ピティナ調査・研究

V.インドネシア

アジアの音楽教育事情とピアノ Ⅴ インドネシア
安藤 博(正会員)(2019年4月記)

アジア各国音楽教育事情についての調査シリーズ、今回はインドネシアについてレポートする。(2019年3月訪問)

インドネシア共和国はオーストラリア大陸の北から北西にかけての海上東西に5千キロ以上にわたって横たわる13,000以上の島からなる島嶼国である。人口は2億6,200万人を超え(世界4位)、世界最多のムスリム系人口を抱えている。大きな島では首都ジャカルタがあるジャワ島、スマトラ島、スラウェシ島、そして北部がマレーシアと国境を接するカリマンタン島(マレーシアの呼称でボルネオ島)などが知られ、その他ガムラン音楽で有名なバリ島などがある。他の東南アジア諸国同様多民族国家ではあるが、300以上ある諸族の大多数はマレー系で、公用語はインドネシア語。ただ、地域によって多くの異なる言語が話されているそうだ。また、インドネシア語はもともとマレー語の一方言だったものを国の共通語にしたもので、今回SEADOMという会議でご一緒したマレーシア人によると、マレー語でもほぼ問題なく会話が成立するそうである。17世紀頃からオランダが覇権を得て、1800年から現在のインドネシアのほぼ全域を支配、その後一時イギリス領であったり第二次大戦中の1941年〜45年日本領であったりしているが、戦後勃発したオランダとの独立戦争を経て1949年に独立するまで、ほぼオランダが宗主国であったといってよい。また「世界最多のムスリム系人口」と書いたが、憲法で信教の自由注1が保障されており、イスラム教が国教というわけではない。各宗教の割合はイスラム教が87.2%、プロテスタント7%、カトリック2.9%、ヒンドゥー教1.6%、また仏教はわずか0.72%。私たちの東南アジアに対するイメージからすると仏教が1%にも満たないという事実はちょっとした驚きでもある。
教育制度は日本と同じ6・3・3・4制で最初の9年間が義務教育であるが、宗教省所管のムスリム系学校と教育文化省所管の一般系学校の2系列に分かれているのが大きな特徴であろう。ただし、ムスリム系の子女が必ずしもムスリム系の学校にいかなければならいというのではなく、例えば今回私が訪れたジョグジャカルタの国立の音楽高校(一般系)にも多くのムスリム系生徒が学んでいたし、ジャカルタのキリスト教系大学でもムスリムの学生が散見された。

注1
インドネシアでは信教の自由は保障されているが、唯一神への信仰が義務付けられており、つまり無宗教はダメということらしい。出生届の段階で宗教が記載され、その記載がないと結婚、IDカードの発行など様々な面で差別を被ることになるという。
オーケストラのリハーサル風景と出番を待っている生徒たち。ヒジャブを着用したイスラム系の生徒とそうでない生徒たちがいる。
インドネシア国立音楽高校
SMK Negeri 2 Kasihan(SMM Yogyakarta)

さて、私にとって初めてのインドネシア訪問は、まずジョグジャカルタ市内の音楽高校から始まった。ジャワ島中部の南岸に位置するジョグジャカルタ市は、独自の文化を残す古都として知られ、また大学など教育機関も多い学術都市という顔ももっている。インドネシアといえば、私たちにはガムラン音楽など伝統音楽の宝庫というイメージが強い(もちろん、それも事実である)が、ジョグジャカルタ市にある同高校は、西洋音楽のみを教える国立の音楽高校である。ただし、隣接地に美術高校と伝統音楽・芸能(舞踊・人形劇他)学校の二つの国立高校もあり、各々が独立した学校として並立されている。一つの学校で美術、伝統音楽・芸能、西洋音楽を専攻として教えるのではなく、各々の分野が独立した高校で教育されている点に、この国の芸術教育方針の一端が示されているようで興味深い。
1951年に創立された同音楽高校は、一学年150名、全校で約450名が学んでいるという。専攻は管弦打楽器のオーケストラ楽器をはじめ、サックス、ギター、声楽、そしてピアノ。ただ、ピアノ専攻生は1学年に6名くらいだそうだ。入試では、実技試験はなく、リズム感や簡単なソルフェージュなど、潜在的な音楽能力を見ることに重点がおかれているという。したがって、入学後にまさに初心者として各々の楽器を専攻することになる学生もいるわけだ。14-15歳から初めて触れる楽器としては、ピアノはハードルが高い楽器なので、専攻生が少ないのはこうした理由からだろう。ただ、私が訪問した際に、どこかの教室からシューベルトの連弾曲が聴こえてきたが、決して「初心者」の演奏ではなかった。なお、2年生には副科としてピアノを全員に課しているという。入試制度から見られるように、学校の教育方針は、優れたソリストを育てるというものではなく、オーケストラやブラス、合唱など合奏教育に重点が置かれている。ちょうどオーディトリウムでオーケストラのリハーサルも行われていたが、かなり大きな編成だった。なお卒業後の進路は、大半が大学進学、また、地方で小さな編成のオーケストラ活動をする者、さらに一部はシンガポール(YST)などに留学する者もいるという。

音楽高校正面玄関
校長室にて。左からSapta Ksvara(ヴァイオリンオーケストラ)、校長のAgus Suranto(ピアノ、作曲)、Gempur Trianto(サックス、クラリネット)の諸先生。後方にはインドネシアの伝統芸能、影絵芝居の人形が見える。なお、左のKsvara先生はインドネシアの国民的作曲家と尊敬されているKusbiniのご子息である。
中庭にあった銅像。ベートーヴェンと並んで右はインドネシア国歌の作曲家W. R. Soepratmanの像
廊下に貼られていた実技試験の結果一覧。名前の右から宗教、性別(P=女性、L=男性)、専攻(Biola=ヴァイオリン)など。宗教の欄には「イスラム、クリスチャン、カトリック」などと書かれている。

高層ビルなどほぼ皆無の地方都市ジョグジャカルタ空港から西に向けて約1時間のフライトでインドネシアの首都ジャカルタのスカルノハッタ空港に到着する。ジャカルタはASEANの本部も置かれている人口920万人を数える東南アジア有数のメガ都市である。

UPH音楽学院
Conservatory of Music. Pelita Harapan University (UPH)

UPHはジャカルタ郊外にある私立のキリスト教系総合大学。(大学名のPelita Harapanは「希望の灯火」といった意味らしい)キリスト教系大学だが、学生は必ずしもキリスト教徒でなくてもよく、キャンパス内では、ヒジャブを着用したムスリム系の学生も数は多くないが見られた。ただし、教員の雇用はキリスト教徒という条件があり、毎週の礼拝出席が義務付けられているそうである。
大学の創立は1994年。ジャカルタ市西方となりのタンゲランに位置している。ここメイン・キャンパスの他、スラバヤなど国内3カ所にキャンパスをもっている。インドネシアで最初の教育言語を英語とする大学でもある。多くの学部を抱える総合大学だが、音楽学院(音楽学部)は2,000年創設。現在の学生数は約300名とのことである。次の6つの学科で構成されている。

クラシック演奏学科
ジャズ&ポップス演奏学科
サウンドデザイン&音楽プロダクション学科
演奏芸術&プロダクション・マネージメント学科
音楽教育学科
音楽療法学科

ホームページには以上の6学科が紹介されているが、学部長のプリヤント先生からは、作曲&フィルムスコアリング学科も併設されていると伺った。
この音楽院(学部)の特長は、学科構成を見る限り、明らかに実学系に重点が置かれているという点だろう。学部長のアントニウス・プリヤント先生にお話しを伺っていて驚いた点だが、音楽教育学科を卒業して、公立学校などの教員になる学生は一人もいないということだった。ホームページにも書かれていることだが、約75%の学生が卒業を前にして何らかの職を得ていて、さらに卒業後の就職率は90%に及ぶという。それも単に既存の企業などに就職するだけでなく、レコーディング・プロダクションなどの起業だそうだ。
ちなみに、プリヤント先生によると、インドネシアの義務教育では、音楽は「芸術」という学科の一部とされ、その学科内で音楽を教えるか美術を教えるかについては、教員の専門性に委ねられている。したがって音楽を全く教えていない学校も多くあるとのことだった。(日本でも高校では、「芸術」という科目の中で音楽も教えられている)また、教職に必要な免許だが、音楽についてはとくに取得されてなくても大目に見られている(overlooked)ということだそうだ。

UPHのキャンパス。全体にそれほど広くはないが、樹木が自然に配置されている。
お話しを伺った学部長のAntonius Priyanto先生(作曲)とVahur Luhtsalu先生(チェロ)。Luhtsalu先生はエストニア人。同大学ですでに5年間教鞭をとられている。
音楽学部があるB館の内部。かつて建物全体が駐車場だったらしく、上下階を結ぶスロープがそのまま残されている。
小ホールがある建物の入り口。キリスト教系大学らしい、聖書からの言葉が掲げられている。
終わりにかえて

今回のインドネシア訪問は、2013年以来毎年参加しているSEADOM (Southeast Asia Directors of Music)会議への出席も兼ねてのことだった。毎年東南アジア各国で持ち回り開催されている同会議は、その名のとおり、東南アジア各国にある音楽系の大学や機関の代表者が集まり、各々の国が抱えている問題点なども含め、音楽教育のスタンダードを探って行こうという試みである。今回、アジア各国の音楽教育事情について調査しレポートを書かせていただいているが、各国での調査にあたって、SEADOMで知己を得た方々に大変お世話になっており、この会議に出席していなかったら、この調査は不可能であったといっても過言ではない。
ところで、本文の最初の方に「インドネシアは伝統芸能の宝庫」と書いたが、一方では、私の中にインドネシアの西洋音楽に関する一種の偏見があったと告白せざるを得ない。まず、最初に訪れたジョグジャカルタのSMMが西洋音楽のみを教えている国立の高校だったことがちょっとした驚きだったが、その日の午後から始まったSEADOM(会場はISIという国立の芸術系大学)のウエルカム・コンサートは何とラヴェルの弦楽四重奏曲だった!演奏はISIの学生だったが、響の柔らかさといい、表現の的確さなど見事な演奏で、多分ガムランか何かが披露されるのだろうと予想していた自分の浅薄な知識を見事に打ち砕いてくれたのである。
本文の中で触れることができなかったインドネシアの西洋音楽と地域社会の触れ合いや活動について、下記も是非ご参照いただきたい。

最後にインドネシアで古くから愛されている大衆音楽クロンチョンについてご紹介しておきたい。歌と伴奏楽器(フルート、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ベース、小型ギター)によるものだが、どの曲も、歌と伴奏の絡みが素晴らしい。下記のリンクは日本でも有名な「ブンガワンソロ」、この曲の作曲者グサン・マルトハルトノの歌声、クロンチョンオリジナルのスタイルでお楽しみいただきたい。

安藤 博 Ando Hiroshi

東京芸術大学楽理科卒業
前 国立音楽大学演奏部事務室・学長事務室室長
現在、タイ・バンコク市近郊のマヒドン音楽大学(College of Music. Mahidol University)客員教授として一年のうち6ヶ月間タイ在住。
ピティナ正会員、日本音楽学会正会員