36.「30番」再考 ~ 第4番 重唱風の旋律
第3番は様式的には第1番と同じくジーグ風の練習曲で解説が重複しますので、今回は第3番を飛ばして第4番に進みます。第4番のメカニズム上の課題は右手の分散和音と2つの旋律をレガートで演奏することにあります。譜例1は第4番の冒頭8小節です。2つの旋律とは、どれとどれでしょう。
一つ目の旋律は楽曲を支える左手のバスのラインです。3小節目の「シ-ソ-シ-ソ」は比較的歌いにくいですが、バスのパートには3つのスラーが掛けられ、全体で3つのフレーズのまとまりを意識して演奏することを学習者に促しています。「フレーズ」とは、言葉のフレーズの比喩で、音楽用語としても古くから定着しています。例えば「今日、私は、朝六時に起きました」という文にこのように句読点を打った場合、「今日」、「私は」、「朝六時に~」の3つのまとまりがフレーズとして認識されます。ドイツの音楽理論家J. Ch. コッホ(1749~1816)やボヘミア出身でパリで活躍した理論家A. レイハ(1770~1836)は、このように文法的なフレーズ構造の比喩を用いて旋律のフレーズを体系的に説明しようとしました。
つまり、譜例1のスラーは旋律のフレーズの区切りを示しており、この曲が旋律的、つまり歌の様式で書かれていることを示しています。
第2の旋律は、右手の各拍の頭に置かれた4分音符によって形作られています。「ドドドド|シシシシ|レレレレ|ドドドド~」。この右手の旋律には2つのスラーがかかっています。譜例1の4小節目までが一区切り、続いて5小節目から8小節目までが一つのフレーズを作っています。右手の旋律をこのフレージングに則して大きく捉えてみましょう。そのためには、1~6小節目の反復される4分音符を全音符に、7小節も同様にそれらを2分音符にまとめて歌ってみるとメロディ・ラインがはっきり浮かび上がります。
さて、第4番の全体はこのように2つの歌うようなメロディで成り立っているということから、第4番は二重唱のスタイルを念頭においているということが分かりました。この二重唱は、家族や客人と生き生きとした音楽体験を共有することができるので、19世紀のサロンでとても大きな役割を果たしていました。独唱、二重唱にかかわらず、多くは恋愛を歌うこれらの室内声楽曲はロマンスと呼ばれ各国でたくさん出版されていました。ドイツではメンデルスゾーンやその友人フランツ・アプト(1819~1885)という作曲家が多くのロマンスを残しています。アプトは多作家でしたが、彼の作品の中には、チェルニーの第4番のように、ソプラノとバリトンの重唱もあります(譜例3)。
2人は同じリズムの異なる旋律を歌うので、決して難しくなく当時の愛好家なら初見でこうした音楽を楽しむことができたでしょう。
二重唱の様式はピアノ音楽にも導入されました。例えば、メンデルスゾーンの《無言歌集》(フランス語では「歌詞のないロマンスRomances sans paroles」と訳されます)の第3集に収められている第6番〈デュエット〉では、メゾ・ソプラノないしアルトとテノールが互いに歌い交わし、最後に一緒になって同じリズムの旋律を歌います。つまりこの曲は混声の重唱型ロマンスをピアノ用に書いたものと言えます。譜例4では冒頭14小節で、女声のパートの入りが赤で、男声の入りが青色の鍵括弧で示されています。
チェルニーの第4番は、このように重唱型のロマンスからピアノ音楽に取り入れられた声楽的なスタイルを念頭において書かれているのです。メンデルスゾーンのような様式の模範を目指して第4番を練習すると、第4番の見方も変わってくるのではないでしょうか。