カミーユ・スタマティ《ピアノ・ソナタ》第一番 ヘ短調 作品8 より 第二楽章

掲載日:2012年5月28日
執筆者:上田泰史
比類ないピアノ演奏技術を獲得するために、特別な手の機能を手に入れたい!―この願いは、19世紀以来、今日までピアノ学習者の心をとらえ続けていますが、今日と違って、産業の急速な発展段階にあった19世紀はピアノという楽器そのものの機構が年々変化し、楽器の構造、音色、音の持続、ペダルの効果、鍵盤の幅・重さなどあらゆる面で革新がもたらされました。楽器の進化は当然、複雑な演奏技法の発展を急速に促し、演奏教育法の体系化を促しました。
「体系化」とは、一つの原理にもとづいて個々の部分を論理的に組織して全体を作り上げることです。「体系」は馴染みの英語では「システム」です。ピアノ教育でこれを具体的に言えば、様々な音楽作品に登場する技法、例えば音階、分散和音、アルペッジョ、三度、四度、トリル等々の技巧を抽出し、個別の練習課題に還元してひとつの「練習帳」にまとめ上げることです。ピアノ学習者が必ず練習する「ハノン」と呼ばれる教材もこの種のものですが、これはフランスのシャルル・ルイ・アノン(1819-1900)の『ヴィルトゥオーゾ・ピアニスト』というピアノ練習課題集です。
演奏技法の体系化は既に18世紀末に始まっていますが、その発展には楽器演奏の専門化が重要な契機となりました。1795年、フランスでは革命の動乱を経て国立パリ音楽院が創設されます。演奏に関しては、もともと軍楽と劇場のオペラ歌手を育てるための機関として器楽科と声楽科が設けられました。器楽科は楽器ごとに専攻が分かれていましたが、それは当時フルート奏者が場合によってはファゴット奏者を兼ねるなど、楽器ごとの高度な演奏技法を専門的に学ぶという習慣や制度がなかったからです。しかも、当時の劇場のオーケストラの優れた団員は多くがドイツ人演奏家でした。
このように音楽教育を通して国民意識を高める目的で、パリ音楽院ではいち早くシステマティック(体系的)な教育が各楽器に対して行われ、各分野・専攻のメソッドが編纂され出版されました。ピアノは当時は独奏楽器というよりも声楽の伴奏楽器という性格を強く残していましたが、初期のピアノ科教授ジャン=ルイ・アダン(1758~1848)が著した音楽院メソッド(1804年刊)は、ピアノ独自の演奏技法に焦点を当てた専門的なメソッドでした。
実作品から個別の演奏技法を還元する体系的メソッドはその後、長らくピアノ教育の基礎と位置づけられ、一般の愛好家から職業音楽家を目指す人まで、多くの市民が必死に指の訓練を行うようになりました。
ところで、速いスピードで音階が弾けるとか、正確に離れた鍵盤を打てるとかいう物理的な演奏の側面のことを、フランス語では「メカニスム」と言いますが、19世紀の教育者たちは、演奏においてこのメカニスムが目的ではなく手段であるということをよくメソッドの中で書いています。
特に職業ピアニストは通常、同時に作曲家でもありましたし、作曲家としての自覚が強いピアニストの場合には、バッハやラモー、クープラン、グルック、モーツァルト、ベートーヴェンなど過去の作曲家の作品に精通していました。
今日の一曲は、カミーユ・スタマティの作品から《ピアノ・ソナタ》第一番 ヘ短調 作品8 より第二楽章です。スタマティは、19世紀前半に完璧なメカニスムと滑らかなタッチで一世を風靡したピアニスト兼作曲家フレデリック・カルクブレンナー(1785-1849)の忠実な門弟で、以前ご紹介した「手導器」という演奏補助器具を使った教育を受けました。「メカニスム」に対して極めて厳格で明晰な思考を持っていた彼は、その成果を『指のリズム』作品36というスパルタ的な教則本にまとめています。若きサン=サーンスが受けたのは、この厳格なスタマティの指導でした。一方で、スタマティは師の勧める古典作品に精通した厳格な作曲家でした。本日ご紹介する《ピアノ・ソナタ》作品8は1843年に出版された作品で、同じ調性で書かれたベートーヴェンの《弦楽四重奏》作品95ヘ短調や《熱情ソナタ》作品57をモデルとしています。二楽章のコラール風の主題に基づく変奏曲は19世紀に書かれたソナタの緩徐楽章の中で、最も感動的な頁に属するでしょう。この点、スタマティはメカニスムと音楽的霊感の調和を果たしたこの時代の傑出した音楽家として記憶されるべき存在と言えます。