46. 「30番」再考 ~ 第28番―シンフォニックな様式
フランス語の「サンフォニーsymphonie」という言葉は、いわゆる交響曲(シンフォニー)というジャンル名であると同時に、18世紀からの伝統で19世紀になってもオーケストラやオーケストラ曲という意味合いを含んでいました。この意味で、急速な和音連打によって広がりのある響きを生む第28番 ヘ長調は「サンフォニック」、つまり交響的、オーケストラ風のスタイルで書かれています。
オーケストラ風の響きで書かれているということは、チェルニーの楽譜にもオーケストラの楽器が暗黙のうちに想定されているということになります。次の譜例1は第28番の冒頭ですが、どのような楽器が思い浮かびますか?
音域とオーケストラの一般的な用法に照らしてイメージすると、朗々と歌うようなスラーのついた下声部(左手)の旋律はチェロ、また、右手の16分音符の刻みはヴァイオリン、ヴィオラの軽快な伴奏がぴったりです。
より具体的なイメージをつかむために、実際のオーケストラ作品を引き合いに出して見ましょう。次の譜例はチェルニーの師、ベートーヴェンの有名な《交響曲》第3番 変ホ長調〈英雄〉の第一楽章冒頭(弦楽の4パートのみ)です。
この交響曲の冒頭の2小節はトゥッティ(総奏)でオーケストラの全ての楽器が鳴ります。3小節目からはヴィオラと第2ヴァイオリンが8分音符のリズムを刻みます(青で着色した領域。付点2分音符の上に8分音符の音桁がつくと、付点2分音符分の長さを8分音符で刻むことを意味します)。その下で、チェロは主題の旋律を堂々と奏でます(オレンジで着色した領域)。
ところで、チェルニーの弟子だったフランツ・リストはベートーヴェンの交響曲全曲をピアノ用に編曲しています。リストがこの箇所をどのようにピアノに書き写しているかを見てみましょう。
8分音符の刻みによる第2ヴァイオリンとヴィオラの伴奏は右手に置かれ、左手はチェロの旋律を担います。このピアノ書法は、チェルニーの「28番」の特徴と全く同じです。
オーケストラや室内楽の編成を念頭に置いたピアノのオリジナル作品は、18世紀に多く見られます。例えばショパンは《12の練習曲》作品25の第19番でチェロのレチタティーヴォ風の旋律で曲を開始し、その上にやはり刻みの伴奏ともう1つの別の旋律を置いています。
ショパンはもちろん、チェロの響きを熟知していました。フランスに来たショパンと親交を結び、彼の生活を助けたパリ音楽院チェロ科の教授オーギュスト・フランコームとショパンは親友で合奏をしていましたし、後にショパンは彼に《チェロ・ソナタ》作品65も献呈しています。
ショパン、フランコームの共通の親友アルカンが1857年に出版した《全ての短調による12の練習曲》作品39の第4番~第7番は〈交響曲〉と題された作品で、「オーケストラのオリジナルがないピアノ編曲」ともいえる作品です。その第1楽章の冒頭は、やはり上声部の和音の刻みと低音の旋律が特徴的です(低音部はチェロ+コントラバスでしょうか)。
19世紀にチェロを模倣するピアノ書法が好まれた一般的な理由として、前回挙げたように、ピアノの製造技術の発展によって中音域に充実した響きがもたらされたという点が挙げられます。人声に近い音域のチェロの響きは、ピアノによる声楽的旋律の表現とともに、ピアノの書法に取り入れられていったといえます。
このように、チェルニーの「第28番」はピアノでオーケストラの楽器の響きを実現しようという、野心的で想像力豊かな創作手法の中に位置づけられます。ということは、現代私たちがピアノを学習する際には、オーケストラや室内楽をピアノ曲と同じくらい良く聴くように習慣付ける必要があります。特に室内楽であればそれを実践することがあらゆるピアノ作品の理解と解釈、想像力の陶冶に役立ちます。そうすると、ピアノ曲から出発しながら、さらに広く養分豊かな音楽の大海原に漕ぎ出すことができるでしょう。