ピティナ調査・研究

ブルクミュラーとその周辺(5)~交友関係~

ブルクミュラーとその周辺(5)
~交友関係~
交友関係(1):ブルクミュラーからの献呈作品

どの作曲家でもそうですが、その人のいた地域や時代を理解するうえで欠かせないのが人間関係です。ブルクミュラーについては現在の所、曲の献呈関係から辛うじてわかる部分がほとんどですが、中には当代を代表する音楽家なども含まれています。それらを見ていこうと思います。

第3回の連載で「幻想的な夢」Op.41がリストに献呈されていることは書きました。筆者はまだ見つけられていませんが、リストとピアノ対決をしたタールベルクに献呈した曲もあるようです。もしかすると、ブルクミュラーはこの時期ショパンチェルニーと会っていたかもしれません。というのも、これも第3回で書いたように、ちょうどこの頃リストを代表として、タールベルク、ヨハン・ペーター・ピクシス(1788~1874)、アンリ・エルツ(1803~1888)、チェルニー、ショパンが変奏を一つずつ担当した変奏曲「ヘクサメロン」が作られているのです。このメンバーの一人エルツは1843年に、ブルクミュラーのバレエ「ラ・ペリ」に基づいて、「アルメたちの踊り」によるディヴェルティスマンと、「蜂の踊り」による変奏曲を作っています(彼の兄ジャック・エルツも、ブルクミュラーが「ジゼル」に挿入した「村人のパ・ド・ドゥ」から主題を選んで、技巧的な編曲を2曲作っています)。

「ジゼル」の最初期の公演をハイネやワーグナーが観ていたことは前回書きました。その「ジゼル」がオペラ座で初演される3週間前の1841年6月7日、同じオペラ座ではウェーバーのオペラ「魔弾の射手」が、フランス語に訳されて台詞をレチタティーヴォに変え、バレエ・シーンを追加した形で上演されました。この編曲を行ったのがベルリオーズで、現在も演奏されるウェーバーの「舞踏への勧誘」のオーケストラ版は、この時にバレエ音楽として編曲されたものです。またこの年には、「ジゼル」の台本作者の一人ゴーティエの詩によるベルリオーズの歌曲集「夏の夜」が出版されています。ブルクミュラーはこの時期、ベルリオーズ、ハイネ、ワーグナーなどと会っていた可能性も考えられます。

バレエ音楽を作曲したとなれば、ダンサーとの交流も生まれるでしょう。「ジゼル」と「ラ・ペリ」で主役を踊ったグリージは、1846年にドゥルドゥヴェーズ作曲のバレエ「パキータ」の初演でも主役を踊り、ブルクミュラーは「パキータ」からの「マントの踊り」によるピアノ編曲をグリージに献呈しました。

大家たちと意外なつながりがあるのが練習曲集です。「25の練習曲」Op.100に献呈先はないのですが、驚くべきことに、「18の練習曲」Op.109はステファン・ヘラー(1813~1888)、「12の練習曲」Op.105はダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール(1782~1871)、といずれも当時の大家に献呈されています。この2人について書きます。

ヘラーは、ベルリオーズ、ショパン、シューマン、リスト等とも交流を持ち高く評価されていた作曲家兼ピアニストで、作品への再評価も近年進んでいます。ブルクミュラーの練習曲と同様に音楽的表現に重点を置いた「25の練習曲」Op.45や、タランテラOp.85-2(日本で出版されている楽譜には書かれていませんがクララ・シューマンに献呈されています)を教材として使われた方や弾かれた方もいるでしょう。ヘラーは他にもソナタから性格的小品まで多くのピアノ曲を残しています。「眠れない夜」Op.82、「子どもの情景」Op.124などの曲集、ベートーヴェン「熱情」ソナタ第2楽章を主題とした大作「ベートーヴェンの主題による21の変奏曲」Op.133といった作品がありますし、1865年出版の「バレエの曲」Op.111はブルクミュラーに献呈されています。

ヘラーはブルクミュラーの弟ノルベルトとも交流がありました。1829年、ヘラーはカッセルに滞在していた時にシュポーアに連れられてノルベルトの許を訪問しています。そこでノルベルト自身の弾く初演前の彼のピアノ協奏曲Op.1を聴き、またヘラーも同じノルベルトの協奏曲を弾きました。ヘラーはそのことを1838年3月10日付のシューマンへの書簡で回想し、協奏曲を称賛しています。

「12の練習曲」Op.105を献呈されたオベールは、当時パリ音楽院の院長を務めていた重鎮ですが、現在ではオペラ作曲家としての方が知られているかもしれません。グランド・オペラの流行の発端となった「ポルティチの物言わぬ娘」(その名の通りヒロインが一音も歌わないオペラ!)、日本でも大正時代に浅草オペラで人気を博した「フラ・ディアヴォロ」、マスネプッチーニに先立つ「マノン・レスコー」といったオペラがあります。

1859年には、マリー・プレイエル(1811~1875)に献呈された「マイアベーアの歌劇『プロエルメルのパルドン祭』によるサロン用大ワルツ」が出版されます。これは、同じ年の4月4日に「プロエルメルのパルドン祭」が初演されて大成功を収めたのを機に早速編曲されたものです。

マリー・プレイエルは、プレイエル・ピアノの創業者イグナツ・プレイエル(1757~1831)の息子カミーユ(1788~1855)の夫人で、当代随一のピアニストの一人と言われていました。他に彼女に献呈された作品としては、ショパンの「3つのノクターン」Op.9や、リストの「『ポルティチの物言わぬ娘』によるタランテラ・ディ・ブラヴーラ」S.386、「『ノルマ』の回想」S.394、アントン・ルビンシテイン(1829~1894)の「6つの練習曲」Op.23などがあります。

交友関係(2):ブルクミュラーへの献呈作品

今度はブルクミュラーへの献呈作品に話を移します。作曲家同士の献呈関係で曲を見ていくと、不思議と献呈された人のイメージを感じることが多くあります。例えば、ショパンの「バラード第2番」Op.38にシューマンらしさを感じる人も少なくないのではないでしょうか?

さて、当時ブルクミュラーというとやはりバレエ作曲家のイメージもあったのでしょう。現時点でわかっているブルクミュラーへの献呈作品は、ノルベルトソナタを除いて全て舞曲、またはバレエに因んだ曲です。筆者は、それらの中からピアノ音楽史上重要な人物の曲ということで、ジョルジュ・マティアス(1826~1910)と先程話に出たヘラーの作品を「知られざるブルグミュラー」のプログラムに入れました。ブルクミュラーへの献呈作品の中でも、マティアスの「カプリス=ポルカ」Op.40はその技巧的な要求度の高さで際立っていますし、ヘラーの「バレエの曲」Op.111は詩的な表現の点で際立っています。

ヘラーについては書きましたので、マティアスについて少し触れてみましょう。

マティアスは少年時代にカルクブレンナーとショパンに師事しました。そして、後にショパンの教えを弟子たちに伝えたことにより、カール・ミクリと並ぶ重要な存在となりました。そのため、マティアスの弟子の一人ラウール・プーニョが弾いたショパンの録音は演奏の素晴らしさのみならず、ショパン直系の演奏を今日に伝えるものの一つとしても重要視されています。1839年に、マティアスはパリに演奏旅行中のクララ・ヴィークのレッスンを受けることになっていたのですが、演奏を聴いたクララはその完成された演奏に驚き、「第2のリスト」「先生は必要ない」としてレッスンをしませんでした(この時マティアスはわずか12歳です。また「第2のリスト」とはクララがこの演奏旅行で受けた賛辞の一つでもあります)。

マティアスのピアニストとしての主だった業績としては、1864年3月14日に行われたロッシーニの「小荘厳ミサ曲」の初演で第1ピアノ弾いたことが挙げられます。もしかするとブルクミュラーはロッシーニともどこかで会っていたかもしれません。


主要参考文献
  • 上田泰史『パリのサロンと音楽家たち:19世紀の社交界への誘い』カワイ出版、2018
  • 岸純信『オペラは手ごわい』春秋社、2014
  • 丹治恆次郎訳『ベルリオーズ回想録 2』白水社、1981
  • 水谷彰良「ロッシーニ全作品解説(37)《小ミサ・ソレムニス》」(日本ロッシーニ協会紀要『ロッシニアーナ』第38号)日本ロッシーニ協会、2018
  • 丸本隆、嶋内博愛、添田里子、中村仁、森佳子(編)『パリ・オペラ座とグランド・オペラ』森話社、2022
  • ドナルド・ジェイ・グラウト(服部幸三訳)『オペラ史=下』音楽之友社、1958
  • ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル(米谷治郎、中島弘二訳)『弟子から見たショパン:そのピアノ教育法と演奏美学 増補最新版』音楽之友社、2020
  • アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント(編)、久保田慶一(本文訳)、武川寛海(リブレット対訳)『ウェーバー 魔弾の射手(名作オペラ・ブックス15)』音楽之友社、1988
  • ファブリツィオ・デッラ・セータ(園田みどり訳)『19世紀イタリア・フランス音楽史』法政大学出版局、2024
  • trans. Robert Ignatius Letellier, The Diaries of Giacomo Meyerbeer, volume 4 : 1857-1864, The Last Years, Fairleigh Dickinson University Press, New Jersey, 2004
  • ed. Ursula Kersten, Stephen Heller, Briefe an Robert Schumann, Verlag Peter Lang, Frankfurt am Main, 1988
  • Berthold Litzmann, Clara Schumann : Ein Künstlerleben nach Tagebüchern und Briefen, Band 1 : Mädchenjahre, 1819-1840, 8. Aufl., Breitkopf & Härtel, Leipzig, 1925, rep. Georg Olms Verlag, Hildesheim, 1971
  • Richard Osborne, Rossini : His Life and Works, 2nd ed., Oxford University Press, Oxford, 2007
  • ed. Klaus Tischendorf, Tobias Koch, Norbert Burgmüller : Thematisch-Bibliographisches Werkverzeichnis, Verlag Dohr, Köln 2011
  • Richard Wagner, trans. William Ashton Ellis, Die Freischütz in Paris(Richard Wagner's Prose Works, volume VII : In Paris and Dresden, Routledge & Kegan Paul Ltd., London, 1898, rep. Broude Brothers, New York, 1966)
執筆:林川 崇

1978年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。少年時代にエディソンの伝記を読んで古い録音に関心を持ち、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した巨匠ピアニストの演奏を探究するようになる。以後、彼らが自らのレパートリーとするために書いた作品及び編曲に強い関心を寄せ、楽譜の蒐集及び演奏に積極的に取り組んでいる。また、楽譜として残されなかったゴドフスキーやホロヴィッツのピアノ編曲作品の採譜にも力を注いでおり、その楽譜はアメリカでも出版されている。ピアニスト兼作曲家として自ら手掛けたピアノ作品の作・編曲は、マルク=アンドレ・アムラン等の演奏家からも高く評価されている。ラヴェルのオペラ「子供と魔法」から「5時のフォックス・トロット」(ジル=マルシェックスによるピアノ編曲)の演奏を収録したCD「アンリ・ジル=マルシェックス:SPレコード&未発売放送録音集」がサクラフォンより発売され、大英図書館に購入される。校訂楽譜に「ピアノで感じる19世紀パリのサロン」(カワイ出版)がある他、春秋社より刊行の楽譜「カール・チェルニー:12の前奏曲とフーガ」でも校訂作業に参加した。コジマ録音より発売のCD「セシル・シャミナード作品集」において「コンチェルトシュトゥック」の室内楽編曲を担当し、坂井千春、高木綾子、玉井菜採、向山佳絵子他の演奏にて収録される。

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