ショパン国際コンクール(20)ショパン命日ミサ&大統領との謁見
ファイナリスト&審査員がポーランド大統領と謁見
三次予選結果が発表され、興奮冷めやらぬ中、翌日17日には、ポーランド大統領ご夫妻と審査員・ファイナリストが謁見する式典が行われました。
大統領に続き、審査員団を代表としてジョン・リンク先生(ショパン研究者、英ケンブリッジ大教授)がスピーチを行い、「ショパンの音楽は、ポーランドの国家財産であると同時に、われわれ全世界の人々に受け継がれているものです」と述べられました。また大統領より、審査員とファイナリストに記念品が贈呈されました。
ショパン命日のミサ
また夜8時からはショパンの心像が安置されている聖十字架教会にて、命日のミサが行われ、モーツァルトのレクイエムが演奏されました。教会内には溢れんばかりの聴衆が集まり、ショパンのレリーフがある柱を見つめながら、天井を仰ぎながら、そっと涙しながら、それぞれが静かに耳を傾けていました。(第二次世界大戦中、ドイツ軍によるワルシャワ爆撃直前にショパンの心臓はワルシャワ近郊へ移され、難を逃れました。その秘話はこちらへ)
1849年10月17日ー三日三晩苦しんだというショパンが、生前最後に聴いたのはベリーニとロッシーニのアリア(歌はデルフィーヌ・ポトツカ夫人)でした。そしてパリのマドレーヌ寺院で行われた葬儀では、モーツァルトのレクイエムとショパンの葬送行進曲が演奏されました(ルイジ・ラブラシュ、ポーリーヌ・ヴィアルド、コンセルバトワール・コンセール・ソシエテ出演)。
ショパンはパリ到着後まもなく足を運んだオペラ座でロッシーニ『セヴィリアの理髪師』を聴いて、ラブラシュとマリブランの才能を絶賛し(→参考)、またマリブランの妹であるヴィアルド夫人の歌声にも惚れ込んでいましたが、その最期の時も、彼らの歌声で見送られることになりました。
ここで、聖十字架教会でお会いした小塩真愛さん(2015年度特級銀賞)に、ショパンコンクール三次予選を聴いた感想をお伺いしました。
「一人一人個性が豊かで、同じショパンの作品なのに、その人が持つ強みが出ていて、自分からは出てこないようなアイディアを聴くことができました。同じ楽器でもこんなに出てくる音が違うんだと、感銘を受けました。アムランさん(カナダ)は音にやさしさや包み込むような空気があって、音を鳴らしているだけでなくそこに感情が含まれていて、リズム感もリリカルな感じでした。対して、オソキンスさん(ラトヴィア)は自分が見せられるアイディアやテクニックをショパンの作品に含ませて伝えたいというのが伝わってきました。またシシュキンさん(ロシア)は自分にはできないものを表現していて、力強さの中に繊細な部分もありました。(新たに発見したショパンの一面は?)ショパンの作品は繊細さや歌う部分がほとんどで優しい音楽と思っていましたが、皆さんの演奏から熱いパッションを感じました。またマズルカやポロネーズのリズムの特徴などもよく表現されていて、今回得た気づきを自分の演奏にも生かしていけたらと思います。」