ピティナ調査・研究

19世紀前半のイタリアとピアニスト・コンポーザーたち2

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19世紀前半のイタリアとピアニスト・コンポーザーたち2

掲載日:2012年10月3日
執筆者:上田泰史

若きショパンやリストがピアニスト兼作曲家として活躍した19世紀前半、パリやロンドン、ライプツィヒは一大音楽都市として栄え、ヨーロッパ各地から音楽家が集まりました。一方、オペラが支配的だったイタリアでは器楽は栄えなかったというのが通説です。なるほど、考えてみてください、イタリアのピアノ音楽作曲家、17~18世紀のD. スカルラッティ、イギリスで活躍した18~19世紀初期のクレメンティ以降、イタリア人の鍵盤音楽作曲家の名前は何人くらい思い浮かぶでしょう?19世紀イタリアのピアノ音楽は未だ謎に包まれています。

19世紀イタリア=ピアノ音楽不毛の時代?

先週の記事では、イタリア生まれのドイツ人、テオドール・デーラー(1814~1856)がショパン世代で最初の重要なピアニスト兼作曲家だったことをお話しました。彼はイタリアで神童として子ども時代を過ごしますが、重要な勉強時代はウィーンのチェルニーの下で過ごしますし、彼が名声を勝ち得たのはパリでした。では、そもそもこの時代、イタリア人のピアニスト兼作曲家は存在したのでしょうか?この辺りの研究は、まだ殆ど着手されておらず、どのようなピアノ音楽家がいたのか、その全体像は把握されていません。しかし、芸術の分野でも閃きに満ちた数々の「天才」を生み出してきたイタリアのことですから、ピアノという楽器が多いに流行し、「ピアノ熱」に覆われたこの時代に、イタリアがピアノに関して何も生み出さなかったというのは俄かには信じがたい話ではあります。

ショパン世代最初のイタリアのヴィルトゥオーゾ―ステファノ・ゴリネッリ

そこで幾つか古い事典から名前を拾って、フランスやイタリアの図書館で楽譜を調べてみると、やはりショパン世代のイタリアにも何名かの際立った才人を見出すことができます。 デーラーに続いて登場するのは1818年、ボローニャ生まれのステファノ・ゴリネッリ(1817~1891)です。彼の生まれたボローニャという街は、ローマ時代に建設されたエミリア街道が通る街として古くから交通の要所として栄え、ローマ、ミラノ、また東方からの技術がここで交わり豊かな商工業、芸術の土壌を育んできました。11世紀にはヨーロッパ最古の大学が創られ、各地から学生を集めていたことでも知られています。音楽については16世紀以降、アカデミー・フィラルモニカ(1666年創設)をはじめ職業音楽家養成機関である音楽アカデミーが創設され、長い間街の音楽活動を牽引してきました。19世紀初期に教育に特化した機関が創られるまで、音楽教育はこうしたアカデミーや教会、修道院で行われるのが常でしたから、宗教的な声楽曲や器楽合奏が優先され独奏楽器としてのピアノ教育が遅れたのも無理はありません。

ゴリネッリを取り巻いていた音楽教育の環境

ゴリネッリは、19世紀初期に設立されたと見られる音楽高等学校(音楽院に相当)の教員ベネデット・ドネッリにピアノを学びましたが、学校に登録していたのかは現段階ではよく分かりません。作曲理論に関しては作曲家のニコラ・ヴァッカーイに短期間個人的に師事しています。まだ制度的に成熟していないイタリアの近代的な音楽教育環境の中では、やはり各都市の主要な音楽家に個人的に学ぶことがピアニスト兼作曲家として活躍する上で重要だったということでしょう。これは、早くからパリ国立音楽院を通して国民に無償で音楽教育を提供していたフランスとの大きな違いです。しかし、この環境下でも、ゴリネッリはピアノ音楽において特に際立った成果をもたらしました。

作品

彼は現在確認出来る限りでも、作品番号にして234以上の作品を出版しており、その中には高度な演奏技法と作曲の力量を示す《12の練習曲》作品15(ドイツのピアニスト兼作曲家F.ヒラーに献呈)及び作品64、《24の前奏曲》作品23(ロッシーニに献呈)、69、177、交響的な5つのソナタ(作品30、53、54、70、140)に代表される大規模作品を書いています。1841年にイタリアを訪れた博学のドイツ人ピアニスト兼作曲家ピアニスト、フェルディナント・ヒラー(1811~1885)は、フィレンツェ訪問に際しボローニャに立ち寄りゴリネッリに面会、彼に作曲の助言を与え、イタリアのもっとも優れた作曲家であると太鼓判を押しました。また1844年には、シューマンが自身の創刊した音楽雑誌『音楽新報』の中で《12の練習曲》作品15を歓迎しています。

演奏家、教育者としての名声

1840年代、イタリア各地とフランス、ドイツ、イタリアの主要都市を巡演する国際的なヴィルトゥオーゾとして名声を博した後、ロッシーニが院長を務めるボローニャの音楽高等学校の教授に任命され、教育者としてイタリアのピアノ音楽水準を引き上げるために尽力しました。後に20世紀前半のイタリアを代表する作曲家となるフェルッチョ・ブゾーニ(1866~1923)は12歳ころに書いた3曲からなる《幻想的な物語》作品12(1878)をゴリネッリに献呈しているところを見ると、ゴリネッリの後世のイタリアに対する影響の大きさは小さからぬものがあったはずです。

録音

ゴリネッリの作品は比較的近年になってイタリアのピアニストジュゼッペ・ファウスト・モドゥーニョGiuseppe F. Modugno氏によって前奏曲集他が録音されています。

Youtube

モドゥーニョ氏によるゴリネッリ作品(《24の前奏曲集》作品69)の演奏が抜粋で聴くことが出来ます。
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商業録音

G.F.モドゥーニョ氏のディスコグラフィーページ

G.F.モドゥーニョ録音によるCD表紙より、ゴリネッリの肖像。氏のディスコグラフィーページより転載。
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