ピティナ調査・研究

第18回 カリンニコフを味わう

名曲喫茶モンポウ
18. カリンニコフを味わう

いらっしゃいませ。カフェ・モンポウにようこそ。
長らく休載しておりましたが、連載を再開し、知られざる佳曲を気ままにご紹介してまいりたいと思いますので、今後ともお付き合いのほど、 よろしくお願い申し上げます。
今日は、ロシアの作曲家、ヴァシリー・カリンニコフ(1866-1901,ロシア)のロマンティックな小品をご紹介します。

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ヴァシリー・カリンニコフ
ヴァシリー・カリンニコフ
(1866-1901,ロシア)

 カリンニコフは34歳で夭折したロシアの作曲家です。長らく忘れられた存在でしたが、その交響曲第1番が巨匠スヴェトラーノフによって演奏会に取り上げられたり、NAXOSによる交響曲第1番・第2番のCD(テオドル・クチャル指揮ウクライナ交響楽団、1995年)が異例のベストセラーになったりして、話題が話題をよび、再びじわじわと脚光を浴びています。そのむせかえるようなロマン溢れる旋律には、一度聴いたら忘れられない強烈なインパクトがあり、近年では、日本でも、特にアマチュア・オーケストラ界屈指の人気レパートリーとして各地で演奏されています。

 カリンニコフは薄幸の作曲家で、音楽院を卒業し、チャイコフスキーの推薦を得てモスクワで指揮活動を始めた矢先に、27歳で結核に冒されてしまいます。以後、一線を退き、34歳で亡くなるまで、余生を温暖なクリミアで闘病と作曲に費やしました。しかし、この療養生活でいくつかの魅力的な作品が残されたのは喜ばしいことで、師で友人のクルーグリコフに捧げられた交響曲第1番は、紛れもなく彼の最高傑作と言えましょう。クルーグリコフの尽力により実現した初演(1897年キエフ)は大成功を収め、さらなる上演へと繋がってゆくことになりますが、カリンニコフ自身は闘病のためその舞台に立ち会うことはできませんでした。

 当時のロシア音楽界の潮流は、西欧の作曲語法を積極的に取り入れたルビンシテイン、チャイコフスキーらのモスクワ楽派と、反西欧を掲げて土着の素材にこだわった「五人組」らの国民楽派に二分されます。カリンニコフの作風は、チャイコフスキーの洗練された書法の影響を強く受けながらも、ロシア民謡に根ざした土の匂いも色濃く残していて、土臭いけれどもキャッチ―で分かりやすい、という固有の魅力を獲得しているように思えます。交響曲第1番でも、濃厚な旋律に対し、木管楽器に縁どられた透明感あるオーケストレーションが施され、胃もたれしないバランスを保っています。

 今日ご紹介するのは、カリンニコフのピアノ小品「悲しい歌 Chanson triste」で、スラヴ音楽特有の珍しい5拍子(3+2)で書かれています(ちなみに、5拍子の曲でまず思い出されるチャイコフスキー「悲愴」第2楽章は、2+3の5拍子です)。そして、同じ調性(ト短調)で書かれた交響曲第1番や、ドヴォルザークの交響曲第8番などと同様、エオリアンスケール(自然短音階)でト短調と変ロ長調の空間を行き来する響きが何とも暖かい郷愁をそそります。1世紀の時を経て人気が再燃しつつある作曲家カリンニコフの佳曲、アンコールのレパートリーにいかがですか?

「悲しい歌 Chanson triste」
譜例
演奏・ご案内 ―― カフェ・マスター:内藤 晃

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