第16回 ジョン・フィールドのノクターン
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今日は、アイルランドの作曲家、ジョン・フィールド(1782-1837)が作曲したノクターンを聴いてみましょう。
ジョン・フィールド(1782-1837)は、「ノクターン」というピアノ独奏曲のジャンルを新しく始めた人です。ショパンの先駆者としてCDの解説書などによく登場するので、名前そのものはご存じの方も多いでしょう。
フィールドのノクターンを聴いてみてください。ショパンを知っている私たちの耳には随分と単純に聴こえるかもしれませんが、美しく溶け合ったアルペジオに乗せて伸びやかに歌われるピアノの響きは、それまでに無い斬新なものでした。フィールドが活躍したのは、ショパン(1810-49)より一時代前の、ベートーヴェン(1770-1827)の時代で、ピアノという楽器が目覚ましく発展した時代でもありました。ベートーヴェンは、ピアノの表現力が向上すると、「ワルトシュタイン」「熱情」などのソナタでよりダイナミックな演奏効果を志向していきましたが、それとは対照的に、フィールドは、音を長く持続できるようになったペダルを駆使して、繊細でとろけるような響きを生みだしていったのです。こうして、フィールドによって、アルペジオの伴奏に乗せて、オペラのカンティレーナのような旋律を歌う「ノクターン」という新しいピアノ曲のジャンルが誕生しました。
以前のピアノ曲の伴奏部分は、アルペジオ(分散和音)と言っても、手の広がる狭い音域の範囲内で響きをつくるアルベルティ・バスのパターンが主流でした。
フィールドがノクターンで用いたアルペジオも、このアルベルティ・バスを発展させた形ではありますが、ペダルの進化によって、遥かに広い音域にまたがる伴奏パターンが可能になったのです。また、そこに乗せて歌う旋律は、当時流行っていたイタリアオペラのベルカント唱法を鍵盤上で模倣したもので、聴衆の心にストレートに響きました。
こうして、フィールドのノクターンは大変な人気を博し、のちのショパンにも大きな影響を与えることになります。リストは、フィールドの創始したノクターンについて、「その後、無言歌、即興曲、バラードなど、さまざまな表題の下に現れたすべての作品のために道を開いたものであり、主観的で深遠な感情の表現を意図して書かれた作品は、その源泉を彼のもとまでたどることができるだろう」とまで述べていますが、ロマン派ピアノ音楽の先駆けとして、フィールドが果たした役割はたいへん大きいものでした。
フィールドは、アイルランドのダブリンに生まれ、ロンドンで「ソナチネアルバム」で有名なクレメンティに師事しました。ピアノ店を経営していたクレメンティは、指導の返礼として、弟子のフィールドに、店のピアノのデモンストレーション演奏をさせました。さらに、クレメンティは、店のピアノの販路拡張を目的とした演奏旅行に彼を同行させ、各地で演奏させましたが、その繊細なピアノ演奏はたいへんな人気を博し、結果的に彼の名声を高めることになったのは幸運なことでした。彼の作品を勝手に匿名で発表したりするなどの横暴な振る舞いもあったようで、1803年、フィールドは演奏旅行先のサンクト・ペテルブルクに1人残り、師の監督下から解放されて当地を拠点に音楽活動をしていくことになります。その後、繊細なピアニストとして聴衆を魅了し、教師としてもグリンカを育てるなどしましたが、極寒の地ゆえでしょうか、酒に溺れて身体を壊し、数度の手術を経て55歳の若さで亡くなりました。
フィールドは、19世紀はじめから60~70年間は、ヨーロッパで最も人気のある作曲家の1人だったと言います。ショパンも、繊細で新しいピアノ技法を編み出した先輩音楽家フィールドに大きな敬意をいだいていたようで、「フィールドと並び賞されるなんて、僕は嬉しくて走り回りたい気分です」などと言っています。そんなフィールドによるノクターンは、音楽的には物足りなさを否めないものの、新型のピアノから、今までにまったく無い新しい響きを紡ぎ出した、その功績の大きさははかり知れません。彼の美しいノクターン2曲を、のちのショパンの傑作の譜面と見比べながら、お楽しみください。
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