連載:第08回 日本ブルグミュラー事始
ぶるぐ協会会長 前島美保
現在、年間およそ15万部が世に出るとも言われる「ブルグミュラー25の練習曲」(以下「25練習曲」)。これが遠路はるばる極東の日本にやってきたのはいつごろのことだろうか。そしてその後どのような展開を経て現在に至るのか。今回は日本における「25練習曲」の歴史をひも解く第一歩として、最近筆者が手に入れた太平洋戦争中出版された楽譜を題材に日本のブルグミュラー受容初期に思いをめぐらせてみたい。
本題に入る前に、歴史的楽譜の一つ東京芸術大学附属図書館所蔵Schott社出版の「25練習曲」を紹介したい。これは日本で「25練習曲」の出版が見られるようになる以前に伝来した輸入楽譜の一つと推測されるもので、発行年は不明である。
私はこの版を手にしたとき、まず第2頁にある「狩野享吉殿寄贈」という印に非常に驚いた。なぜならこの狩野亨吉(1865-1942)は古書蒐集に一生を費やした人として夙に有名で、彼の所蔵本約11万冊は現在東北大学狩野文庫として収められ分野を問わず多大な影響を与え続けているその人物だったからだ。この「25練習曲」が古書の審美眼を持つ狩野亨吉の所蔵楽譜であったという点は、それが芸大に寄贈された経緯とともに大変興味深い。
また、譜面には赤・黄・緑・青の色分けによって楽曲分析した形跡が見られ、「優美」の頁にはシンコペーションの拍子のとり方などが書き込まれていることから、実際に教習本として使用されていたことが窺える。この楽譜は現在手に入るSchott社の「25練習曲」(1996年版)とも譜割等がだいぶ異なっており、Schott社の楽譜の変遷をたどる上で今後欠かせない史料となりそうだ。
※参考資料
好樂社版タイトル一覧
さて、以上前置きが長くなったが、筆者が手に入れた楽譜はこの種の外国版ではなく、日本で出版された「25練習曲」。どういうわけか古い楽譜は北海道や九州に眠っていることが多く、今回も北海道札幌市にある市英堂書店という古書店から取り寄せた。その名も「模範ピアノ樂譜(MOHAN PIANO EDITION)」。「最も正確で標準的な」と冠されたこの楽譜はシリーズ化されており、巻末の広告によるとNo.30まで出ている。No.3「ツエルニー:百番」、No.5「メンデルスゾーン:無言歌集」、No.19「シユーマン:幼年者の爲めのアルバム(ユーゲントアルバム)」など初学者向けの教習本のほか、No.12「シヨパン:エチユード」やNo.25「ベートーヴエン:コンセルト」など高度な技術を要する曲集までドイツ音楽を中心にスタンダードなナンバーが並ぶ。その中でNo.1に挙げられているのが「25練習曲」(以下「MOHAN25練習曲」)である。
【書誌情報】
若松盛治編輯『ブルグミュラー:25のやさしい練習曲集(作品百番)』、東京市:好樂社、昭和17年6月。(模範ピアノ樂譜 No.1)
[Burgmuller. 25 leichte Etuden: Etudes faciles -Easy Studies, Opus 100. (MOHAN PIANO EDITION No.1)]
まず気づくのはその装丁である。表紙は枠やレイアウトなどペータース版そっくりに仕上げられている。大きさは現在通常の楽譜より一回り小さいほぼA4版サイズ(29.8×21.2cm)。アップライトピアノの譜面台に置くには丁度良い大きさのように思われる。表紙をめくるとこれまたペータース版によく似た扉。
続く頁に後世のそれよりもだいぶ詳しく正確な作曲者紹介があった後、仏・独・英・日訳によるタイトル一覧。特に日本語訳に注目してみると見慣れぬ漢字表記が目に飛び込む。現在ひらがな表記されることの多い「せきれい」は「鶺鴒」。もう二度と会うことはないという気分の漂う「左様なら」の後には「慰め」。また、時代が下ると「子供の集会」や「子供会」と称されるようになる第5曲は「子供の會」、「貴婦人の乗馬」としてよく知られる第25曲は「令孃の馬乗」というように、日本語訳には外来文化を輸入する際に垣間見られるその時代の想像力と歴史的語感とが凝縮され、結果的に当時の日本文化が逆照射される。
肝心の楽譜はというと、第1曲「正直」の冒頭右手の8小節に及ぶ長いスラーをはじめとして、アーティキュレーション、表情記号、強弱、速度、譜割など、その後の全音楽譜出版社の楽譜とほぼ変わらない。このことからペータース→好樂社→全音という系譜があるのではないかと想像される。この点、先に掲げた芸大所蔵のSchott版は系譜が異なるとみていいだろう。出版元の好樂社は現存しない楽譜出版社で、戦前戦後にピアノ楽譜やヴァイオリン教則本を中心に出版。「MOHAN25練習曲」は昭和16(1941)年12月に初版発行、早くも半年後の昭和17(1942)年6月に第2刷を1500部出している(一部八拾銭)。しかしながら筆者架蔵のこの一本以外、寡聞にしてその存在を知らない。
なお、好樂社の「MOHAN25練習曲」は戦後も版を重ね、昭和22(1947)年と昭和23(1948)年版が国立国会図書館に、昭和24(1949)年版が国立音楽大学附属図書館にそれぞれ所蔵されている。国会図書館所蔵の一本は発行場所が「神奈川縣葉山町」とあり、海を渡った文化の到着地であり西洋音楽受容の最先端地でもあったであろう京浜地区の音楽環境を彷彿とさせる。
以上、戦前の好樂社出版の「25練習曲」に焦点を当てて検証したが、ピアノの普及と考え合わせるとこの時代に「25練習曲」が一般家庭で弾かれていたとは考え難い。「25練習曲」が一般に広く認知されていくようになるのは昭和30年代以降のことではないか。ともあれ、F.ブルグミュラー氏が作曲してから100年を経たずして日本で独自に出版されていたことは記憶しておいてよい歴史的事実である。
今後どのように歴史が積み重ねられていくのか。日本において、今なお教習本として使われ続けている「25練習曲」の裾野の広がりと歴史的層の厚みを考えていく上で楽譜史料は雄弁である。これからも楽譜研究を通じて、またインタビューや雑誌記事などの証言を通して「25練習曲」の受容を立体的に描いていきたい。
(「ブルグミュラー25の練習曲」の楽譜に関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、Fax番号03(3944)8838、またはこちらまでお寄せください。お待ちしております。)