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音楽へのとびら~ピティナ・ピアノ曲事典 Facebook アーカイヴス
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載日:2012年5月7日
執筆者:上田泰史

皆さまはこの大型連休をいかが過ごされましたでしょうか。先月の土曜日に毎年恒例の音楽イベント《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン》が終わりました。この音楽祭について、イベント後に行われた記者会見で起きたある「事件」について、音楽ジャーナリストの林田直樹さんが『ピアノ曲事典』の在り方にも関わる興味深い記事を書いておられましたのでご紹介いたします。事の次第はざっと次の通りです。(原文は下記リンクを辿って下さい。ここでは詳細を幾つか補足しています)

今回の《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン》では子ども向けの物語にオーケストラ音楽を付けたプロコフィエフ作曲《ピーターと狼》という作品が上演されました。この演奏会は普段とは一味違い、イギリスのアニメーター、スージー・テンプルトンが2006年に制作した人形アニメと共に上演される点が見どころでした。ところが、肝心の映像については事前に十分に周知されていなかった上に、彼女の名前も出なかった。この映像は米国アカデミー短編アニメ賞を受賞したこともあり国際的に高い評価を受けている作品でした。そのため、当日ホールにあまり観衆が集まらなかったことは主催者側の落ち度だという指摘が音楽ジャーナリストの片桐卓也さんによってなされました。もう一つは、サラサーテ編集部から質疑で、「一般的でない公演が行われすぎているところにプログラミングの問題がある。もっと有名な名曲をしっかり取り上げるべきではないか」という内容の意見が述べられ、これまでのプログラミングを批判したそうです。このような批判が出る状況を、林田直樹さんはこう分析します。

「それは結局『例年通り』『とっぴなことや面倒くさいことはなるべく避けて』という発想が音楽祭に蔓延したときだと思う。KAJIMOTOの梶本眞秀さんがいうように、冒険(とそれに対する好奇心)をやめてしまっては面白くないのである。」

以上が「事件」の内容ですが、林田さんの観察は現在の日本社会における「クラシック」の様相そのものにもある程度当てはまるような気がします。良かれ悪しかれ演奏会のプログラムは学校やコンクールで学ぶ作品を中心に組まれますし、これまでに録音もされたことのないような未知の作品を演奏したところで、広告に並ぶ曲目や作曲家をみんなが知らないと大切な聴衆だって集まりはしません。一方で、音楽大学からは毎年のようにピアノ科を卒業する学生たちが出てきます。みんなが同じ演奏会形式・同じプログラムを指向すると、結果的にみな「右倣え」となって変わり映えのしない演目を繰り返すことになってしまいます。林田さんは、今回の一件から、次のような一般論を導いています。

「音楽(ないしは文化全般)において最も重要なことは、作品と演奏の『多様性』である。その『多様性』はいま多くの人には開かれていないのが現状である。」

みんなの知っている曲をやればこの多様性が失われる、かといって知らない曲をやればお客さんが入らない。これでは演奏家はジレンマに陥ってしまいますね。作曲家や曲の知名度は確かに演奏会を企画する上で大切なファクターです。どんな演奏会であれ、ポピュラリティなしでは商業的な芸術イベントは成り立ちません。しかし、「名曲」「名演奏家」「大作曲家」という既存のポピュラリティに安易に頼るのは問題です。もちろん、演奏会にほとんど行ったことがないという人を演奏会に来てもらうためにこうした「ブランド」を利用するのは悪くないでしょう。

しかし、もちろんホールを埋めることも大切なのですが、更に重要なのは、せっかく来てもらった方々に何を経験してもらうかということです。仮にラフマニノフの第二協奏曲の公演に沢山の来場者があったとしても、大部分が、「フィギュアスケートで聴いたあの曲を生で聴けて楽しかった」で終わっては、仮に会計的に元は取れたとしてもなんだか虚しさが残ります。大切なのは、そこに居合わせたお客さんに何かを考えさせたり、思ってたのと違った!という意外性を与えていくことが大事なのではないでしょうか。予想外の驚きや発見が豊かなほど、そのパフォーマンスは観衆に深い感銘を与えることができるはずです。その意味では、企画者は未知のプログラムにチャレンジしその魅力をアピールすることも大事ですし、「名曲」をやるならやるで、なにか新しい仕掛けを常に考えだして行く必要があると思います。この観点に立てば、単に「みんなの知っている曲」を入れればどうにかなるというのは少し的が外れた話で、演奏会のパフォーマンスをいかに演出するかと言うことをもっと問題にしていく必要があるでしょう。

多くの音楽教育機関は演奏法や解釈について一定の基準を提示しますが、どのように生徒たちが独自の着想をもった演奏家として社会で活躍できるかというところまでは責任を持ちません。しかし、10数年なり20年なりピアノを一生懸命弾いてきて、一流の音大も出たのに、社会に出てから、「あれ、私の売りってなんだろう」と困った挙げ句、これまでと同じやり方を続ける人が増えてしまっては林田さんの言う「作品と演奏の『多様性』」が失われていってしまいます。音楽を通した社会貢献という点を重視するなら、訴えたいメッセージと明確なコンセプトをもって自分をプロデュースする方法について考える授業なり講座が本来、教育機関に設けられてしかるべきなのです。音楽文化は、コンクール覇者というごく僅かな特権者たちのみのためにあるのではありません。演奏を学んで発想豊かなプロデユーサーになったり、批評家になったり、作曲に指揮にマルチな音楽活動をするピアニストがでてきたらきっと面白いですよね。

『ピアノ曲事典』プロジェクトは、上に挙げた問題の中でも、特にレパートリーの観点から音楽活動の多様性を促進する上で重要な役割を果たして行くことができるのではないか、と思っています。フェイスブックのコラムで「今日の一曲」やクイズを紹介しつつ、一人でも多くの方に「クラシック」の新しい見方、聴き方、演奏への取り組み方をお届け出来れば、と願っております。今後も更新を続けてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

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