C.シャミナード《変奏と主題》作品89

掲載日:2012年4月26日
執筆者:上田泰史
「自由、平等、博愛」―これは多くの犠牲を顧みず革命を通して人々が希求した理想であり、フランス共和国のモットーでもありです。しかし、18世紀末のフランス大革命の後、女性に参政権が与えられないなど、理想と現実の乖離はしばしば問題にされてきました。現在フランスは大統領選で熱くなっていますが、この国で女性参政権が認められたのは日本と同じ1945年のことでした。
社会生活・文化活動のなかで形成される男女の差異(ジェンダー)は、西洋近代の音楽活動に大きな影響を与えてきました。ヨーロッパ最初の国家的な音楽教育機関は1795年、フランス革命の直後に創設されたパリ音楽院ですが、ここでは音楽教育は男女の両方に開かれていました。が、一部の楽器と作曲や理論に関する学科を除いて、という制限を強調しなくてはなりません。
ヨーロッパでは19世紀以前、ある種の学問分野が女性に対して閉ざされていました。例えば、修辞学。修辞学は巧みに言葉を操り聴き手を説得する技術ですから、政治的な議論においてとても重要な役割を果たします。男性中心社会においては、国を動かす主体は当然男性にあると考えられていたので、女性には修辞学など学ばせない方が男性側としては都合がよかったのです。ところで、19世紀の音楽界では、一番地位が高いのは作曲家でした。なぜでしょうか。演奏には通常聴き手がいます。とくにピアノ演奏では一人の演奏者に向かって複数の人々が耳を傾けます。この様子は、ちょうど政治家の周りに人々が集まって演説を聞いているのと同じです。つまり、演奏者が男性であれ女性であれ、彼らが演奏される楽譜を書く人が聴き手を支配する、という構造がここにはあるのです。かつての常識からすると、音楽界においても支配する側は政治の世界と同じくやはり男性であるべきでした。ですから、音楽教育機関で高い地位に付くのは男性で、作曲家であることが大事でした。19世紀のパリ音楽院でもケルビーニ、オベール、トマ、デュボワ、フォーレ…と教育の指揮をとる院長は男性作曲家でした。こうなると、当然女性が作曲科に入ることは困難ですし、もし作曲を学びたければ音楽院ではなく個人レッスンを受けなくてはいけません。それに、たとえ優れた作曲家になっても女性と言うだけで発表する場が著しく限られてしまいます。
作曲以外では、弦・管楽器が女性に「不適切」な楽器でした。これはブルジョアと呼ばれる裕福な市民の行動規範や道徳に関係しています。つまり、これは現代の日本社会にもまだ見られる考え方ですが、男性は外で働き収入を得たり政治について議論する一方、女性は家を守り子どもを育てるものだ、という見方です。この考えによれば、女性は家で美しく着飾り客人や夫を迎え、優美に振る舞う家庭人でなければなりません。従って、大きな音が出る木管楽器や軍楽を想起させるトランペット等の金管楽器は家庭的な楽器ではありませんでした。それに、管楽器の演奏中「顔が歪む」というのも女性に管楽器が相応しくないと考えられた理由の一つでした。弦楽器は家庭で実践する分にはあまり問題はなかったでしょうが、女性がオーケストラに所属し人前で演奏するということが常識的ではなかった19世紀から20世紀前半、弦楽器演奏を職業として選ぶ必要はないと考えられたのでした。また、チェロのように足を開く楽器は当然、彼女たちの衣服的に難しかったはずですし、ブルジョア的な優美さに反するものだったとえいるでしょう。
そんなわけで、女性に開かれた音楽実践は歌とピアノとハープ、ギターでした。特にピアノが家庭に必須の家具となった19世紀以降、ピアノ音楽は家庭に縛られる女性に与えられた重要な気晴らしでした。19世紀、こうした脈絡のなかで、大量のピアノ音楽が書かれ、それら多くを今日の人々は漠然と「サロン音楽」と呼んでいます。とはいえサロン音楽とひとことに言っても、色々あります。そもそもハイドンの後期ソナタやショパン作品の多くは女性に向けられた「サロン音楽」です。その他無数の「サロン音楽」を調べていけば、マズルカ等の舞曲、ノクターン、ロマンス、ソナタ、練習曲などとにかく豊富なジャンルの作品が書かれていて、実はその大半はまだちゃんと整理もされていなければ評価もされていません。現代のコンサートホールで聴かれる「大作曲家」の周囲には、音楽文化の主役だった「彼女たち」のために書かれた多くの名作があります。まだいろいろな観点から評価される必要がある「サロン音楽」を「芸術音楽」に対置して、ことさらにその価値を低く見積もろうとすることは昔から往々にしてありますが、「サロンの女性のために書かれた作品」=「軽薄な作品」という単純な図式を作ってしまう視点こそ、男性中心的な偏った目線そのものではないでしょうか。サロンの洗練された趣味の音楽を選びだし「サロン音楽」の多様性とその固有の価値を問うことは、未来を担う演奏家、研究者、聴衆にとって大切な課題となっていくことでしょう。
本日の一曲は昨日ご紹介したC.シャミナードの作品から《変奏と主題》です。彼女もやはり作曲は個人の先生について勉強しましたが、その豊かな才能と努力のお陰で400余りの作品を残しています。大半はピアノ小品と歌曲が占めますが、《ピアノ三重奏曲》やオーケストラのための《アマゾンの人々:劇的交響曲》、《ピアノ小協奏曲》など多くの大規模作品も生前演奏されています。不思議と懐かしい感覚を起こさせる旋律は彼女がピアノを師事した音楽院のピアノ教授で作曲家のF.ルクーペと共通するものを感じます。