ピティナ調査・研究

第9回:飯塚敦さん(宇都宮短期大学/栃木)

第9回:飯塚敦さん宇都宮短期大学/栃木

「音楽は世界の共通語」という言葉があるように、音楽はグローバルな視座で捉えられることが多い一方、民族音楽にはじまり、国歌、民謡、更には校歌に至る地域性も併せ持っています。音楽教室は、その地域の音楽を支えるコミュニティとしての機能が期待されているわけですが、音楽教室だけでその機能が果たせるわけではありません。そこでピティナでは楽器店や調律師など、「地域の音楽教育を支える存在」の方々を「エリア・ミュージック・サポーター(AMS)」とお呼びすることとし、AMSの方々と連携した取り組みを始めました。すると、次々と音楽教室の先生方に活用して頂きたい情報や、ピアノにまつわる深い~ぃ話が出て来るではありませんか。それらを是非先生方に知って頂き、お役立ていただきたいと考えました。AMSのみなさんの素晴らしい活動を、大内孝夫さんによるインタビューを通じたシリーズでお伝えします。

取材:大内孝夫


2020年3月5日、ピティナ新栃木支部事務局長の飯塚敦さんを訪ね、勤務先の宇都宮短期大学へ。音楽系大学は、地域の音楽活性化には欠かせない存在。その意味で、事務局長が大学勤務とは、非常に心強い。

到着すると、何と附属高校校長も兼ねる須賀英之学長と直井文子副学長がお出迎え。これには大いに恐縮した。

宇都宮短期大学の須賀英之学長・直井文子副学長

3月2日、政府による全国の小中高校への休講要請初日でしたが、保護者、在校生も招いて、予定通り高校の卒業式を行いました。卒業生にとっては一生の思い出ですからね、どうすべきか真剣に考えました。もちろん無理は禁物ですが、宇都宮市から感染者は出ておらず、県内でも1人だけ。その他にもさまざまな環境分析を行い、実施可能と判断しました。

さらに続く。

それでも演奏会等のイベントは軒並みキャンセルです。卒業生を含むプレーヤーが気の毒で。少しでも彼らを支えたいと考え、学園がラジオ番組の単独スポンサーになって、『中止となった演奏会大放送』という番組を、2日間組んだのです。みんなが笑顔を見せてくれて、こちらも嬉しかったですね。

到着早々、経営判断や地域に根付く音楽のあり方を教わった気がした。

さて、本題に入ろう。新栃木支部の会員数は52名だが、ここには大きな特徴がある。圧倒的な若さ。平均年齢39.6歳は、ピティナ会員平均約50歳を10歳も下回る。

私の佐藤昌代先生との出会いは、短大の担当教官という偶然でしたが、支部には先生の教え子がどんどん入会しています。あと、これは先生から聞いた話ですが、お子さんが継続的にピティナに参加する保護者には、家族会員への入会をお勧めするよう、若手の先生方に伝えているそうです。随分前から先生が、常に次世代の育成を意識されてきた結果ではないでしょうか。

新栃木支部の設立は2018年1月。まだ2年ほどだが、佐藤先生の活動歴は長い。小学生時代から飯塚さんを応援してきた厚地和之先生が、その経緯を語ってくれた。

佐藤先生とはもうずっと一緒にやってきたんですよ。仲もいいから栃木県支部だけでも良かったんだけど、より多くの後継者を育てるには、組織は2つあった方がいいかなって。支部長や事務局長が倍必要になるからね。ですから、将来の栃木を背負える人材育成戦略のようなものです。

飯塚さんは30歳。若い新栃木支部の平均年齢を、更に10歳下回る。

2014年7月14日 栃木県支部の会員交流会にて
厚地和之先生(前列左から3人目)/佐藤昌代先生(後列左から4人目)

短大の職員になり、コンクールにもチャレンジしているからね。もう後継者としての自覚を持ってもらわないと。それにね、ほら、この顔。見ての通り、憎まれないタイプなんですよ(笑)

音大勤務で感じることだが、ピアニストを目指す者は、非常勤講師をしながら、演奏家としてハングリーであり続ける。だが、どこかで限界を感じて職員に転じると、とたんに演奏熱が冷めるケースが多い。安定した収入が得られるため、その世界に安住してしまうのだ。そんな事例をいくつか挙げた。

2019年5月16日ブルグミュラーコンクール説明会で
受付を務める飯塚敦さん

飯塚君、痛いとこ突かれているなぁ(笑)

最近、佐藤先生のレッスンでも、それに近いことを言われました。気を付けないと。でも、ボクはチャレンジし続けます。今年もプレ特級挑戦!です。

飯塚さんはグランミューズ部門最上位、A1カテゴリー優勝者(2014年/決勝大会の演奏はこちら)。2018年にはデュオ部門でも連弾上級の金賞を受賞(決勝大会の演奏はこちら)した。ソロ・デュオ双方であくなき挑戦を続けている飯塚さんだが、それでもプレ特級は厳しいという。

A1カテゴリーは2曲15分くらいに対し、プレ特級は複数曲を組み合わせて第二次予選で30分のプログラム。全国決勝大会では更に40分のプログラムを用意しなければなりません。参加者のレベルも全然違います。でも、昨年、この空気感に触れたことで、ハングリー精神が蘇りました。

飯塚さんの夢はコンサート・ピアニストだった。だから、小さい頃は夢に向かってピアノを弾いた。今は自分で立てた目標に向かって弾いている。たとえ夢は叶わなくても、チャレンジし続けることが、明日への道を切り拓く。

昨年12月、地域オケ、鹿沼フィルハーモニー管弦楽団から、9月開催のベートーベン生誕250年記念コンサートのソリスト・オファーを頂きました。曲目は、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。この栄誉に応えられる、いい演奏をしないと。

コンサート・ピアニストばかりがピアニストじゃない。地域に根付くのも立派な道。そんな飯塚さんには、将来も見えてきた。

もちろんまずは短大の仕事ですが、いい指導者でもありたいなぁ、って。佐藤先生との出会いが、ボクの人生を変えましたからね。恩返しがしたい。先生は、生徒が諦めかけても、絶対に諦めない。粘り強いというか。だからレッスン前と後では、自分が全く違っているのがわかります。道のりは遠いですが、佐藤先生の信念や思いを、未来につなげたいですね。

会員同士が仲違いし、支部が分裂した話は耳にする。しかし、ここでは将来世代が、さらにその先を意識している。指導成果とは、演奏技術ばかりではないのだ。そしてそれは、ときに人の人生をも大きく左右する。いい方にも、悪い方にも。

取材日:2020年3月5日
宇都宮短期大学にて