ピティナ調査・研究

まえがき

「チェルニー30番」再考

先般、チェルニー30番の「楽曲マップ」がPTNAホームページで公開されました。

「30番」は、ごく基礎的な学習を終えた生徒が、ベートーヴェンをはじめとするより規模の大きい作品に取り組む前に必ず通過する教材として、世代を超えて親しまれています。いずれもごく単純な二部形式、三部形式で成り立っており、一見単純で機械的な練習課題というイメージが強いため、チェルニーと聞いただけで厳しいレッスンの想い出が蘇る方もいらっしゃるかもしれません。

この「チェルニー30番」を注意深くみると、技巧上、音楽上の細やかな配慮を見ることができます。この「30番」が今日でも広く有用だと認められているのは、様々な種類のテクニックはもちろんのこと、より複雑なソナタ形式を学ぶ前に、簡潔な形式に親しむことができるからでしょう。

実はこの練習曲は、チェルニーが晩年に発表したものです。交響曲、室内楽、ピアノ曲、声楽と、あらゆる分野で、信じ難い数の作品を残したチェルニーが、深い音楽経験と知識をもって書いたこの練習曲集は、単純な装いのなかに、入念に計算された運指、様々な様式を巧みに織り込んでいます。「見る人が見ればわかる」奥深さがあります。

しかしその「奥行き」は意外と気づきにくいかもしれません。

こんにち、たくさんのピアノの教材が存在しますが、「チェルニー30番」はブルクミュラーの練習曲集等と並び、必ずと言って良いほど教育課程にプログラミングされています。「チェルニー30番」はあくまで「30番」であって、これを「チェルニー晩年の作、1856年に出版された作品849」と考えているひとは恐らく皆無です。

「30番」は、ほとんど歴史的な文脈のなかで認知されてきませんでした。これを19世紀前半のエチュードの歴史という文脈に位置づけ、どのような歴史の必然の中で産み落とされたのかを、いくつかの観点から見てみたいと思います。

筆者は現在パリに在住し、19世紀のフランスで出版されたピアノ音楽を主な研究対象としています。パリは当時ショパンリストたちが活躍し、そこで練習曲を書いた街です。特に練習曲は、パリで発展したジャンルといって良いくらい、1830年代のパリで飛躍的な発展を遂げました。チェルニーがウィーンの人であるにもかかわらず、筆者がこの連載で「パリのエチュード史」という大きな文脈を採用するのは、エチュードというジャンルを育んだ土壌としての重要性をパリに認めているからです。

チェルニーの出版した練習曲集も、かなりの数がパリで出版され、広く受容されていました。パリのエチュード史の中で見たとき、「30番」やチェルニーの出版した数々の練習曲は、一体どのような姿を我々に見せてくれるのでしょうか。連載の第一部は「ジャンルとしての練習曲~その成立と発展(1820年代~30年代)」と題し、「練習曲」という概念とその内実がどのように変化していったかをいくつかの事例に基づいて辿ります。第二部は、「『30番』再考」と題し、第一部の歴史的な背景を踏まえて、チェルニーの30曲の特徴的な数曲を選び、他の作曲家の作品と比較しながら「30番」の背後に広がる世界との関係を見てみたいと思います。

この連載を通して、これまであまり語られてこなかった新しいチェルニー像を垣間見ることになれば、筆者としてこの上ない幸いです。