「最も成功したバッハ」第二回:クラヴィーア・ソナタ【1】ソナタ百年史(執筆:佐竹那月)
C.Ph.E.バッハのクラヴィーア作品
執筆:佐竹那月
C.Ph.E.バッハのクラヴィーア・ソナタについてのお話に先立ち、18世紀のクラヴィーア・ソナタの歴史を駆け足で概観します。ここで言う「クラヴィーア」とは、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノといった鍵盤楽器を指します。18世紀には、上記の3つの楽器が並行して用いられ、主な使用楽器がチェンバロからフォルテピアノへと移り変わっていきました。本稿では特に、ソナタの楽章構成や、各楽章の形式の変遷を中心に辿っていきます。
1700年前後のドイツでは、ライプツィヒのトーマス教会でカントルを務めたことでも知られるヨハン・クーナウ(1660~1722)が、《新鮮なクラヴィーアの果実》(1696年)、《聖書の物語の音楽的描写》(通称《聖書ソナタ》、1700年)といったクラヴィーア・ソナタ集を遺しました。《聖書ソナタ》はその名の通り、旧約聖書の内容をもとにした標題音楽です。彼のソナタは、ドイツにおける最初期のクラヴィーア・ソナタであり、緩急の交替する多楽章構成と、時折フガートの楽章を含むことを基本的な特徴としています。J.S.バッハは、当時人気を博していたクーナウのソナタに影響を受け、《ソナタ ニ長調》BWV 963を作曲しました。この作品も、クーナウのソナタに似た多楽章構成で、後半に2つのフーガが置かれています。
一方、18世紀前半のイタリアでは、D.スカルラッティ(1685~1757)が、500曲以上のソナタを作曲しました。彼のソナタは2部分形式あるいは原初的なソナタ形式による単一楽章で、2曲を1組として演奏されたと考えられています。
さらに、「アルベルティ・バス」(分散和音の伴奏型)で有名なD.アルベルティ(1710~1740)やB.ガルッピ(1706~1785)は、歌うようなソプラノ声部と伴奏を基礎とする、ギャラント様式のソナタを作曲しました。各楽章は主に2部分形式で書かれています。ガルッピのソナタは約半数が単一楽章で、アルベルティのソナタのように2, 3楽章構成の作品もあれば、オペラのシンフォニアや協奏曲のような急‐緩‐急の3楽章構成を取り入れた作品もあります※脚注1。
ドイツ語圏のクーナウに続く世代でも、急‐緩‐急の3楽章構成からなるソナタが、C.Ph.E.バッハや若き日のハイドンらによって作曲され始めました。彼らのソナタの冒頭楽章は、主にソナタ形式で書かれています。彼らのソナタ形式における主題の扱われ方は多様ですが、基本的には単一の主要主題と副次楽想に基づくものが多く、主題間の対比よりも、主調と対立調(属調または平行長調)との対比に主眼が置かれています。彼らのソナタの急‐緩‐急の3楽章構成は、モーツァルトら後の世代のソナタにも引き継がれていきました。モーツァルトのソナタ形式楽章は、多様な性格をもつ複数の主題・楽想が紡がれるのが特徴です。
18世紀の終わり頃には、若きベートーヴェンがソナタの作曲を始めており、ボン時代およびヴィーン時代初期のソナタ(《ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調》作品27-1まで)が、彼の18世紀中の創作にあたります。初期の「選帝侯ソナタ」(1783年)は3楽章構成で、それらの書法からはマンハイム楽派やモーツァルトらの影響がうかがえますが、第1番(作品2-1)のソナタ以降では、急-緩-メヌエット/スケルツォ-急の4楽章構成や、2楽章構成も取り入れられました。
このように、18世紀は、今日よく知られるソナタ形式の基盤が徐々に形成されていった時期でした。その中で、C.Ph.E.バッハは、後の時代に受け継がれていく3楽章構成をソナタに採用した最初期の作曲家の一人として、音楽史的にも重要です。
- Koch, Heinrich Christoph.Versuch einer Anleitung zur Composition.3 Bde., Leipzig: Böhme, 1782-1793.
- 伊東信宏編『ピアノはいつピアノになったか?』、大阪:大阪大学出版会、2007年。(阪大リーブル 1)
- Monson, Dale E. ❝Galuppi, Baldassare.❞ Grove Music Online. 2001; Accessed 8 Dec. 2024. https://www.oxfordmusiconline.com/grovemusic/view/10.1093/gmo/9781561592630.001.0001/omo-9781561592630-e-0000050020