43. 「30番」再考 ~ 第17番―性格的な小品:対照的な2つの情景
「30番」の大部分の曲は、一つの決まった音型に基づくテクニックを用いて構成されていますが、A-B-A’の3部分から成る第17番「ヴィヴァーチェ・ジョコーゾ」は、異なる種類の演奏技巧とスタイルが登場し、対比が生み出されている点が特徴的です。
第17番の対照的な2つの要素は、A部で提示されます。譜例1は一つ目の要素、曲を開始する装飾音付きの軽快なパッセージです。
装飾音は、当時フランス語で「アグレマンagréments」や「趣味の音notes du goût」という名称で知られ、1830年代にはピアノの基本的なテクニックとして練習曲でたびたび扱われた技法でした。1拍以下の短い音価の中に装飾音を入れるチェルニーと同様のパッセージは、1856年に出版された「30番」以前には、パリ音楽院教授だったヅィメルマンの《25の練習曲》作品21(1831)やその弟子のアンリ・ラヴィーナの練習曲に見られます。
ラヴィーナが21歳のときに出版したこの練習曲は、声部数も多く非常に難しい作品ですが、パリ音楽院の教育でも用いられ、当時パリのピアノ界では大変話題になった作品でした。
このように、チェルニーは、第17番の一つ目の要素を、30年代の急進的なピアノ練習曲の成果に負っているといえます。
17番を構成する2つ目の主な要素は、13小節目に登場します。右手の16分音符による3連音符です(譜例4)。この音型自体はありふれたものですが、中間部で特殊な役割を担うことになります。
この2つ目の主な要素を便宜上、音型bと呼ぶことにします。中間部で音型bは第33小節から、8分音符の伴奏の上で特徴的な旋律に姿を変えます(譜例5)。
このパッセージは、1840年代から50年代、国際的な名声を博していたフランスのピアニスト兼作曲家で、やはりヅィメルマンの門弟だったエミール・プリューダン(1816~1863)のトレードマークとも言うべきものでした。例えば、1844年にプリューダンが名手マリー・プレイエル夫人に献呈した《12のジャンル練習曲》作品16※1の第6番〈鬼火〉は、序奏に続いて愛らしい「鬼火」が登場します。
- この練習曲は第6番までしか出版されませんでした。
次に示す譜例6が「鬼火」の主題です。
12連音符で書かれていますが、1小節に3連符が4つという計算なので、右手の動きはチェルニーの要素bと同じです。左手も、2小節ずつスラーのかかった8分音符の分散和音です。
音型の類似は、更に主要モチーフに回帰する場面にも認められます。チェルニーは中間部を、左手のドミナント(d音)上で反復される右手の波打つ3連符で締めくくり、主題回帰への準備をしています(譜例7)。
プリューダンの〈鬼火〉にも、同じパターンが観察されます。左手のバスのドミナント上(des音)上で、右手は刺繍音をちりばめた反復する3連符を置いています。
チェルニーの第17番の要素bはプリューダン風の、愛らしく揺らめく〈鬼火〉に良く似ています。プリューダンは1853年のヒット作《妖精の踊り》作品41という作品でも再びこの書法を用いています(3:32~)。
ところで、チェルニーはプリューダンの作品を知っていたことは確かです。チェルニーの大著『ピアノ教本』作品500(1839)の第4部には、次のようなタイトルの作品一覧が収められています。「著名作曲家の最良にして最も有用な作品一覧」。ここで、1839年までに出版されていたプリューダンの作品が3作品(作品8,10,11)挙げられています。チェルニーがその後もプリューダンの作品に注目していたとすれば、作品16の〈鬼火〉や《妖精の踊り》作品41を知っていたとしても不思議ではありません。
「妖精」や「鬼火」といったロマンチックな題材と結び付けられ知られていた音型は、チェルニーの17番では「Vivace giocoso生き生きとおどけた」装飾音たちの合間に置かれることで、情景の転換が行われます。このようにして、17番は単なるメカニスムの練習に留まらず、一定の性格を帯びた一つの性格的小品と見做すことができるでしょう。