ピティナ調査・研究

第3回 「ピアノ」の過去、「ピアノ音楽」の過去

ピアノ音楽が「古典」になるとき
第3回 「ピアノ」の過去、「ピアノ音楽」の過去

ピアノ音楽の「古典」が成立する重要な条件は、この楽器を弾く人々にとって共通に認識される「過去」が形成されるということです。この「過去」について考えようとするとき、整理しておきたいことがあります。それは、「ピアノ」の過去と「ピアノ音楽」の過去が必ずしも一致しない、ということです。それぞれの物語は、歴史のどの時点を起点としているのでしょうか。
ピアノの歴史の起点は比較的はっきりしています。フィレンツェのメディチ家大公子フェルディナンド(1663~1713)に雇われたバルトロメオ・クリストーフォリ(1655~1731)は、1690年代にハンマー付きの鍵盤楽器の制作に着手していたとされます。実際に制作した事実は、1700年に作成されたメディチ家の楽器目録上で確認されています。

バルトロメオ・クリストーフォリ(1655~1731)
クストーフォリ制作によるフォルテピアノ(1720)
オリジナルは世界に3台しか現存しない(メトロポリタン美術館所蔵, CC0)

しかし、その名称は「ピアノ」ではなく、「弱音と強音のでるアルピチェンバロ(Arpicembalo, che fa il piano)」という長いものでした。名称はともあれ、ハンマーによる打弦によって発音する機構をもつ楽器が誕生したということで、ピアノの過去は、16世紀末までさかのぼることができます。
ところが、「ピアノ音楽」の歴史がどこから始まったか、という問題となると、明確な答えに窮します。ピアノは弦をプレクトラムと呼ばれるツメで くチェンバロと発音原理の点で全く異なりますが、それにも拘わらず、これらの楽器は同じカテゴリーの楽器と認識されていました。「弱音と強音の出るアルピチェンバロ」という表現から分かるように、ピアノは「チェンバロ」の一種として産声を上げたのです(この点については次回もう少し詳しく述べます)。ということは、この時代に「チェンバロのための」と銘打って出版された作品がピアノで弾かれることも、当然ありました。
たとえば、ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタは基本的にチェンバロのために書かれたものとされており、それらの楽譜のロンドン(1738/39)及びパリ(1742-46/47)初版の表紙には、それぞれ「グラヴィチェンバロのための」(「グラヴィgravi」は「重たい」の意、18世紀前半にはこの表記がしばしば見られる)、「クラヴサンのための」と楽器指定がなされています。けれども、スカルラッティを教師として雇っていたスペイン王妃マリア・バルバラも、そしてスカルラッティ自身も、既にピアノに親しんいでました※1。スカルラッティは1702年から1705年にかけてフィレンツェに滞在した折、クリストーフォリのピアノに触れているはずだと考えられています※2。したがって、18世紀にスカルラッティの作品が「強弱の出せるチェンバロ」、すなわちピアノでも弾かれたという想定は、充分に可能です。

クリストーフォリ(1720)のピアノによる実演
ドメニコ・スカルラッティ《ソナタ》K. 9
動画はメトロポリタン美術館公式YouTubeチャンネルより

60年ほど時代を下りましょう。時は啓蒙主義の最盛期。1770年代初頭にヨーロッパ大陸を旅行し、たいへん貴重な音楽見聞録を残した英国の音楽研究家にチャールズ・バーニー(1726~1814)という人物がいます。

チャールズ・バーニー(1726~1814)
(ジョシュア・レノルズ画)

1770年に彼が旅行したフランス・イタリア諸都市を巡る記録を紐解くと、何度かピアノが登場します。8月にボローニャを訪れた折、彼はヨーロッパで一世を風靡し今は引退したカストラート歌手、ファリネッリ(本名カルロ・ブロスキ, 1705~1782)のもとを訪ねています。ファリネッリといえば、映画『カストラート』(ジェラール・コルビオ監督、1995)の主人公として描かれているのを記憶に留めておられる方も多いでしょう。バーニーは、彼の家に様々な国で製作された「チェンバロ」が数多く置かれていたと記しています。中でもファリネッリの一番のお気に入りは「1730年にフィレンツェで制作されたフォルテピアノ」だったこと、その楽器に「ウルビーノのラファエッロ」という名前を付けていたことを証言しています※3。ピアノにあだ名を付けるとは、なかなかの愛情の注ぎぶりです。ファリネッリはこの楽器を「しばらくのあいだたいへん思慮深く繊細に」弾いて聴かせたと言います。ファリネッリはほかにもスカルラッティが仕えていたスペイン王妃バルバラ・デ・ブラガンサから賜ったチェンバロも持っていたといいますが、1770年の時点で、ヨーロッパ随一だった音楽家ファリネッリにとって、ピアノがチェンバロよりも愛すべき楽器になっていたというのは、なかなか興味深い証言です。

チェンバロに手を置くファリネッリとスペイン国王夫妻、フェルナンド6世とバルバラ・デ・ブラガンサ
(コッラード・ジアクイント画)

バーニーがフランスとイタリアを旅した1770年の12月、ドイツのボンでルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)が誕生しています。この世代の音楽家にとって、ピアノはかなり馴染の楽器になっていました。ピアノが普及するにつれて、楽譜出版人たちはしばしば「ピアノフォルテまたはチェンバロのための」という選択的な楽器指定を楽譜表紙に明記するようになります。この併記は、19世紀初頭まで見られました。例えばベートーヴェンの有名な「月光ソナタ」(《幻想曲風ソナタ》作品27第2番)のウィーン初版(Cappi & Diabelli社、1802年)の表紙には、「クラヴィチェンバロまたはピアノフォルテのための(per il Clavicembalo o Piano-Forte)」と記されています。(下図)

ウィーンのカッピにより出版された「月光ソナタ」初期エディションの表紙
所蔵:Sibley Music Library (University of Rochester)

ベートーヴェンは「月光」のニックネームの由来ともなっているあの有名な第1楽章の楽譜上で、ピアノ※4特有のダンパー機構の効果を活用するよう、わざわざ指示しています。これは、ダンパー(=止音装置、ソルディーノ)を上げ、弦を解放した状態でアルペッジョを演奏することで、空間的な音響の拡がりを表現しようとしたものと見られます。ピアノならではの機構を用いたこの作品の出版に際して「チェンバロ」と表記されることを、作曲者がどのように思ったかは、興味のあるところです※5。しかし、ペダル機構を生かしたピアノの音色を前提としている点で、この作品は充分に「ピアノ音楽」の領域に足を踏み入れていると言えるでしょう。


注釈
  • Michael O'Brien, "Cristofori, Bartolomeo" in Grove Music Online, accessed June 2021.
  • Malcolm Boyd and Roberto Pagano, "Scarlatti, (Giuseppe) Domenico" in Grove Music Online, accessed June 2021.
  • チャールズ・バーニー『音楽見聞録〈フランス・イタリア篇〉』、今井民子、森田義之訳、春秋社、2021、283頁。
  • ベートーヴェンがその当時所有していたのはアントン・ヴァルター(1752~1826)が制作したピアノで、ペダルはなく、膝で操作するレバーでダンパーを操作しました。
  • 2007年の連載記事、武久源造『ここが知りたい、楽器と音楽』では、チェンバロによる「月光ソナタ」第1楽章の録音が披露されました。現在では残念ながら、リンク切れとなっています。