ピティナ調査・研究

6. 練習曲、訓練課題から独立する(1830年代)

「チェルニー30番」再考
第一部 ジャンルとしての練習曲
~その成立と発展(1820年代~30年代)
6. 練習曲、訓練課題から独立する(1830年代)
その2:クレメンティの「訓練課題」とクラーマーの「練習曲」
ピアノ教育にとって、練習曲の力強さが一般に認められる時がついに到来した!by Ch.ショリュー(1830)

ピアニスト兼作曲家や批評家たちがこのジャンルに着目し始めた20年代後半を経て、1830年代にはいると練習曲をめぐる状況は大きく変化し始めます。1830年、パリで刊行されていた定期刊行雑誌『ルヴュ・ミュジカル』の無記名記事からは、練習曲が独自の地位を占めるようになってきた様子が伺われます。記事では、それまでの人々は練習といえば「ソナタや、様式を鍛錬するのに有益な様々なジャンルの曲を演奏した」が、これは「メカニスムを向上させるのにはほとんど適していなかった」、と断言します。では、そのために何が求められたのでしょうか。その答えは練習曲集であり、それを体現したのがクラーマーの練習曲集だったというのです。「クラーマーは、ピアノ曲の面白味を削ぐことなく、少なからず劇的な形式をこれらの曲に与えながら、各種の難しさに特化した練習曲を作曲できると考えた」というわけです。

練習という実用性と作曲家の創意が両立できるジャンルとしての練習曲集は、クラーマーの示した指針に沿う形で、30年代までに「多くの傑出したピアニストたち」によっても出版されることになったと、記事では分析されています。先見の明を持つ記事の著者は、この動向を踏まえたうえで、次のような予言を打ち出します。「[練習曲集というジャンル]は、さらに長い間、この難しい技巧の全体が概観されないうちに、いっそう多様なものとなるだろう。」なぜか―それは、「それぞれのピアニストは、自身の演奏に、自身のエスプリから出る表現の中に、彼らにしかない独自のものを持っているからだ」※1、というのです。

この記事の著者は、クラーマーの練習曲以後、練習曲が純粋な手や指の訓練にとどまらず、「曲の面白み」をも伴う独立した音楽ジャンルとして発展していくことを予言しています。同年、パリ音楽院でルイ・アダン教授のクラスを出たピアニスト兼作曲家、シャルル・ショリュー(1788-1849)は、この批評家に呼応するように、《ピアノための特別な練習曲》作品130に次のような文句を書き込みました。

「ピアノ教育にとって練習曲の力強さが一般に認められる時がついに到来した。」※2

この二年後、1833年に23歳の若きショパンがパリで《12の練習曲》作品10を出版することになるのは、彼らの予言の正しさを証明しています。

1830年代、ショリューの号令に応じる様に、あとにも先にもない「エチュード熱」がピアノ界を席巻します。パリ音楽院に学ぶフランスの音楽家はもちろんのこと、ヨーロッパ各国からパリに集うヴィルトゥオーゾたちは老いも若きも、それぞれに趣向を凝らした練習曲を書きました。全てを挙げると長大なリストになりますので、ここでは主な名前を挙げるに留めます。ベテラン組の中は練習曲の立役者クラーマー、ドイツの楽長フンメル、音楽院教授ヅィメルマン、音楽院出身のカルクブレンナークレメンティの系譜に連なる音楽家アンリ・ベルティーニ、ウィーンのチェルニー、ボヘミアの巨匠モシェレス、更に若い世代ではパリのアルカンラヴィーナ、ポーランドのショパン、コンツキヴォルフ、ハンガリーのリスト、イタリア出身のデーラー、ドイツのヒラーローゼンハイン、スイス出身のタールベルク等が、10年の間にせめぎ合うように練習曲集を出版しました。


  • この記事は、パリ音楽院ピアノ科教授ジョゼフ・ヅィメルマンの新作《25の練習曲》作品21の批評として掲載された。Anonyme, 《 Publications élémentaires : Vingt-quatre Études composées pour le piano et dédiées à S. A. R. madame la princesse d'Orléans, par J. Zimmerman, professeur au Conservatoire et membre de la Légion-d'honneur. Œuvre 21 : prix 20 fr. à Paris, chez Launer, éditeur de musique, boulevard Montmartre, 14 》, Revue Musical, no 34, 22 septembre 1832, p. 271-272.
  • Charles CHAULIEU, Études spéciales pour le piano, op. 130, Paris, H. Lemoine, 1832, p. II.