ドビュッシー:《子供の領分》より〈グラドゥス・アド・パルナッスム博士〉

掲載日:2012年4月20日
執筆者:上田泰史
象の背中からニョキっと生え出た娘の顔…そんなシュールな絵と共に出版された《子どもの領分》の一曲目に置かれたのがご存じ〈グラドゥス・アド・パルナッスム博士〉です。もちろん、〈グラドゥス・アド・パルナッスム〉はクレメンティの〈パルナッソス山への階梯〉を意識しています。演奏会の解説などでは、よくこの曲が「クレメンティの練習曲に向かう子どもの退屈さを描いている」と書かれているのを見ます。なるほど、「博士」Doctorという言葉は厳格で口うるさい先生を揶揄(やゆ)しているように思えます。
ところで、クレメンティの〈グラドゥス〉がこんな副題と共に出版されていたことをご存じですか?「厳格な様式と優雅な様式の練習課題によって提示されるピアノ演奏の技法」。練習課題というのは英語でいう「エクササイズ」なのですが、実は、〈グラドゥス〉100曲の中にはフーガ、カノンなど「厳格な様式」とモーツァルトあるいは、前ショパン的な「優雅な様式」が混在していて、チェルニー的な指の反復練習はまだそれほど多くはありません。つまり、副題にある「練習課題」とは単にメカニックな指の練習であるばかりでなく、古今の様々な様式の作品に慣れ親しむ為の練習であると言えます。
では、ドビュッシーはクレメンティの〈グラドゥス〉をどのように見ていたのでしょうか?ドビュッシーのピアノの先生だったマルモンテルは、ドビュッシーが彼のクラスに在籍していた時に出版した本『著名なピアニストたち』の中でクレメンティの〈グラドウス〉についてこう書いています。「グラドゥスは偉大な芸術を愛する真面目な生徒と全ての芸術家たちに最もすばらしい趣味の模範、あらゆるジャンルから選ばれた最良の範例、つまり高貴な、厳格な、優美な、表情に富んだ、悲愴的な様式を示している」。つまり、〈グラドゥス〉はクレメンティの「博識」によって成立している様々な様式の作品集なのです。
ドビュッシーは当然、自分を可愛がってくれた恩師の言葉を知っていたはずですし、作曲家としての志が既に芽生えていたドビュッシーならば〈グラドゥス〉の音楽的多様さと作曲技法上の価値を認めることが出来たはずです。
その上で、もう一度、ドビュッシーの描いた「博士」を見てみましょう。「博士」Doctorは、演奏、作曲、教育の全ての面で深い造詣を持っている点で、教え方を知っている「先生」Teacherとは異なるのです。ドビュッシーが〈グラドゥス〉を擬人化して「博士」と呼んでいるのは、まさに、先人が送り届けてくれたすばらしい音楽の賜物への敬意とも見ることが出来るのではないでしょうか。と同時に、〈グラドゥス〉は新しい音楽の時代をリードするドビュッシーにとっては尊重しつつも乗り越えるべきピアノの壁でもあったのです。