショパン世代の19世紀のピアニストたちが鍵盤を前にして考えた多くの演奏法と共通点を持っています。この点、19世紀を知る私たちの目からみると彼のトッカータは「エチュード」的であるように思えるかもしれません。これは歴史を遡行的に捉えた言い方で、必ずしも17世紀の鍵盤音楽理解に即した「正しい」見方ではありませんが、彼の作品には、ドメニコ・スカルラッティの作品と同様、現代のピアノで演奏すると非常に効果的であると思われます。
今日の一曲、《ラ・フォリアに基づく変奏曲》は1715年に作曲された変奏曲で、後の版で主題と29の変奏、最後の冒頭主題への回帰という構成になりました。ラ・フォリアは16世紀から18世紀に流行したポルトガル由来の舞曲で、作曲家たちは繰り返される定型的な通奏低音の上で主題を変奏しました。この曲は1723年に、既に作曲されていたトッカータと対になり、大規模「オクターヴ・レジスター付きチェンバロ用のトッカータ」 (Toccata per cembalo d'Ottava stesa) としてまとめられましたが、この大作の成立については現段階では詳細が掴めないのでまた追ってご報告させていただこうと思います。
Youtubeで検索:
[Alessandro Scarlatti - la folia] 又は [A. Scarlatti - Toccata per cembalo d'Ottava stesa]
後者は前半が「トッカータ」で後半が「ラ・フォリア」という構成です。