クララ・シューマン:スケルツォ 第1番 作品10 ニ短調

掲載日:2012年4月23日
執筆者:上田泰史
「歴史」という言葉は、ヨーロッパの言葉では「物語」という言葉と同じ言葉で表されることが多いです。例えばフランス語では「イストワールHistoire」、ドイツ語では「ゲシヒテGeschichte」。いずれも語源は異なりますが、「歴史」と「物語」という両義を含んでいる点では共通しています。英語の「ヒストリーhistory」を綴りを良く見ると、その中にはちゃんと「ストーリーstory」という綴りが入っています。辞書を引いてみるとstoryはラテン語、historyはギリシア語に由来する「ヒストリア」という言葉からきているそうです。
「歴史」が「物語」だとは一体どういうことでしょう。この二語を別々の言葉として持っている私たち日本人にはなんだかピンときません。私たちにとって「歴史」は中学や高校の歴史の教科書で見たように、客観的な事実を時系列に沿って記述したものだと言う印象があります。だから空想のおとぎ話や脚色された時代劇とは別物だという認識をどこかに抱えています。でも、「歴史」は本当に客観的な事実の羅列なのでしょうか。
「事実」とは何かという問題は、ニュースでもよく取り上げられています。例えば戦後の日本史記述について言えば、日中戦争における中国側の被害者数が、発表する国や機関、時期によって万単位で異なります。当然、日本側と中国側でも見解が異なりますし、歴史家の間でも根拠とする資料の扱い方によって様々な見解があります。根拠が妥当と思える説が複数ある場合には、歴史の書き手はそれらの中から自分や自分の属する集団の歴史観に相応しいと考えるものを取捨選択し、「事実」として記述していきます。ですから歴史教科書おいて、国や出版社によって過去の認識に大きな相違があるのは当然のことです。この点で、歴史は完全なフィクションと言い切ることはできないにせよ、書き手の歴史認識に基づいて脚色された一つの物語なのです。
さて、音楽の歴史も同様に多かれ少なかれ「都合のよい事実の選択」によって脚色された物語であると言うことができます。ここで、私たちの多くが共有している音楽の歴史観を見てみましょう。私たちが子どものころからマンガや教科書、学校の講義を通して学ぶ音楽史は、しばしば一つの大きな物語のモデルに基づいています。そのモデルとは、「大作曲家による傑作の歴史」です。ここで大切なのは、「大作曲家」「傑作」という言葉が中立的・客観的な言葉ではないと言うことです。つまり、「大作曲家」・「傑作」は数ある作曲家や音楽作品の中からなんらかの意図の下に選択され、認定された上で歴史に記録されているのです。
では、いったいどういう基準で「大作曲家」や「傑作」が選ばれるのでしょうか。私たちが勉強する音楽史では、政治史とは違って、作品が存在するという事実が、単にその社会的な影響力だけでなく、なぜその作品が「美しい」のか、どこに音楽的な価値があるのかという観点からも扱われます。この作品の価値を巡る抽象的な議論に客観性を与えるために、音楽史家や理論家は楽譜を分析して「ほら、この作曲家のこの作品は他の作曲家たちとは違ってこんなに独創的で、私たちに様式や作曲技法について深く考えさせてくれる」、そして「それが後世の大作曲家にこんなふうに受け継がれていったのだ」と言います。このタイプの物語の中では、作曲技法と作曲様式の発展という枠組みにピタッと当てはまる作曲家と作品が、意図的に取捨選択され、それらの関係が一定の根拠を基に説明されます。過去の数ある作曲家と作品の中からこうしてピックアップされた代表的な人物が、私たちに馴染みのバッハ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ブラームス、ドビュッシー等々であるわけです。しかし、そのような歴史観の下では、当然のことながら、取りこぼされたり無視されたりする作品が出てきてしまいます。
でも、これは逆に言うと、別の歴史観に立って過去を見渡せば、ここで取りこぼされてしまった作曲家や作品が表舞台に立つような物語も書くことができるということです。分かりやすい例でいえば、職業音楽家になることが社会的に認められていなかった女性作曲家の創作史や、作曲様式ではなく演奏様式の変遷を中心に据えた音楽史がそれに当たります。音楽研究者たちの間では、様々な視点からこれまでなおざりにされてきた過去の事実を汲みとって新しい物語を書こうとする動きがこの数十年で随分盛んになってきました。
さて、今日の一曲は女性作曲家の中でも近年少しずつ録音も増えてきたクララ・シューマンの作品から《スケルツォ 第1番》作品10を取り上げます。まだ結婚前ですから作曲者名は正確にはクララ・ヴィークと書くべきですね。20歳かそこらのクララは1839年にパリを訪れショパンやリスト、アルカンら一流のピアニスト兼作曲家の前で演奏し、彼らに劣らぬ演奏と作曲の技量で注目を集めました。この曲は、クララがパリ滞在中によく演奏した作品の一つです。『ピアノ曲事典』発の録音がまだないようなので、youtube外部音源にアクセスして聴いてみて下さい。このほか、パリで演奏した作品の中では《4つの性格的小品》作品5もロマン主義の文学的な要素を反映した名作ですので、今後、録音の機会が持たれることを期待しましょう。