ピティナ調査・研究

ショパン国際コンクール(29)深く洗練された音楽理解をー審査員リンク先生

今回のショパンコンクールでは、ショパン研究第一人者の一人として知られるジョン・リンク先生(ケンブリッジ大学教授)が審査をされました。楽譜研究、演奏史研究が進んでいる昨今、その最前線にいる研究者はどのように若いピアニストを聴いたのでしょうか。コンクール後にお話をお伺いしました。


● 音楽家&音楽学者というユニークな立場で審査

音楽家であり音楽学者という立場で、今回のコンクールをどのようにお聴きになりましたでしょうか。

審査員としての経験は素晴らしいもので、心から楽しませて頂きました。30年以上ショパンを研究していますので、このコンクールで若いピアニストたちがどのようにショパンを弾くのか、大変興味深いものがありました。

まず優勝されたチョ・ソンジンさんの演奏について、ご感想を一言お願いします。

チョ・ソンジンさんは一次予選から一貫して素晴らしく、最初から魅せられていました。21日受賞者記念ガラコンサートでもピアノ協奏曲Op.11と英雄ポロネーズの素晴らしい演奏を披露してくれましたね。テクニックの高さ、アイディアを効果的に伝えること、ピアノという楽器の全てを知っていること、あらゆる面でプロフェショナルでした。まだ若いですし潜在能力が高いので、これからさらに成長し、ピアニストとして素晴らしいキャリアを築いてほしいと思います。

一貫して緻密で高度な素晴らしい演奏でしたね。他に印象的なピアニストはいらっしゃいましたか?

2位、3位も素晴らしいピアニストで、一次予選から注目していました。2位のシャルル・リシャール・アムランさんは、音が素晴らしく、鍵盤へのアプローチや作品を効果的に魅せることにも長けていました。3位ケイト・リュウさんは特徴あるピアニストで、音楽へのアプローチは少し変わっていますが、深い集中力、優れた想像力とテクニックを駆使して、非常に効果の高い演奏を生み出しました。とりわけソナタ3番Op.58、第3楽章などは今までないほどに心を動かされました。

● 学術情報にアクセスしやすい環境と、学びの深まりについて

私も同じように感じておりました。二人とも方向性は違いますが素晴らしいですね。ところで今は多くの文献や資料がオンラインでも公開されており、様々な音楽家や教授などから直接お話を聞く機会も増えています。それは作品解釈にどのような影響を与えていると思いますか?

まず一つ目は、どの版を使うのかという楽譜の選択です。ショパンコンクールではエキエル版を推奨しており、同版ならではの研究内容もありますが、選択肢は多様です。そして想像力を高めるためにリスクを取ること

若いピアニストの中には、どこまでの解釈が許容されるのか、自由が許されるのか、その境界線を見極めたり自分で決めるのが難しいという人もいると思います。

もちろん、ただ他人と違うことや風変わりなことをアートとはき違えているものには、説得力はありません。とはいえ、いつも安全な演奏をすべきというわけではないのです。ショパンの音楽には限界がなく、ショパン自身も「解釈には制限がない」ということを度々言っています。ですから、深い感覚で捉えること、想像力を働かせることともに、自分が良いと考えたことをどんどん実践してみて下さい。急進的過ぎる、過激だと他人に思われることもあるでしょう。それも良いのではないでしょうか。ただし、トリックではなく、音楽として成り立っているのかを考える必要はあります。

リスクが取れるようになれば、もっと色々経験しようと思うようになり、批判があっても自分自身を信頼できるようになります。「ちょっと行き過ぎではないか?ショパンに敬意を払っていないのではないか?」と言う人は必ずいるものですが、リスクを取らなければ想像力を鍛えることはできませんし、逆に「あなたは何ら想像力を働かせず、いつでも狭い解釈の中で演奏しているだけではないか」と言われます。ショパンの音楽は2世紀の間に進化し続け、これからも進化を続けていってほしい。ですから音楽として成り立つ範囲で、想像力を鍛えることをお勧めしたいと思います。

先生ご自身のアプローチを教えて頂けますか?

私はショパンを30年以上研究し続け、全作品を知り尽くしていますが、それでもいまだに新しい発見があります。非常にエキサイティングです。私のアプローチとしては、いつでも新たな可能性にオープンであること、常に違う方向から楽譜を見ること、聴くこと、弾くことです。古楽器に触れることもその一つです。私は1846年製プレイエルのアップライト(ピアニーノ)を自宅に保有していますが、ショパンが愛した音にとても近く、当時のことを知ることができます。また現代ピアノも含めて、あらゆる時代の楽器にたくさん触れてみることをお勧めします。

もう一つは、効果的で洗練された「音楽的な拍子」を理解することです。たとえばここ数年は、スピーチをするように演奏する感覚を鍛えています。我々はメトロノームのように話すわけではなく、抑揚、間、緩急、アクセントなどが話し言葉に意味を与えています。音楽的な拍子を理解することは、小節線・強拍・弱拍といったものを超える考え方です。その意味合いがテンポ設定などに反映されることを期待しています。

● 進む学術情報のデジタル化

現在進行中、あるいは今後予定されている研究プロジェクトを教えて下さい。

(1)ロンドン・ペータース版より批判校訂版の出版(The Complete Chopin - A New Critical Edition)
(2)ショパンの初版データベース(Chopin's First Editions Online, CFEO; www.cfeo.org.uk)
(3)ショパンの集注版データベース(Online Chopin Variorum Edition, OCVE; www.ocve.org.uk).
(4)ショパン・オンライン(Chopin Online; www.chopinonline.ac.uk)

(4)には(2)(3)が全て統合されて相互に関連づけられ、学術情報や譜例画像ともリンクします。新たなデジタル・エディションが構築されれば、これらの情報を検索し、自分独自の演奏を創造することができます。

今回2人のコンテスタントがヴァリアントを採用していて、嬉しい驚きでした。これからももっと増えてほしいですね。たとえばピアノ協奏曲Op.11ホ短調にもヴァリアントがありますから、そういうことに興味を持ち、いつどこで出すのが適切かを考えながら、即興的に入れていくのもいいですね。

世界的に学び方がどんどん進化しているのが感じられます。2016年2月中旬には日本でワークショップ(ヤマハ)を開催されるとのこと、楽しみにしております。

全員ではありませんが、何人かのコンテスタントは楽譜を深く読み込んでいたと思います。

二つ目は、深くかつ洗練された音楽への理解です。大勢の参加者の中で印象づけなくてはと思う人もいるかもしれませんが、審査員を最も喜ばせるのは音楽への深い理解なのです。最近の傾向かもしれませんが、エチュード、ワルツ、その他の作品にしてもあまりにも速い演奏が多くて残念でしたね。ショパンの速度指示の中で、とはいってもOp.27までしかメトロノーム記号はありませんが、その最も速い速度で弾かれることが多かったのですが、人間として可能な限り速いテンポで弾かなければならないという意味ではありません。これはショパンであって、エクササイズではないのです。若いピアニストの皆さんには、一歩下がって、一息入れて、音楽をしてほしいですね。

たとえばワルツを例に挙げれば、舞踏に関わる作品であるように弾いていたのはほんの一握りです。中でも、リズムのテンションとハーモニーの色彩感が失われていないピアニストがいました。それはゲオルギス・オソキンスさんで、彼のワルツには魔法のようなスピリットがありましたね。非常に想像力豊かなピアニストで、私はそのイマジネーションを大変尊敬しています。彼の演奏をまたぜひ聴きたいと楽しみにしています。

オソキンスさんの豊かな想像力、大変魅了されました。では解釈を深めていくにはどうすればいいでしょうか。若いピアニストへアドバイスがあれば教えて下さい。

時間をかけて内省することです。音楽を深く理解するには、「音楽の中に生きる」ことが大事です。相当時間がかかることもあるでしょう。文献や資料を調べ、それらを相互に結びつけ、アナリーゼをし、その音楽に深く入り込み、そして「それらは何の意味があるのか」と本質的な問いかけをすること。作曲家は何をしたかったのか、何を伝えたいのか、どのような状況や軌跡があったのか。それらを踏まえ、あなた自身の視点や考え方を表現するのです。
ショパンの作品解釈・演奏において最も欠かせないのは、イマジネーションとパーソナリティで、われわれはロボットの演奏を聴きたいわけではありません。もちろんパーソナリティだけでは十分ではなく、それが確かなものの上に成り立っている必要があります。

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