ピティナ調査・研究

クイズの答え

音楽へのとびら~ピティナ・ピアノ曲事典 Facebook アーカイヴス
クイズの答え

掲載日:2012年5月21日
執筆者:上田泰史

昨日クイズと称して募集しましたレオポルト・フォン・マイヤーLeopold von Meyer(1816-1883)の絵から連想されたあだ名はどれも独創的なものばかりでした。皆さまの見方からはとても学ぶことが多いです。まずは答えの前にコメントで頂いた「解答」をご紹介します。「ピアノの巨人」:図体は体が大きいということでしょうか(笑)、「ピアノの上のポニョ」:こちらも外見からの発想ですね「まんまるおなかの♪」。「ピアノの上の猫踏んじゃった」:むしろ「ピアノ踏んじゃった」?、ピアノの「破落戸(ごろつき)」「ならず者」:確かに、ピアノを足で弾くとはまさにゴロツキ。ゴロツキに漢字があるとは知りませんでした(汗)。「ピアノのスパイダーマン」というアイディアも面白いです。確かに、この格好はスパイダーマンのよくとるポーズですね。スパイダーマンのあの姿勢は蜘蛛のように地や壁を這う姿を連想させますが、両者いずれも「異常な態勢」である点で共通しています。

さて、マイヤーが当時の音楽界でとった異名は「ピアノのライオン」でした。「ライオン」という言葉は、1830年代から40年代のパリにおいては特別な意味を持っていました。「ライオン」については、19世紀パリの文化史を専門とするA.-M. フュジェという研究者が『優雅な生活〈トゥ・パリ〉―社交集団の成立、1815-1848』(邦題)という本で詳しく説明しています。 フュジェによれば、「ライオン」と呼ばれる人々は「しばしば全く月並みな挙動によって社会全体の好奇心と興味を一時的にわが身に引きつけることがある」とされます。つまり、突飛な出来事や時流に載ってにわかに時代の寵児となる人々です。ピアニスト兼作曲家ではボヘミアからやってきた達人アレクサンドル・ドライショクや女性の名手カミーユ・プレイエルも「ライオン」と呼ばれました。もちろん、当時の社交界では奇抜の長髪にスキャンダラスな話題でもちきりのヴィルトゥオーゾ、フランツ・リストもまた、1830年代のパリにあってはライオン中のライオンだったことでしょう。

マイヤーは1816年、ウィーンに近いドイツの街バーデンに生まれ、チェルニーの教えを受けました。しかし、厳格なメソッドに馴染めなかったマイヤーは、手ほどきを受けたあとは自らの直感に従って訓練を積みます。強力な打鍵で迫力のある演奏に長け、ドイツ、フランス、ロシア、アルジェリア、アメリカなど各国で広く人気を博しました。ピアノをゲンコツや親指だけで弾いてみせる強烈でエキセントリックなパフォーマンスは、格式を重んじる音楽家たちの非難の的となりましたが、音楽の大衆化が進んだ19世紀後半、彼は一大スターとして各地から招待を受けました。作品は300以上ありますが、手堅い理論家・歴史家・作曲家のフェティスは人名事典の中で「もしそれらが『作品』と呼べるものであるなら」と但し書きを加えています。実際、彼の作品ではな和音の進行は伝統的なシステムに無頓着なので作曲家の目から見ればかなり粗い印象を受けるでしょう。

過去の歴史に埋もれた作品の研究を続ける作曲家でピアニストの金澤攝(をさむ)さんがマイヤーの作品をかつて録音し『ピアノ曲事典』に提供して下さいました。その名も《ナイアガラの滝》。アメリカ滞在時の作品と思われますが、ちょろちょろと流れる川がやがて巨大な滝壺に轟音と共に流れ込むようなストーリー性を持った作品です。ひたすら畳みかける最後はマイヤーの狂気がよく再現されています。今日のコンサートホールでは、このような音楽に出会うことはまずありませんね。

調査・研究へのご支援