ピティナ調査・研究

第13回 マクダウェルを味わう

名曲喫茶モンポウ
13. マクダウェルを味わう

いらっしゃいませ。カフェ・モンポウにようこそ。
今日は、アメリカの作曲家エドワード・マクダウェル(1861-1908,アメリカ)の素朴な優しさにあふれた音楽をご紹介します。

野ばらに(「森のスケッチ」Op.51より)
譜例
エドワード・マクダウェル
エドワード・マクダウェル
(1861-1908,アメリカ)

 「野ばらに」は、マクダウェルの作品の中でもとりわけ良く知られた小品で、「森のスケッチ」という組曲の第1曲として書かれました。この曲の楽譜の冒頭に書かれた指示「素朴な優しさをもって」(With simple tenderness)の"simple tenderness"は、マクダウェルの音楽に共通する魅力をも言い表しているような気がします。どこかで聴いたことがあるような、懐かしさをかき立てる音楽です。

 マクダウェルは、音楽を学ぶため10代で渡欧し、パリ音楽院を経て、フランクフルトで、ホッホ音楽院の校長ヨアヒム・ラフに作曲を学びました。ラフは、当時ブラームスなどと並び称される大作曲家でしたが、若い頃、リストのアシスタントとして交響詩のオーケストレーションを手伝ったりしており、リストとは近しい間柄でした。こうして、師ラフを通じて、マクダウェルの作曲した「モダン組曲第1番」の譜面がリストの目に触れることとなり、リストにいち早くその才能を認められることとなります。リストは全ドイツ音楽協会にマクダウェルの作品を推薦したほか、ブライトコプフ&ヘルテル社から楽譜を出版できるよう計らい、マクダウェルのヨーロッパでの作曲活動を大きく後押ししました。また、かつてのアメリカ時代のピアノの師である女性ピアニスト、テレサ・カレーニョが、その音楽を積極的にアメリカに紹介したことで、マクダウェルは当代一流のアメリカの作曲家としての地位を確立しました。
 しかし、アメリカに帰国してコロンビア大学の教授に迎えられてからは、公務に忙殺されるようになり、作曲活動も、需要の高いピアノ小品や歌曲に限られました。そして、1904年、辻馬車と接触事故に遭い、その後遺症がきっかけで精神を病んでしまいます。彼の作品を演奏した「メンデルスゾーン・グリー・クラブ」が募金を呼びかけ闘病生活を支えていましたが、1908年に亡くなりました。
 マクダウェルはヨーロッパの後期ロマン派的な音楽様式をアメリカに持ち込んで広めた作曲家で、のちのアメリカ音楽界に大きな影響を与えました。マクダウェル自身、当時のアメリカの文化水準の低さを自覚し、アメリカ楽壇を指導するために帰国を決意したといいます。帰国後は教授活動に力を注ぎ、作曲の筆が遠のいてしまいましたが、アメリカの音楽界の発展のために懸命に尽くしたことは本望だったと言えるかもしれません。彼が生前抱いていた、ニューハンプシャーの別荘を芸術家村として開放する構想は、未亡人の尽力で、「マクダウェル・コロニー」として実現し、現在でもさまざまなアーティストたちの創作に利用されています。

 最後にもう1曲、「炉ばたのお話」という組曲の第1曲「古い恋物語」をご紹介します。

古い恋物語(「炉ばたのお話」Op.61より)
譜例

 これも、淡い懐かしさで胸がいっぱいになる佳曲です。他にも、マクダウェルは、このようなちょっと素敵な曲を沢山残していますので、ぜひ皆さんのレパートリーにも加えてみてくださいね。

演奏・ご案内 ―― カフェ・マスター:内藤 晃

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