ピティナ調査・研究

34. 「30番」と様式―第1番はJ.-B. リュリのジーグ?

「チェルニー30番」再考
第二部「30番」再考
34. 「30番」と様式―第1番はJ.-B. リュリのジーグ?

「ソドレミレドソドレミレド~」小川の流れるようなこのメロディは一度聴くと耳に残りますね。この曲のメカニスム上のポイントははっきりしています。

メカニスム上の特徴

それは一定のポジションで5本の指を独立させることです。最初の6小節の右手の運指は巧みに組織されています。1~2小節目で5-1-2-3、3~4小節目で5-2-3-4のまとまりが、そして5~6小節で5-3-4-5のまとまりが用いられます。右手の親指に近い方からより独立しにくい小指に近い方へとバランスよく5本の指全体が動くようになっています。


チェルニー《30のメカニスム練習曲》作品849(1856) 第1~6小節
譜例

10~12小節からは左手がスタッカートになり、伴奏に軽快さが与えられます。右手の新しい要素は固定された小指です。ある指を固定して他の指の独立した動きを訓練するのはクレメンティやその弟子カルクブレンナーによって既に体系化されていたやり方です。ここで、既にポリフォニー演奏の初歩が準備されているのです。


チェルニー《30のメカニスム練習曲》作品849(1856) 第10~12小節
譜例

後半の開始を告げる第17小節では、変化をつけるために前半の音型が鏡に映したように反転します。つまり、「ソドレミレド」という「下がる→上がる→下がる」が「ソレドシドレ」という「上がる→下がる→上がる」という音型に置き換えられるのです。これには練習上の目的と同時に、冒頭の「ソドレミレド」モチーフが反転した形を用いることで統一性を一曲にもたらそうとする知的な配慮を見て取ることができます。


チェルニー《30のメカニスム練習曲》作品849(1856) 第17~19小節
譜例

ここでは、固定される右手の指は小指ではなく親指に変わります。これも「反転」の結果です。こうした配慮から、第一番がうまく計算されて作られていることがわかります。

様式上の特徴

同じ音型を繰り返し用いるのは、もちろん練習曲の特徴なのですが、独立した練習曲がジャンルとして成立する以前、17、18世紀には鍵盤楽器のための前奏曲やトッカータなどでよく見られました。バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の前奏曲を思い浮かべて頂ければそのことがよく分かると思います。

次に冒頭を示す《平均律クラヴィーア曲集》第1集の前奏曲の旋律はチェルニーの第1番とよく似ています。赤い鍵括弧は、ハ長調にすれば「ソドレミレド」というチェルニーのモチーフと共通しています。


J. S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第1巻、〈前奏曲〉第5番 第1~2小節
譜例

この点、チェルニーの第1番の様式がバロック時代の前奏曲の様式ということは可能です。しかし、もう少し考えをめぐらせて見ましょう。偶数拍子で急速に動く三連符は17世紀の舞曲組曲の最後に置かれるジーグの特徴です(舞曲組曲の典型的な構成はアルマンド―クーラント―サラバンド―ジーグ)。次に示す例はバッハの《パルティータ》第3番の終曲〈ジーグ〉です。


J. S.バッハ《パルティータ》第3番、〈ジーグ〉 第1~2小節
譜例

ところで、第1番のジーグには、1850年代前半に出版された『クラヴサンの大家たち―古い時代のクラヴィーア音楽』※1と題する曲集に収められた「リュリ作」と伝えられる組曲のジーグに酷似しています。次の例はその冒頭です。


J.-B. リュリ?《アルマンド、サラバンド、ジーグ》より、〈ジーグ〉 第1~4小節
譜例

ホ短調の「シミファ#ソファミ」「シミファ#ソファミ」の音型は完全にチェルニーの第1番と同じです。更に、ト長調に転じる後半冒頭で、チェルニーになじんだ私たちの耳はまったく同じ旋律を捉えます(リピート記号の直後)。


同前、第17~24小節
譜例

ジャン=バティスト・リュリ(1632~1687)は鍵盤楽器のための作品は書いていないので、なぜこの作品がリュリ作として伝えられているのかは謎です。しかし、50年代に出版されたチェルニーがこの曲に関心をもっていた可能性は十分にあります。この曲集の編者のケーラーLouis Köhler(1820-1886)はピアニスト兼作曲家で、チェルニーのいたウィーンで学習時代を過ごしていますし、批評家としてはF.リストから高く買われていました。
19世紀後半はルネサンス以降の「古い」音楽を普及しようという歴史主義的な風潮が高まった時代でした。鍵盤楽器を含むバッハ作品やスカルラッティの鍵盤楽曲を編纂したチェルニーもまたその運動の推進者でした。「リュリ作」のジーグの由来はともあれ、チェルニーの「1番」には17世紀の舞曲〈ジーグ〉の反映があることをここでは押さえておきましょう


  • Louis Köhler (éd.), Les maître du clavecin, Clavier-Musik aus alter Zeit, Branischweig, Henry Litolff's Verlag, n. d. この曲集を出版した? Henry Litolff's Verlag ? はピアニスト兼作曲家のアンリ・リトルフが1851年に、妻のかつての夫ゴットフリート・マイヤーGottfried Meyerの会社を引き継いで立ち上げた出版社で、「277」という楽譜プレート番号はごく初期の出版物であることを示す。
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