ブルクミュラーとその周辺(6)~練習曲の出版と晩年~
バレエ作曲家として有名になったブルクミュラーですが、「レディ・アンリエット」発表後は、ほとんどピアノ曲の作曲(と恐らくは指導も)に専念しました。次々と発表するピアノ曲や編曲は、フランスのみならず他の国でも人気があり、ドイツでは「フランソワ・ブルクミュラー」や「フェルディナント・ブルクミュラー」といった架空名義の、いわば「偽ブルクミュラー」によるサロン音楽や簡易的なオペラの編曲も大量に出版されました。
1850年代には、おなじみの練習曲が登場します。1851年に「25の練習曲」Op.100、1854年(フランスでは1861年)に「12の練習曲」Op.105、1858年に「18の練習曲」Op.109が出版されました。これらの3つは「25」「18」「12」と段階を踏むように構想されたと見られますが、このうち「12の練習曲」については、難易度の高いこの曲集の方が先に出版されていること、少なくともドイツとイギリスでは1854年に出版されてはいるもののフランスでは遅れて1861年に出版されたこと、フランス版だけ曲順が異なり各曲にタイトルが付いている、などのミステリーがあります(1851年には全て作られていたとする説もあります)。
ところで、「25の練習曲」は昔からレッスンの定番ですし、最近では「18の練習曲」もよく弾かれますが、「12の練習曲」は現在でもあまり弾かれていないという話を聴きます。「12の練習曲」は全曲がではないですが、実際に難易度の高い曲も含まれていて、かなり弾ける所まで進むことをブルクミュラーは意図していたように思えます。この中から、特に高度な技巧を必要とする2曲と、ヴィルトゥオーゾたちの作品を比較のために載せてみたいと思います。
※ブルクミュラー「12の練習曲」からの番号とタイトルはフランス初版に基づく音楽之友社版(2014)に従いました。
ヘンゼルト(1814~1889)の曲は1837年、アルカン(1813~1888)の曲は1847年の出版です。これらは今でこそ有名でない曲です(尤も2曲とも楽譜が日本で出版されたことはあります)が、2人とも当時は有名な作曲家であり、ブルクミュラーはこれらの曲を知っていたと考えられます。
一連の練習曲を全て出版した1858年の12月26日に、ブルクミュラーの母テレーゼが亡くなります。この頃からブルクミュラーはパリの中心を離れ、郊外のマロール=ザン=ユーロポア村にあるボーリューの農場で暮らすようになります。これまでの話を総合的に見てみると、3つの「練習曲集」はブルクミュラーにとってライフワークだったのかもしれません。その後のブルクミュラーは、当時流行のオペラやバレエ、流行歌などの主題を使ってワルツ形式に編曲した曲を多く作るようになります。というと、適当につなげたメドレーだったり、無理に3拍子に当てはめたり、と考えられるかも知れません。たしかに、これらはサロンや家庭向けの編曲ではありますが、例えば「プロエルメルのパルドン祭」によるワルツでは、オペラの異なる部分のフレーズを組み合わせて新たな旋律を生み出したり、旋律の一部を独自に変えたりして効果を上げるなど、単に原曲をなぞるようなことはしていないですし、イラディエール作曲の小唄「アイ・チキータ」によるワルツでは、メイン・テーマ以外はブルクミュラーの創作で、それが原曲のメロディーと違和感なくつながるだけでなく、変化にも富んでいて実に巧みなものです。
一つ変わったエピソードを紹介しましょう。これらのワルツの中に1861年出版の「オッフェンバックのバレエ『蝶々』によるサロン用ワルツ」があります。それからしばらく経って1872年に、オッフェンバックはこの編曲で使われた主題を、オペレッタ「にんじん王」で再利用しました。そうしたら「蝶々」の時と全く同じ編曲が「オッフェンバックの喜歌劇『にんじん王』によるサロン用ワルツ」として再版されました(これがブルクミュラーのもくろみか、出版社のもくろみかはわかりません)。
ブルクミュラーの恐らく最後の作品は、1873年に出版された「ディアスの歌劇『トゥーレの王の杯』による華麗な幻想曲」Op.113で、同年初演されたオペラによる編曲です。ブルクミュラーは最後まで音楽界のリサーチを怠っていなかったのかもしれません。しかし、翌1874年2月13日(シェーンベルクが生まれるちょうど7か月前)にブルクミュラーは67歳で亡くなりました。
- 飯田有抄、前島美保『ブルクミュラー25の不思議:なぜこんなにも愛されるのか』音楽之友社、2014
- ed. Ludwig Finscher,Die Musik in Geschichte und Gegenwart, Personenteil 3, Bärenreiter-Verlag, Kassel, 2000
1978年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。少年時代にエディソンの伝記を読んで古い録音に関心を持ち、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した巨匠ピアニストの演奏を探究するようになる。以後、彼らが自らのレパートリーとするために書いた作品及び編曲に強い関心を寄せ、楽譜の蒐集及び演奏に積極的に取り組んでいる。また、楽譜として残されなかったゴドフスキーやホロヴィッツのピアノ編曲作品の採譜にも力を注いでおり、その楽譜はアメリカでも出版されている。ピアニスト兼作曲家として自ら手掛けたピアノ作品の作・編曲は、マルク=アンドレ・アムラン等の演奏家からも高く評価されている。ラヴェルのオペラ「子供と魔法」から「5時のフォックス・トロット」(ジル=マルシェックスによるピアノ編曲)の演奏を収録したCD「アンリ・ジル=マルシェックス:SPレコード&未発売放送録音集」がサクラフォンより発売され、大英図書館に購入される。校訂楽譜に「ピアノで感じる19世紀パリのサロン」(カワイ出版)がある他、春秋社より刊行の楽譜「カール・チェルニー:12の前奏曲とフーガ」でも校訂作業に参加した。コジマ録音より発売のCD「セシル・シャミナード作品集」において「コンチェルトシュトゥック」の室内楽編曲を担当し、坂井千春、高木綾子、玉井菜採、向山佳絵子他の演奏にて収録される。