ピティナ調査・研究

【クイズの答え】「幻想」の1830年代

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【クイズの答え】「幻想」の1830年代

掲載日:2012年4月28日
執筆者:上田泰史

昨日のクイズの答えです。たくさんのアイディア有難うございました。「正解」に近いものからとてもユニークな発想まで楽しく読ませていただきました。この作品のタイトルは、「ダンス・デ・ファントーム Dance des fantôme」、すなわち「妖怪たちの踊り」ないし「亡霊たちの踊り」でした。御解答頂いた皆さまもこの絵からグロテスクな連想を展開されたようですね。以下、コメント欄に頂いたアイディアのまとめです。「~踊り」の前にくる言葉としては次のようなものが挙がりました。不吉な存在系:「悪魔」「魔女とその弟子たち」「ガーゴイル」「死神」「怪獣」「小鬼」「暗黒」「死」。ファンタジー系:「小人」「幻想」。ロマンチック系:「月夜」「月世界の踊り」。終末系:「審判後」、「虚無」。その他、数少ないポジティヴなイメージとしては「喜び」「春」「貴族」などがありました。たとえ妖怪でも舞踏会なら彼らなりにも楽しいでしょうから、妖怪たちの喜びを連想するのもあながち間違いではないですね。

この曲は1831年にポーランドからパリにやってきたショパンが親しくしたドイツの作曲家フェルディナント・ヒラーの作品です。
ヒラーは今日では殆ど演奏会で取り上げられませんが、19世紀のピアノ音楽界ではその博識と豊かな才能でピアノのヴィルトゥオーゾ、作曲家、指揮者、教育者としてもっとも著名な音楽家でした。ショパンもその知識と並はずれた演奏技術に敬意を表して《ノクターン》作品11と有名な《練習曲集》作品10のイギリス版を彼に捧げています。

《妖怪たちの踊り》はヒラーがショパンと出会う前の1829年、まだ彼が18歳の時に出版されました。ヒラーはこの時既に音楽の都パリに到着していました。この当時、文学界では「幻想」というテーマが作家たちの心を捉えていました。「幻想」といっても、単に夢のようなはかない物語ではなく、悪魔や魔女、亡霊が登場して騒ぎ立てたり、主人公を誘惑したりするという、奇っ怪さや誇張されたグロテスクさが前面に押し出されるものでした。代表的な作家は作曲家、音楽批評家としても知られるドイツの文人E.T.A.ホフマンで、1830年頃に彼の作品がフランスでも翻訳されました。「幻想」に関するもう一つの重要な作家はゲーテです。1806年に前半が完成した彼の戯曲『ファウスト』は1827年に作家ネルヴァルの手によってフランス語に翻訳されています。大雑把にいえば、主人公ファウスト博士が悪魔に魂を売る代わりに放蕩の限りを尽くし最後は自ら墓穴を掘って死ぬと言う話です。読みやすい日本語訳も文庫で出ていますから、是非手に取ってみてはいかがでしょうか。

1830年に初演されたフランス人作曲家ベルリオーズの《幻想交響曲》という作品は、芸術家がアヘンを飲んでトリップし、恋人の影を追い求める話に基づいていますが、第5楽章にはゲーテの『ファウスト』に出てくる魔女の饗宴(きょうえん)さながらの魔界のダンスパーティーが繰り広げられます。

もともとドイツ人のヒラーは、フランス人よりも敏感に文学の潮流を感じ取っていたことでしょう。同じくドイツ人で後にシューマンと結婚するクララ・ヴィークも1833年~36年に作曲した《4つの性格的小品》作品5で「幻想」を扱っています。その4曲のうち、第1番と第4番のタイトルは次のようになっています。「第1番:即興曲:魔女」、「第4番:幻想的情景、亡霊たちの踊り」。
この時期、いかに「幻想」が文学のみならず音楽家の心を捉えていたかがわかります。この「幻想」をテーマにした奇怪な作品ばかりを集めた演奏会なんてあったら、聴きに行ってみたいと思いませんか?

ヒラーに関心をもたれた方は、ピアノ曲事典「フェルディナント・ヒラー」も合わせてご参照ください。

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