フレデリック・カルクブレンナー《手導器の補助を用いてピアノを学ぶためのメトード》作品108の練習曲より、第9番

掲載日:2012年5月10日
執筆者:上田泰史
音楽の歴史の一つの語り口として、音楽の様式はある時期に少しずつ育ち始め、最盛期を迎え、やがて衰えていくという見方があります。これは、中高の音楽教育から音楽大学の学部に至るまで、一般に広く受け入れられている音楽史の見方です。「音楽学」という領域を専攻する学生は、大学院から先に行くともっといろんな歴史の見方を実践的に学び、歴史の再構築に貢献するような研究に着手します。しかし、大学の外では残念ながら、そのような世界があることは殆ど知られていませんし、支配的なのはやはり従来の音楽様式の歴史です。
様式の歴史モデルを簡単に思い描くために、ラクダのこぶのように幾つもの凹凸のある波線をイメージしてみてください。その曲線には最も高い点と最も低い点がありますね。最高点を様式発展の絶頂期、最低点を低迷期とします。この「山」と「谷」を繰り返しながら、時系列に沿って次々に新しい様式が現れ、発展し、衰退していくと考えましょう。例えば、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンで知られる「ウィーン古典派」はこの一つの頂点に位置づけられており、特にハイドンが弦楽四重奏や交響曲を通して入念な「動機労作」と呼ばれる手法を発展させた1780年代は、しばしば「盛期古典派High classic」と呼ばれることがあります。人生と同じように様式の変遷にも山あり谷ありというのが一つの音楽史のステレオタイプな見方になっているということです。
しかし、「絶頂期」を創った作曲家は歴史に名前が刻まれますが、「低迷期」や「衰退期」あるいは絶頂への「過渡期」という、いわば「山間」や「五合目」あたりまでの住人は、峰々に住む「大作曲家」と比較されてしまうので、「様式の完成には至らなかったが優れた作品を多く遺した」とかいう表現で語られたり、もっと悪い場合には話題にもされず、歴史の谷間深くに人目に触れずひっそりと住み続けることになります。
ショパンより25年早くドイツに生まれ、ショパンと同じ年にパリで亡くなったフレデリック・カルクブレンナーは、音楽史上では「古典派」真っ盛りの時期に生まれ、19世紀初期に「ロマン主義」という新しい芸術潮流が現れ始めたころに多感な青年時代を過ごしています。その間にはフランス革命という大きな体制の変化もありました。丁度時代の「谷間」で育ったカルクブレンナーは、1809年まで生きながらえたハイドン(1732-1809)にも会って助言を受けたことがありますし、また1831年にパリにやってきた当初のショパン(1810-1849)の羨望の的となりました。
ベートーヴェンを理想としながらも、発展しつつあったピアノの構造の変化、王侯貴族ではない、新興市民というあらたな音楽の聴き手の趣味に応じて、カルクブレンナーは実に多様なスタイルの作品を書いています。昨日ご紹介した練習曲〈トッカータ〉は、楽曲構造の均整や構成美を重視した18世紀的な色合いの強い作品ですが、本日ご紹介する、同じ曲集の練習曲第9番はもっとロマンチックで、フランス七月王政期の裕福なブルジョワの趣味に合ったものです。この曲が含まれる曲集は1831年、ショパンがパリにやってきた年に出版されています。同時代の他の作曲家にも当てはまることですが、カルクブレンナーの創作には彼の置かれた時代の推移が映し出されているだけに、彼の多様な創作態度の本質は幾つかの曲を聴くだけでは把握することができません。
単に曲や作曲家に対する個人的好み、作曲家が有名かどうか等の基準で聴く音楽・弾く音楽を選ぶのも悪くありませんが、「山脈」のあちらこちらに住む作曲家の様々な作品を聴き比べながら、時代のダイナミズムを聴く―こういう音楽の聴き方の楽しみに気付くと、音楽と歴史の広がりの両方を味わえるようになり、豊かな経験として蓄積されていくのではないでしょうか。そのためには足を運びにくい「秘境」へ多くの方々を誘う「新名所案内」が必要です。このようなガイド作りもに、今後、真剣に取り組んでいきたいと思っております。