第05回 アイアランドを味わう
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今日は、イギリスの作曲家、ジョン・アイアランド(1879-1962,イギリス)の都会的で洗練されたピアノ曲をご紹介します。
ジョン・アイアランド(1879-1962)は、ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)やホルスト(1874-1934)らと同時代のイギリスの作曲家で、イギリスの作曲家では珍しく、多くのピアノ曲を残した人です。幼い頃に文学者であった両親を相次いで亡くしたことを除いては、おおむね平穏な生涯を送ったようで、母校の王立音楽大学で後進の指導にあたるかたわらで、じっくりと作品を仕上げていきました。弟子にはブリテン、モーランなどがいます。
アイアランドは、少年時代の不幸な境遇ゆえか、内気で社交的な集まりが大の苦手だったそうで、それは彼の音楽の内省的な響きにも表れていると言えるでしょう。女性との付き合いも下手だったようで、1927年には、歳の離れた自分の生徒と結婚したのも束の間、すぐに離婚しています。交響曲などの大作からは目をそむけ、ひたすらピアノや室内楽による小規模の傑作を生み出していった彼は、管弦楽よりも室内楽のほうが「内なる考えのために適した方法」だと感じていたそうです。そんな彼の音楽は、派手さとは無縁で、夜ひとり静かに目を閉じて聴き入りたいような、そんな瞑想的な美しさも持っています。
アイアランドの作品には、土地からインスピレーションを得たものが数多くあります。特に、チャンネル諸島の景観には強く魅せられ、「忘れられた儀式」「魔法の島」「サルニア」などの曲の舞台となりました。晩年は、やはり彼が強く魅せられた地、サセックスの丘陵草原地帯に隠居してゆったりと余生を過ごしました。このような土地や景観に対する鋭い感覚は、彼のユニークな個性として特筆されましょう。
学生時代に師スタンフォードからドイツ仕込みのガチガチの作曲様式を叩き込まれた影響もあってか、アイアランドの音楽は、あくまで旧来の明快なロマン派のスタイルがベースになっていて、そこに近代的な和声の色彩感がプラスされ、独自の魅力を形づくっています。親しみやすさと斬新さが程よくブレンドされたその音楽は、当時の人々に広く親しまれました。アイアランドは、ヴォーン・ウィリアムズやホルストらとともにイギリス印象主義の作曲家に数えられていますが、その作風は、様々な要素の混在したオリジナルなもので、都会的なセンスに彩られた上品さ、洗練と、懐かしい情緒が魅力です。アイアランドの素敵な音楽を、どうぞお楽しみください。
「白昼夢」 「引き船路」は、書かれた時期はやや隔たっていますが、ともに、アイアランドの魅力をよく伝えている美しい小品です。どちらも、洒落ていて、すこぶる上質なBGMといった風情を漂わせていますが、じっくり聴いてみると、その洗練された瀟洒な響きの醸し出す独特の味わいに魅せられてしまいます。アイアランドの不思議な魅力です。
「白昼夢」(1895年)は、アイアランドが王立音楽大学在籍中に書いた初期の習作のひとつですが、実に美しく親しみやすい小品になっています。ここでは、シューマンや、同時代のドビュッシーの影響が色濃く感じられます。折しも、ベルガマスク組曲やアラベスクなどのドビュッシーの初期作品が書かれたのは、1890年前後。ムードあふれる傑作です。
「引き船路」(1918年)もファンタジックな美しい小品です。引き船路とは、河川や運河に沿って走る路で、人や動物が船を牽引する際に使われました。ゆったりとした6/8のリズムと音型が川の流れを想起させ、とらえどころのない旋法的なメロディは延々と続く路を暗示しているかのようです。この音楽はハ長調で書かれていますが、モーダルな和声で調性はぼかされ、ふんわりと漂っているような雰囲気が醸し出されています。
途中で、突如D-durで現れる印象的な旋律は、調性感が明瞭で際立ち、視界が一瞬パッと開けるかのような鮮烈な効果をもっています。
参考文献 『ニューグローヴ世界音楽大事典』 講談社
マイケル・トレンド著、木邨和彦訳『イギリス音楽の復興I』旺文社
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