第20回 フィビフを味わう
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今日は、チェコの作曲家、ズデニェク・フィビフ(1850-1900,チェコ)のあたたかいピアノ小品集「気分、印象、思い出」をご紹介します。
フィビフはスメタナ(1824-84)、ドヴォルジャーク(1841-1904)と並んでチェコ国民楽派の草創期を築いた19世紀の作曲家です。
19世紀、オーストリア支配下の東欧では、スラヴ民族の連帯をめざした汎スラヴ主義が勃興し、楽壇でも、民族意識を鼓舞するような国民楽派の音楽が現れてきました。そのなかで、民族的素材との音楽上の立ち位置の違いをめぐって、楽曲の標題性(チェコの民話、歴史など)を重視したスメタナら「進歩派」と、作曲語法のうえでも積極的に民謡や民族舞踊を取り入れたドヴォルジャークら「保守派」の論争が起こり、フィビフは前者に同調してスメタナの後継者と目されていました。両者の出自の違い―ドイツ語を話す裕福な家庭に生まれたスメタナ、フィビフと、チェコ語を話す庶民の家庭に生まれたドヴォルジャーク―も作風に影響していると思われます。
ライプツィヒやマンハイムで学んだフィビフの音楽は、メンデルスゾーンやシューマンらドイツ・ロマン派の香りが色濃く、聴感上はドヴォルジャークやスメタナほどチェコ的でないため、チェコの聴衆からもいまひとつ顧みられてこなかった面が否めません。しかし、実際には、弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章にはじめてポルカを導入したほか、スメタナの連作交響詩「わが祖国」(1874-79)の霊感のもととなった交響詩「ザーボイ、スラヴォイとルジェク」(1873)(第1曲「ヴィシェフラド」に引用がある)、ドヴォルジャークの物語風交響詩を先取りした「トマンと森のニンフ」(1874-75)などの作品で、チェコ音楽史上さまざまな先駆的役割を果たしており、チェコ楽壇におけるきわめて重要な作曲家のひとりと言えます。
フィビフのプライヴェートはなかなか壮絶で、1873年に最初に結婚した妻ルージェナとは死別し、2人の間に生まれた双子も相次いで亡くなっています。その後、フィビフは、亡き妻ルージェナの願いを聞き入れ、ルージェナの姉ベッティと再婚しますが、そんな中、18歳年下の教え子アネシュカ・シュルツォヴァーとの間に恋が芽生え、50歳で急逝するまでのほぼ10年間親密な関係となります。たとえ不倫関係にあったにせよ、この恋愛が、どれだけ暖かい炎をフィビフの心に灯したか、想像に難くありません。
今日は、フィビフの代表的なピアノ曲集「気分、印象、思い出」から3曲弾いてみます。これは、アネシュカと過ごした幸せな日々をピアノで日記のように綴った、きわめて私的な小品集で、暖かい幸福感が横溢しています。作品は、「気分」「印象」「思い出」の3つのグループに分けて出版されており、Op.41、44、47、57があります。今日ご紹介させていただくのは、いずれもOp.41に収められている曲です。
Op.41は1892-94年に書かれ、「気分」(第1番~第44番)、「印象」第1部(第45番~第85番)、「印象」第2部(第86番~第125番)、「思い出」(第126番~171番)の全171曲から成ります。
第139番 変ニ長調は「思い出」に収められたもので、「ジョフィーン島の夕べ」の副題を持ち、この曲集の中で最も名高い1曲です。ジョフィーン島はアネシュカの住まいのあったヴルタヴァ(モルダウ)川の島で、フィビフは、ここでアネシュカとともに見た美しい黄昏を甘い旋律で綴りました。この印象的な旋律は、管弦楽のための牧歌「黄昏」Op.39にも用いられているほか、ヤン・クーベリックによってヴァイオリンにも編曲され、「詩曲」として有名になりました。
第44番 変ロ長調は「気分」に収められたもので、「オペラ《嵐》のための下書き」と記され、自作のオペラ《嵐》(原作:シェイクスピア「テンペスト」)と共通した楽想が登場します。「気分」の中の第38番~第44番は、さまざまな衣装を着たアネシュカの描写になっており、この曲は、そこでは、「すみれ色のドレスを着たアネシュカ」となっています。優雅でロマンティックな旋律です。
第4番 ト短調も「気分」に収められたものですが、これは副題を持ちません。アネシュカの抱きしめたくなるような寝顔を描写した作品群の中の1曲で、神秘的な風情が漂います。
いずれも、メンデルスゾーンやシューマンを思わせる、ドイツロマン派的な作風になっています。
「気分、印象、思い出」は、短い楽想を書き留めたスケッチブックのようなもので、曲の出来もさまざまですが、中にはとても魅力的な楽想を湛えた佳曲がいくつもあります。この中から佳曲を「発掘」するのもとても楽しいひとときです。
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