ピティナ調査・研究

ショパン国際コンクール・後日編―「美しい」の先へ

一次予選から白熱した闘いが繰り広げられた今回のショパン国際ピアノコンクール。卓越した演奏技術と類まれなる個性を持つピアニストが多い中で、誰が最もショパンに近づけたのか。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

一次予選からすでに幾つかの名演が飛び出したが、中でも優勝したユリアナ・アヴディエヴァ(ロシア)のスケルツォ4番とノクターンop.62-1は忘れがたい。彼女は多彩な音色と構築力を武器に、その後も着実に印象深い演奏を披露してくれた。ファイナルでもオーケストラと呼吸を合わせながら、音楽と自由に対話する余裕を見せた。三次予選で少し肩に力が入ったように思われたが、楽譜との真摯な対話、表現の幅広さ、全体の構築力など、高度に安定した実力を示した(ソナタ賞受賞)。最終結果に対して、発表当初は聴衆から驚きの声も上がったようだが、一次・二次予選での見事な演奏も彼女を後押ししたように思う。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

2位には全く違う個性の二人が並んだ。リトアニア/ロシアのルーカス・ゲニューシャスは、大きく音楽を捉えて多面的に構築する力があり、それが自然な流れの中で展開されていく。多彩な音色と音質を駆使した演奏は、1曲あるいはプログラム全体を聴くと素晴らしい造形美と、その中に宿る魂が見えてくる。その姿はまさに壮観だった。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

対してオーストリアのインゴルフ・ヴンダーは細部までよく見通し、美しく磨きをかけ、その流麗さにおいては追随を許さない。この大舞台に向けて、いかに丁寧に準備してきたかが想像できる。ファイナルの協奏曲も隙なく完璧に仕上げた。特にファイナル後の会場での人気は抜群!だった。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

3位のダニール・トリフォノフ(ロシア)は楽器を限りなく美しく響かせ、独特の魅力ある音響空間を築き上げた。それと曲想が合った時は、えもいわれぬ強い印象を残す。そして大きな長いフレージングも彼ならでは。特に幻想ポロネーズからあれだけの想像力溢れる音を引き出したのには見事だった。またファイナルでは、耳の良さと楽器から多彩な音を引き出す打鍵で、華麗で勢いある協奏曲となった。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

4位のエフゲニ・ボジャノフ(ブルガリア)は、特に二次・三次予選は独自の世界を余すことなく表現した。独特のリズム感と自由自在な音楽との対話は、どの曲も彼以外にはできない演奏へと昇華する。特に二次予選のマズルカ風ロンド、三次予選のソナタ3番は永く記憶に残りそうだ。そして音楽の真髄を見抜く眼があり、アーティストとして得がたい資質を持っている。

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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

5位は哲学的な深い思索を感じさせるフランソワ・デュモン。二次予選の舟歌、三次予選の子守歌は深淵な世界を覗かせてくれた。一瞬で底まで見通すような音楽的見識と多層な音色を持つ彼は、どんな小品でも本質的なアプローチをし、その音楽が生まれた意味を再発見させてくれる。

こうしてみると、誰の演奏がどんな特徴を持っているのかが瞬時に思い出せるくらいに、ピアニストの個性が明確に伝わる演奏が多かった。皆自分のパーソナリティをよく把握し、それに見合った音楽作りや楽器選びをしている。そしてその演奏を思い出す時、順位はもはや関係ない。

一方で、音が美しくても行間に含みが感じられない演奏や、音楽全体のメッセージが伝わってこない演奏は、やはりもう一歩訴えてくるものが足りなかったように思う。「美しい」の先にある何かを掴むこと、あるいは「美しい」の前にあるものに気づくこと、それが大切だと感じた。

本来、一つの価値観に到達するには時間がかかる。音色一つでも、自分で選び、自分でその結果に責任を持つというプロセスを繰り返して、はじめて自分の欲しい音を知り、自分の呼吸を知り、自分なりの音楽を掴むことができるのだろう。

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グローバル化が進み、今や巨匠ピアニストの音源などは無料・安価で入手できるようになった。「この先生のマスタークラスが受けたい」と思えばチャンスは多くある。いわば身近に芸術があり、それに触れる機会は皆平等にある。

大事なのは、その芸術にどう触れるのか、ということ。審査員の一人、小山実雅恵先生は「待ち焦がれること」と表現された。待って待って、待ち焦がれてようやく手に入れたものへの愛着は、ひとしおである。例えばショパンに近づこうとしても近づけない、一歩近づいたと思うとまた遠くへ行ってしまう、それも焦がれることかもしれない。ショパンの音楽に含まれる憧憬の念や望郷の念も、全て何かに思い焦がれる気持ちである。

コンクール最終日、惜しくもファイナルに進めなかったメイティン・スンさんに街中で会った。このコンクール前、ショパン縁の街を巡り、ショパンが見た風景を撮影してきたというメイティンさんは、こう語ってくれた。
「私は自分が弾く音楽に対して常に新鮮で独創的であるために、演奏当日の朝までコンセプトを考えます。コンセプトは一つだけでなく、いくつもあります。実は三次予選の2日前、課題曲の幻想ポロネーズに対して大きな迷いが生じました。そこで自筆譜のファクシミリを見たんです。ショパンの自筆譜は詳細な指示が多いのですが、中間部にはどのような重みを置いたらよいのか、曲全体がどのような悲劇性を有しているのかが、自筆譜を見て分かりました。もしかしたら自分は間違っているかもしれません、でも大事なのは自分が納得できるコンセプトを楽譜から見出すことだと思います。」

何かに早く到達することではなく、何かに手を伸ばして掴もうとする気持ち。それが音楽の推進力になる。