ヨハン・バプティスト・クラーマー《ピアノ協奏曲》第5番 作品48

掲載日:2012年5月8日
執筆者:上田泰史
部屋の少し高いところに作曲家たちの顔がずらりと並んでいるのは、中学校や高校の音楽室でよくある光景だと思います。ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、べートーヴェン、ドヴォルザーク、フォーレ、ドビュッシー…少なくとも私の中高時代に使用した教科書には年表がついていて、作曲家の名前がずらりと並び、さらに年表が色分けされ、「中世」「ルネサンス」「バロック」「古典派」「ロマン派」「印象派」等のように区分されてたのを覚えています。教科書では、一種類の時代区分法だけがこのように示されていて、試験用に暗記するのには便利ですが、歴史をどのように区分するかという問題は実はとてもデリケートな問題です。
たとえば、中学校時代は鎌倉幕府成立の年代を暗記するために「いいくにつくろう鎌倉幕府」と唱えたものですが、高校生になって詳しい参考書を見ていると、源頼朝の統治体制は彼が征夷大将軍に任命される以前の1185年には確立していたので「1192」説は実態に即していない、などと書いてあったりします。とはいえ政治史はレジーム・チェンジが西暦何年、と定まりやすいので解釈には諸説あるにせよ、ある程度「線引き」がしやすい。ところが、音楽の歴史は、「音楽」の実態がそもそも曖昧であるだけに、ばっさりと分けることはとても難しいものです。音楽を「音楽様式の総体」と捉えるか、「演奏様式の総体」、あるいは「生活のなかの音楽実践」と捉えるかによって様々な区分法がありうるからです。ちなみに、私たちが音楽の授業で目にした「バロック」「古典派」「ロマン派」などという言葉は音楽様式の変遷史に基づく歴史区分です。
しかし、音楽様式に基づく歴史と言っても、いつ「古典派」が終わって「ロマン派」が始まったのか言われると簡単には答えられません。そのために、音楽の歴史家は沢山の作曲家たちの楽譜掘り起こして検討し、形式、作曲法、楽器法などの観点から、それぞれの時代の音楽作品に共通の特徴を見つけようとしました。そして、数々の作品の中に見出された特徴を関連付け分類していくことで、主要な特徴がある時代に少しずつ生じ始め、やがて最盛期を迎え、衰退していくという音楽様式変遷の歴史的な語り口が成立していきます。
ちょうど有機体としての生命のように盛衰する音楽様式変遷の物語に立脚したこの見方は、20世紀初期にウィーン大学で「音楽学」という新しい学問分野を確立した教授グイード・アードラー(1855~1841)によって強調されたものです。彼は、ある時代の音楽様式を検討するために、一部の大作曲家ばかりでなく、殆ど知られていない作曲家の作品もよく検討すべきだと主張し、ドイツ・オーストリアの作曲家中心ではありますが、多くの楽譜を編集・出版しました。限定的ではあるにせよ、一定の「全体」の中で様式の変化を見ているわけですから、あるひとつの出来事によって「ここから様式が変わりました」「時代が変わりました」という話ではないのです。言いかえれば、ベートーヴェンが1827年3月26日に死んだからと言って、「古典派が終わりました」ということにはならないわけです。
さて、学校で教えられる「バロック」「古典派」「ロマン派」等の区分は、今からおよそ100年も前の古典的な「作品の様式史」をモデルとしています。教室に並ぶ作曲家の肖像は、様式変遷のなかでそれぞれの時代に頂点を築いたとされる人たちが大部分を占めます。しかし、「作品の様式史」的に何が重要かという問題と、私たちの個別の音楽体験のなかで何を美しいと感じるか、という問題を混同すべきではありません。作品の様式史の中ではある様式の「衰退期」に位置づけられる作品でも、魅力的な作品はいくらでもありますし、別の歴史のモデルを使えばその作品を高く価値づけることもできます。
前々回に引き続き、本日紹介する作曲家ヨハン・バプティスト・クラーマー(1771~1858)はベートーヴェンの一歳年下で、18世紀の後半に亡くなりましたから、いわば「古典派」と「ロマン派」の狭間を生きた音楽家です。生前、協奏曲、ソナタ、ノクターン、変奏曲を始め種々のジャンルでクオリティの高い作曲をしました。彼の作曲のモデルは、何よりもモーツァルトでした。協奏曲とソナタにはとりわけその特徴が顕著ですが、ピアノとピアノ音楽の様式が急速に変化を遂げる時代に生きたこともあって、彼の保守的なスタンスは「音楽の様式史」の視点からは殆ど顧みられません。しかし、クラーマーは新たなピアノの演奏技法を積極的に取り入れる進取気性も持ち合わせていました。特に練習曲集においては、格調高く、類稀な旋律のセンスが19世紀のピアノ語法と幸福な融合を果たしています。同じクレメンティ門下の作曲家兼ピアニスト、アウグスト・クレンゲルに捧げた《16の新しい練習曲》作品81(1840)年、モーツァルトのオマージュとして出版された《12の旋律的練習曲》作品107は今日、音楽作品の魅力という点から言って19世紀初期から現在まで使用され続けている《84のエチュード》以上に知られるべき作品です。これらは本日ご紹介したかったのですが、あいにく音源がありませんので、「要録音曲」として今後録音されることを期待しましょう。
そこで本日は19世紀のごく初期に出版されたクラーマーのピアノ協奏曲から第5番、ハ短調をご紹介します。オーケストラの序奏で突如現れるフォルティシモはモーツァルトの《ピアノ協奏曲》第20番ニ短調(K.466)を思い出させます。18世紀と19世紀の双方を生きた作曲家は音楽様式の変化や革命に伴う社会構造の変化、新興市民の音楽趣味の変化に晒されながら、過去と未来の双方に目を向けていました。18世紀に教育をうけ、古典的スタイルに片足を置きながら、1830年代にはショパン、リストら野心的な若い世代と共に生きなければならないという宿命を背負った彼らは、過渡的な存在として歴史(様式史)の暗がりに埋没する運命にありました。ジェネレーション・ギャップに戸惑いながらも、その時代が彼らに課した使命を果たすべく最善を尽くして音楽創作に取り組んでいたことを考えると、彼らの作品からは、確固たる信念と決意が流れ出てくるような気がします。写真は、当時ドイツで出版された協奏曲第5番の表紙です。