ショパン国際コンクール(32)コンクール全体を振り返る―演奏の創造へ.2
(3)音を創る
どんな音を出すのか?―まず「どんな音が欲しいのか」「この曲はどんな音が求められているのか」という解釈があり、それを実現するテクニックがある。音に感情や色彩がこもることで、音楽に生き生きした生命が宿る。
ルイジ・カローチャ(三次進出・イタリア)はポリフォニックな耳を持ち、多層の音質と色彩で、音楽を豊かに表現する工夫が随所でなされていた。一次のノクターンOp.62-1は夢想のような切なさを、二次の幻想ポロネーズでは内声で静かに奏でられるポロネーズのリズムの上に幻想的な揺らめきや陰影帯びた旋律を。また本調子ではなかったものの三次のプレリュードOp.28は、情景が鮮やかに眼の前に立ち現れるほど、立体的で色彩感豊かな演奏だった。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
シャルル・リシャール・アムラン(2位・カナダ)は、どの曲でもピアノを豊かに鳴らし、ふくよかで温かい弾力性ある音を出す。二次で弾いた幻想ポロネーズは響き方がよく考えられた序奏、再現部の華麗さ、最後は澄み切った迷いのない音で終わった。ソナタ賞に輝いたソナタ第3番も、その豊かな音と構成力が説得力に繋がった。
ディナーラ・クリントン(三次進出・ウクライナ)も情感豊かな音から弱音まで、曲調に合わせた音作りが印象深い。特に二次のエチュードOp.25-1からOp.25-6は弱音で一つの世界観を創り上げた。まずは極端に弱音で軽やかなエオリアンハープが奏でられ、Op.25-2、3、4も静けさの中に、Op.25-5は哀愁帯びた声色でゆったり旋律を歌い上げ、ここに一つの頂点を持ってくる。そしてOp.25-6は軽快の極みで締めくくった。
ルーカシュ・クルピンスキ(三次進出・ポーランド)は二次でのポロネーズOp.26-2で、ポロネーズのリズムに乗って歌われる哀愁帯びた旋律が、ポーランドとしての誇り高さだけでなく、負の歴史までも包み込んだ気高さを感じた。また3つの新しいエチュード1番は涙を誘われるほどに、情感と哀愁に満ちあふれていた。
中川真耶加(二次進出)はノクターンOp.27-2、エチュードOp.25-11、舟歌などで自分の心情と結びつけての気迫こもった演奏を見せた。また優雅なフレーズのポロネーズOp.26-1と、厳めしく陰鬱な表情のOp.26-2で、ポロネーズ2曲を鮮やかに対比させたのも印象に残る。また有島京(二次進出)二次でのガイヤールのマズルカは、アンニュイな雰囲気と独特なニュアンスが表現され、心にそっと響いてきた。(写真:記者会見会場スクリーンに映し出されるコンテスト・中川さん)
「どの音がどれだけ重要か」が判断できていると、響きに透明感が出て、楽曲の進行も分かりやすくなり、メッセージがすっきりと伝わってくる。
イーケ・トニー・ヤン(5位・カナダ)一次のノクターンOp.27-1は、優れた和声の感覚が生かされ響きに透明感がある。幻想曲Op.49は序奏からドラマを感じさせ、主題の展開の仕方にも優れており、ためらいがちな表情から次第にテンションが高まっていく様を一息に長いフレーズで捉えた。転調も音色に反映されており、コーダも過去を振り返るような表現で、ドラマ性の高い演奏だった。若干16歳ながら、配慮の行き届いた音作りが光った。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
ジ・シュー(三次進出・中国)二次は質の良い和声感を生かしたプレリュードOp.45。緊張感ある張り詰めた高音や、ふっと間を絶妙に取ってから下行するカデンツァなどが極めて美しい。幻想ポロネーズは序奏から不可思議な雰囲気を醸し出す響きのつくり方で、ちょっとした音色の変化も敏感に感じ取り、それが陰影を生んでいた。
スーヨン・キム(三次進出・韓国)伸びやかで透き通るような音の感覚をもち、二次での幻想曲などは展開がよく分かる音の出し方で洗練された表現。ショパンの曲はそのまま素直に弾くのが美しいと思わせてくれる演奏だった。
ディミトリ・シシュキン(ロシア)は鋭い耳を持ち、どの曲も彼が弾くと近未来的な響きに聴こえてくる。クリアで明るめの硬質な音で表情豊かに弾かれるロンドOp.1は、青年ショパンの屈託ないユーモアも感じさせる。また即興曲4曲、ソナタ第2番も印象深い。ピアノ協奏曲第1番も、オケを含めた全ての響きを頭の中で再構築し、実際の音空間で調整しながら、全体でハーモニーを創っていくという意思が見えた。
ジー・チャオ・ジュリアン・ジア(中国)も新しい音感覚を持っている。一次の幻想曲Op.49は、この曲の心像風景を描き出すというよりは、和声や響きの妙に光を当てるようなアプローチ。楽節によってテンポや音質を変えたり、内声を拾い出して新しい響きを見出すなど、常に曲の新しい可能性を見出そうという試みが見えた。
(4)プログラムを創る
今回は、前回コンクールよりも凝ったプログラムが増えた印象だ。プログラムの組み方は、そのピアニストの音楽観や能力を示すとともに、前後の調性関係や音楽的意味の関連性まで考えた曲順の場合は、幅広くレパートリーを研究していることも伺える。
レイチェル・ナオミ・クドウ(三次進出・米国)は二次でワルツOp.18最後Esの和音と、そのまま同じオクターブで始まる英雄ポロネーズOp.53を続けて演奏した。チェン・ザン(二次進出・中国)は、二次で即興曲3番最後の音Gesから、同名異音Fisで始まるスケルツォ3番へ続けた。ロマン・マルティノフ(ロシア) は思いがけない内声を拾う表現が続く中、ノクターンOp.27-2の最後で高音域の前打音を強調した表現で印象づけ、さらにエチュードOp.10-5 Ges-durも前打音のようにさらっと弾き、バラード4番f-mollへ続けた。ディナーラ・クリントン(三次進出・ウクライナ*右写真)は三次でマズルカOp.30-1 c-mollで軽やかに哀切たっぷりに始まり、力強いOp.25-12 c-mollでプログラムを終えた。そして全体のクライマックスは、ソナタ2番第3楽章の中間部の美しい静けさに置き、ストーリー性を持たせたのが印象的だった。(photo:Bartek Sadowski NIFC)
調性を揃えるなどの方法は、特に音楽的意義がない場合はあまりやると野暮になりそうだが、関連性ある曲を探すために、多くの作品に目を通していることは確かである。そして楽曲全体を見る(1)こともできているだろう。
ケイト・リュウ(米国)三次で即興曲Op.51では空想の世界を描き、静かにふっと現実に戻ってきたようにマズルカOp.56-1を始め、Op.56-2では力強く大地を踏み鳴らし、Op.56-3はニュアンスたっぷりに哀愁帯びた旋律を歌った。このOp.51, Op.56の繋ぎ方や表現に、音楽的な関連性が見えた。
ジ・シュー(中国)三次は心の葛藤のようなプレリュードOp.28-14から始まり、24番も勢いだけでなく自問自答しながら締めくくられた後、同胞の詩人ヴィトフィッキに捧げられたマズルカOp.41-1では、プレリュード最後で3度鳴らされるバス音Dに呼応するかのように、同じ音質で上声Disが繰り返し連打される。ここに強いメッセージ性を潜ませた。ソナタ3番Op.58は音楽と対話するような第1・2楽章を経て、第3楽章では深みある音で心の問いかけを繰り返し、最後は決意に満ちた音で終えた。ショパンの心の旅路を表現したようなプログラムだった。(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
ゲオルギス・オソキンス(ラトヴィア)三次は覚めやらぬ夢のような子守唄Op.57から始まり、流れるように美しい即興曲Op.51、そしてソナタOp.58もどこか現実的でない、夢の世界のような音でテーマが呈示された。これら後期作品が書かれたのは1843年ー1845年頃、ショパンの実生活では試練多き年であったが、その現実を超越するような世界観を見せてくれた。
本人いわく、「三次予選は子守唄で始めました。この曲は別の惑星のような、別世界のような音楽です。そしてポーランドの心に寄り添う悲劇的なマズルカ、また即興曲Op.51はソナタOp.58と繋がっています。このソナタも悲劇的です。最後のワルツはショパンが生きていた時代を象徴するような音楽です。全ての曲が繋がり、またソナタの各楽章、マズルカの各曲も繋がっています。この繋がり、関連性がとても大事だと思っています。」
音楽的な関連性を見出すということは、個々の作品の音楽的意義や特徴を見抜き、相互につなげてメッセージ性を出すということでもある。より深い解釈と鋭い視点が求められるが、これができると、他の作曲家や他の時代の作品を、特定のコンセプトのもとに繋げていくという展開もできる。