C.シャミナード/森の精

掲載日:2012年4月25日
執筆者:上田泰史
「鎬(しのぎ)を削る」という言葉がありますね。鎬とは刀の刃と背の間を、刀の付け根から切先に向かって走っている稜線で、刀の厚みはこの線から刃・背に向かって薄くなっています。「鎬を削る」とは、本来刀身のこの出っ張った部分が削れるほど激しく切り合うことで、転じて複数の者が激しく争うことを言いいます。コンクールの決選では文字通り「研ぎ澄まされた」演奏が聞かれますが、コンクール参加者はまさしく長い年月をかけて鍛え上げた音の刀を手にステージ上で鎬を削っているわけです。
熾烈な戦いを最後に勝ち抜いたピアノ・コンクールの優勝者にはそれに相応しいタイトルが与えられ、音楽活動の普及と促進に貢献するという輝かしい社会的任務が与えられます。しかし、文化的な代表者を決定するこの有意義なコンクールという制度には、一方で、見落としてはならないもう一つの側面があります。それは、文化活動を保守化させるという側面です。今日、多くのコンクールは、主催側が必ず演奏するように定めた課題曲と演奏者が一定の制限の下で選択する自由曲で競われます。この内、課題曲には必ずと言ってよいほどバッハ、ベートーヴェン、ショパンが入っています。それは、今日のレパートリーの中核をなすこれらの作曲家の作品を、基礎的なところからちゃんと練習し、勉強したか、という点を見るためです。大規模な国際コンクールの審査員は、最初の数秒を聴いただけで演奏者の力量を見抜く目と耳を持っています。
ところで、演奏家として身を立てていくにはたくさんのコンクールに参加して少しでも多くの賞をとっておくにこしたことはありません。なぜなら、賞を得ることでその道の代表者として社会に認められ、文化振興という名目の下、新しい仕事やチャンスを与えられるようになるからです。しかしコンクールを勝ち抜くには健康な身体と強靭な精神力が必要な上に、相当のお金もかかります。少しでも受賞のチャンスを増やそうと思えば、一生懸命レッスンに通い練習を重ねて何度も同じコンクールや別のコンクールに参加する必要が出てきます。多くの若い演奏家は、日本中、いや世界中を飛び回って少年時代から青年期までを「コンクール巡礼」に捧げるケースが多いようです。ですが、もしその間に自分で視野を広げようとしなければ、体と頭が最も柔らかい時期に限られたコンクール課題曲だけを学ぶということになりかねません。今度は自分がピアノを教える側にたった時にも、自らレパートリーを開拓していくことをやめてしまうと、再びコンクールを目指す生徒さんのために同じレパートリーばかりを教えることになるかもしれません。
もちろん課題曲で出会うバッハもモーツァルトもハイドンもベートーヴェンもショパンも、歴史上傑出した才人ですし、ピアニストは必ず演奏し、深く知っておくべき存在であることに違いはありません。しかし、コンクールという制度によって彼らの作品ばかりが繰り返されると、彼らの名前に対して一方的に権威が与えられ、それ以外のレパートリーに価値を認められない人が出てきます。物事への見方や考え方が一面的になり他者との共存が図れなくなってくると、文化は権威主義に傾き、在り方として極めて不健全なものになります。
さて、「ピティナといえばコンクール」ですが、ピィティナのコンクール課題曲には、この点を考慮して次のような配慮みられます。「レパートリーや知識を広げていただく機会として、一般にあまり知られていない作品や作曲家の紹介、邦人作品の紹介をしている。さらに、楽譜が入手しやすいこと、という点でも考慮されている。」(HP内「課題曲」欄より)残念ながら、どんなに教育上・鑑賞上有意義な作品があったとしても、マイナー曲の多くは楽譜の入手が困難だというのが現状です。この点を解決するために、ピティナのオン・デマンド楽譜出版・提供サービス「ミュッセmusse」を通して入手可能な楽譜を増やしていきたいところです。
音楽に携わる私たちの究極の目的はコンクールに受かることにあるのではなく、自身の学びを通して、今以上に自分が輝ける新しい文化的ステージを創造していくことにあるはずです。この理想に向かって、『ピアノ曲事典』はこれからも多くの貢献をしていけると信じています。いつの日か「PTNAといえばピアノ曲事典」と言われる日が来ると、嬉しいのですが。
本日の一曲はドビュッシーと同時代に活躍したフランスの作曲家セシル・シャミナード(1857~1944)の作品です。サロン向けのピアノ音楽家として知られる彼女ですが、まだサロンを中心に音楽活動が展開していた時代のピアノ音楽ほど演奏のセンスが問われるジャンルはないと思います。内藤晃先生の温かく親密な雰囲気のある演奏は、どこか遠い時代から響いてくるような不思議な感覚を与えてくれます。内藤先生のPTNA連載「モンポウ喫茶~小品の楽しみ~」でシャミナードが紹介されています。宜しければもう少し、シャミナードの香りを味わってみてはいかがですか?http://www.piano.or.jp/report/01cmp/cafe_mompou/2008/06/24_6267.html
の間を、刀の付け根から切先に向かって走っている稜線で、刀の厚みはこの線から刃・背に向かって薄くなっています。「鎬を削る」とは、本来刀身のこの出っ張った部分が削れるほど激しく切り合うことで、転じて複数の者が激しく争うことを言いいます。コンクールの決選では文字通り「研ぎ澄まされた」演奏が聞かれますが、コンクール参加者はまさしく長い年月をかけて鍛え上げた音の刀を手にステージ上で鎬を削っているわけです。
熾烈な戦いを最後に勝ち抜いたピアノ・コンクールの優勝者にはそれに相応しいタイトルが与えられ、音楽活動の普及と促進に貢献するという輝かしい社会的任務が与えられます。しかし、文化的な代表者を決定するこの有意義なコンクールという制度には、一方で、見落としてはならないもう一つの側面があります。それは、文化活動を保守化させるという側面です。今日、多くのコンクールは、主催側が必ず演奏するように定めた課題曲と演奏者が一定の制限の下で選択する自由曲で競われます。この内、課題曲には必ずと言ってよいほどバッハ、ベートーヴェン、ショパンが入っています。それは、今日のレパートリーの中核をなすこれらの作曲家の作品を、基礎的なところからちゃんと練習し、勉強したか、という点を見るためです。大規模な国際コンクールの審査員は、最初の数秒を聴いただけで演奏者の力量を見抜く目と耳を持っています。
ところで、演奏家として身を立てていくにはたくさんのコンクールに参加して少しでも多くの賞をとっておくにこしたことはありません。なぜなら、賞を得ることでその道の代表者として社会に認められ、文化振興という名目の下、新しい仕事やチャンスを与えられるようになるからです。しかしコンクールを勝ち抜くには健康な身体と強靭な精神力が必要な上に、相当のお金もかかります。少しでも受賞のチャンスを増やそうと思えば、一生懸命レッスンに通い練習を重ねて何度も同じコンクールや別のコンクールに参加する必要が出てきます。多くの若い演奏家は、日本中、いや世界中を飛び回って少年時代から青年期までを「コンクール巡礼」に捧げるケースが多いようです。ですが、もしその間に自分で視野を広げようとしなければ、体と頭が最も柔らかい時期に限られたコンクール課題曲だけを学ぶということになりかねません。今度は自分がピアノを教える側にたった時にも、自らレパートリーを開拓していくことをやめてしまうと、再びコンクールを目指す生徒さんのために同じレパートリーばかりを教えることになるかもしれません。
もちろん課題曲で出会うバッハもモーツァルトもハイドンもベートーヴェンもショパンも、歴史上傑出した才人ですし、ピアニストは必ず演奏し、深く知っておくべき存在であることに違いはありません。しかし、コンクールという制度によって彼らの作品ばかりが繰り返されると、彼らの名前に対して一方的に権威が与えられ、それ以外のレパートリーに価値を認められない人が出てきます。物事への見方や考え方が一面的になり他者との共存が図れなくなってくると、文化は権威主義に傾き、在り方として極めて不健全なものになります。
さて、「ピティナといえばコンクール」ですが、ピィティナのコンクール課題曲には、この点を考慮して次のような配慮みられます。「レパートリーや知識を広げていただく機会として、一般にあまり知られていない作品や作曲家の紹介、邦人作品の紹介をしている。さらに、楽譜が入手しやすいこと、という点でも考慮されている。」(HP内「課題曲」欄より)残念ながら、どんなに教育上・鑑賞上有意義な作品があったとしても、マイナー曲の多くは楽譜の入手が困難だというのが現状です。この点を解決するために、ピティナのオン・デマンド楽譜出版・提供サービス「ミュッセmusse」を通して入手可能な楽譜を増やしていきたいところです。
音楽に携わる私たちの究極の目的はコンクールに受かることにあるのではなく、自身の学びを通して、今以上に自分が輝ける新しい文化的ステージを創造していくことにあるはずです。この理想に向かって、『ピアノ曲事典』はこれからも多くの貢献をしていけると信じています。いつの日か「PTNAといえばピアノ曲事典」と言われる日が来ると、嬉しいのですが。
本日の一曲はドビュッシーと同時代に活躍したフランスの作曲家セシル・シャミナード(1857~1944)の作品です。サロン向けのピアノ音楽家として知られる彼女ですが、まだサロンを中心に音楽活動が展開していた時代のピアノ音楽ほど演奏のセンスが問われるジャンルはないと思います。内藤晃先生の温かく親密な雰囲気のある演奏は、どこか遠い時代から響いてくるような不思議な感覚を与えてくれます。内藤先生のPTNA連載「モンポウ喫茶~小品の楽しみ~」でシャミナードが紹介されています。宜しければもう少し、シャミナードの香りを味わってみてはいかがですか?
名曲喫茶モンポウ:シャミナード